2007年12月05日 04:00 [Edit]
好きを貫いている者の礼儀
私は今、好きを貫いて生きている。
弾言するだけの自身はないのだが、他者が私を見てそう断言するのを何度も耳にしてきた。
そのことに、なぜ私はうしろめたさを感じるのだろう。
以前私は、こんな文章を書いた。
- 404 Blog Not Found:はてなに入りたくても入れないみなさんへ#0
- 404 Blog Not Found:はてなに入りたくても入れないみなさんへ#1
- 404 Blog Not Found:はてなに入りたくても入れないみなさんへ#2
- 404 Blog Not Found:はてなに入りたくても入れないみなさんへ#3
- 404 Blog Not Found:はてなに入りたくても入れないみなさんへ#4
これははてなに入った技術者の皆さんへの返答なのだが、なぜ私がこれを書いたかといえば、そこにある好きなを貫くのことに対する屈託のなさに耐えられない軽さを感じたからだ。
人は何時間働くと過労死するのか? - モチベーションは楽しさ創造からだからこそ、自分の身を守るためにも「好きな仕事を貫かなければいけない。楽しい仕事をしていかなければならない」と思うのです。
しかし、誰も好きになれないのに、誰かがやらなければならない仕事は現に存在する。私が好きを貫いて書評する本を届けてくれる宅配のおねーちゃんやおにーちゃんは好きを貫いているのだろうか。私が好きを貫いて買ったプリウスを作ってくれた人々は、みんながみんな好きを貫いているのだろうか。そして、私が好きを貫いて催した宴会のゴミを回収してくれる人々は好きを貫いているのだろうか。
「誰も好きになれないのに、誰かがやらなければならない仕事」というのは、職種単位に留まらず作業単位でももちろんある。私にとってEncodeはそういう「仕事」だった。文字コードを処理するプログラムというのは、書いていて楽しいものとは言いがたい。重要なのはプログラミングスキルよりも、正確、というよりユーザーを納得させるマッピングデータを用意することであり、仕様に忠実でも利便性を考えて逸脱してもバグだと言われる世界である。
「誰も好きになれないのに、誰かがやらなければならない仕事」というのは、「うまく行ったら褒められる」のではなく「うまく行かなかったら叱られる」仕事でもある。救急車は119番したら来て当たり前。医者はその患者を受け入れて当たり前。そしてこの二つを繋ぐ道は、そこにあって当たり前。
それだけでも辛いのに、こういった職業の多くはなぜか低賃金だ。「医者はそうではない」と言われるかも知れないが、それではなぜERの勤務医よりも美容外科医の方が羽振りがいい--ように見える--のだろう。
「自分の身を守るためにも好きな仕事を貫かなければいけない」、そうなのかも知れない。しかし誰もが自分の身を守るために好きを貫き出しても、明日ごみは回収されるのだろうか。市場経済論者であれば、「そうすれば『好きでない』仕事が供給不足になり、価格が上がるので報われる」と言うのかもしれない。それが本当なら、なぜ私から見ればどうやって好きになればいいのかわからず、実際に人手不足に悩んでいる職種が(比較的)低賃金のままなのだろうか。
わからない。わからないが、三つ確かなことがある。一つ、誰も好きになれない仕事というのは確かにあるのだということ。二つ、誰かがやらなければならない仕事というのは確かにあること。三つ、そういう仕事を片付ける人がいるからこそ、好きを貫いて生きていける人々が存在すること。
だからせめて彼らをねぎらいたいのだが、どうねぎらったらよいのだろう。賃金でねぎらい切れていないのは明らかだ。だからといって「褒める」というのとは違う。「褒める」というのは「できたらいいな」が「できた」時に行う行為だ。「できて当たり前」を褒められても、褒められた方は当惑するばかりだろう。
梅田望夫×まつもとゆきひろ対談「ウェブ時代をひらく新しい仕事,新しい生き方」(後編):ITproロールモデルの話をすると,Perlを作ったLarry Wallっていう人が僕のロールモデルです。
彼はもちろんエンジニアなんですけど,文章と講演がすごく面白いんです。歌って踊れるじゃないけど,面白い文章が書けて,面白いプレゼンテーションができて,プログラミングができる人になりたいと。
彼を一度目にした者であればだれにもその面白さがわかる Larry の知られざる側面に触れたのは、Encodeを開発したことがきっかけだった。私がEncode 1.0をリリースした時に、彼は私に一通のMailをくれたのだ。それは、日本語でこう締めくくられていた。
otsukaresama deshita! oyasumi nasai!
