2007年12月17日 18:45 [Edit]
赤木智弘たちに足りないもの - 書評 - 若者を見殺しにする国
昨日到着、即読了。
実に読ませる本。若者自身による若者論として必読の本。
だが、何かが足りない。
その足りない何かがわかったような気がするので、本entryではそれについて書く。
本書「若者を見殺しにする国」は、「『丸山真男』をひっぱたきたい」をひっさげて若者論壇に登場した赤木智弘が、それを拡張して一冊の本にまとめたもの。
目次 - 書籍出版 双風舎:【書籍一覧】より(余談だが、このページTBを受け付けてる。えらいぞ双風舎)。Amazonのページの情報を元に補強
- まえがき----赤木智弘とは、いったいどんな人間なのか
- 第一章 強大な敵としての俗流若者論
- 青少年の凶悪犯罪が増えているって?
- なぜ俗流若者論がささやかれるのか
- オタクの発生
- 執拗なオタクバッシング
- フィギュア萌え族
- 『ゲーム脳の恐怖』の恐怖
- 教育とはなにか
- 九五年レポートの不合理
- 結局、俗流若者論って、なんなのだろう?
- 第二章 私は主夫になりたい!
- 男女平等は当たり前のことでしょう
- なぜ、「主夫」がこんなにすくないのだろうか
- 「強者 or 弱者」 and 「男性 or 女性」
- 本当の抵抗勢力
- 個人の平等から、世帯の平等へ
- 本当に弱者を保護するために
- 第三章 「『丸山眞男』をひっぱたきたい」ができるまで
- 「ズレ」から「思想」へ
- 「ジャーナリスト養成コース」という居場所
- 本名で書くということ
- 自分で考える
- スクールバスの論理
- 子どもとリスク
- 平日の日中に出歩く「不審者」としての私
- 若者殺しの時代
- 他者を「徴用」すること
- 第四章 私が戦争を希望する理由
- 三一歳、フリーター。希望は、戦争。
- けっきょく、「自己責任」ですか
- 第五章 どうすれば貧困層を救い出せるのか
- 左派が本当に戦うべきは誰なのか
- いま以上にヒドイことなんて、どこにあるのか
- デモ隊の前に立ちふさがる側の論理
- いかにして発見されていない軸を見つけだすのか
- 問題の大半は金で解決できる?
- 第六章 「思いやりのある社会」への希望
- 強者に道徳を 弱者に自由を
- 自由とはなんだろう
- 「希望は戦争」という良心
- 平和はなにを守っているのか
- 弱者のために、本当になすべきこと
- 若者を見殺しにする国
- 「平和」との闘争
- スラップスティック
- あとがき
結論からいうと、コアになる2本の論文(第4章)のインパクトに比べて、本としては弱い。他の部分が、2本の論文を書くまでの経緯とそれに対する批判への反論という形で書かれていて、どっちも中途半端だ。それよりも著者の日常をきちっと描いて、「32歳、フリーター」のルポルタージュにしたほうがよかったと思う。特に後半は、批判の内容がわからないまま延々と反論が続くので、わかりにくい。「識者」のコメントも全文掲載すべきだった。
同感、ではあるのだが、こうした不足を行間から読み取れぬほど弱い本かというとそうでもなかった。むしろ第一章の「強大な敵としての俗流若者論」は、「戦前の少年犯罪」では、事実に語らせているが故に解りにくかった、「なぜ戦前は少年犯罪が今より遥かに日常茶飯事だったのか」「にも関わらず、なぜ今の方が少年犯罪がありふれているような印象をうけているか」というなぜを解説しており、この第一章だけでも私には元をとれた(念のために付け加えておくと、私には本書は献本されてない)。
にも関わらず、何かが決定的に足りない。それは本書だけではなく、著者だけではなく、著者の世代のワーキングプアたちにほぼ共通して足りない何かなのである。
なぜ同じ団塊ジュニアでも、あるものは団塊の世代ではありえなかった富と権力を手にし、あるものはワーキングプアとして呻吟しているのか。
それが何か、やっとわかった。
笑い、だ。
我ながら、笑ってしまうほどの大発見だ。なにしろ、これは私自身の成功の理由の一つでもあったからだ。それに今まで気がつかなかった自分に大笑いである。
我々は、勘違いしていないだろうか。笑う者たちは、欲求が満たされているから笑っているのではないか、と。私自身、そう勘違いしていた。
違うのである。笑っていたから、欲求を満たすことができたのだ。順序が逆なのである。笑いは結果でなくて原因。笑いが後ではなく先。
ここギコ!: 赤木智弘さんはまず親との間で世代間闘争をしてはどうか赤木さんがフリーターでいるのも、社会での世代間のひずみがそうさせているのだと親御さんが納得してくれれば、たとえ家族内での可処分所得は同じだったとしても、きっとその精神的重みは変わってくると思う。
いや、そこまでは伝わっていると思う。だから著者の親は、Macを著者に買い与えた。著者の20代は、その点において、他の数多のワーキングプアたちよりも、むしろ「ナナロク世代」の成功者たちに近い。実際著者の生年は1