向こう百年、便所掃除を嬉々としてやっていけそうな気分になった一言だった。
私にも、いつの日かこういう風に言の葉を使えるようになる日が来るのだろうか。今は「出来て当たり前」がその時たまたま出来なかった人に怒るばかりの日日だ。我ながら度し難い。
好きを貫くのもいい。好きを貫いている者を褒め讃えるのもいい。しかし好きを貫いている者であれば、自らの好きを貫くまえに、好きを貫いている誰かを褒める前に、好き嫌いを抜きにして仕事を片付けた方々をねぎらいたいものだ。
ありがとう。
今日もあなたのおかげで好きを貫いていられます。
Dan the Lucky One
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含蓄のある言葉ですね。
村上春樹流に言えば「文化的雪かき」ってやつですね。
なんだ、結局自慢じゃないかという話題ですな。
鼻につきます。若年性森繁病!
好きを貫くには、努力とは関係ない生まれ持った資質が必要だからじゃないでしょうか。そのラッキーに対してうしろめたさを感じるということかなーっと。
感謝。
たったそれだけですが、何よりも大事だと僕は思います。
「好きなことを貫く前に」という表現に、コガイさんの思いもつまっているのでしょうけれども、そのままの表現だと誤解されないかと心配になりました。
どうでしょうか。
好きを貫く人だらけの世の中は成立しないですし、そもそも「好きなことを貫く」ことなど到底出来ない人が今の世の中でも一杯いるわけで・・・自分の努力を誇るのは構わないのですが、それだけでは寂しいですね。
以前テレビで見た、下記の母子家庭の人のことを思い出しました。(自分がどうすればよいかは分からないのですが)
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http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/workingpoor3.html
・・・鈴木さんはこう言って、言葉に詰まりながら、次のように続けた。
「……こうやって生活している私たちは、『自助努力が足らない』ということに値するのかなって……」
「弾言」はわざとですよね…?
医者は一般より高い
美容はその医者よりさらに高い
それだけ
とても感動しました。
私は、好きなように生きていない生き方をやめて、誰にも言い訳せず自分の力で好きな生き方をできるかどうかまさに挑戦している者だが、
自分がどのような場所にいたのか、何を思ってそこにいたのかは忘れないようにしたい。
官僚なんかもそうだな。なぜ政治家のほうが羽振り良さそうに見えるんだろう。
仕事の内容なんか気にしてる状態でないとか、
そういう人はたくさんいる気がします。
仕事の好き嫌いをいうようなレベルではなく、
最低限のお金をもらえる職につけるかどうかってレベルの話。
羽振りが良くないと政治家としてダメと判断されるからじゃない?
「ねぎらう」ということはあなたの方が立場が上という前提ですね。
中途半端に情けかけられるよりもいっそご愁傷様とでも思ってもらって
見てみぬ振りされたほうがまだましですよ。
1冊の本を読み終えたような感動をおぼえました。
ありがとうございます。
ボクもブログ(好きなもの)を楽しみ、仕事も楽しみたいと思います。
それを忘れてると思わぬ災難にあうものです。
http://www.youtube.com/watch?v=Ur6AwJewwBo
でもね、なんだかんだいって、仕事を片付けられるっていうのは、その仕事にある程度向いているということでもあるのだと思うんです。まるっきり嫌いなことなら、着手しても、途中で放り出してしまいますよ。
世の中、ひどく矛盾しているようで、なんとなく、収まりがいいようにもなっているのではないかとも思うんです。もちろん、いつも予定調和しているわけではないけれど。
何事でも、過去の推力でここ(現在)までたどり着きながら、そこからは未来にも招かれているというか。そいつの積んだ業の報いは、いつかはそいつ自身で摘み取らないといけない羽目になるというか。

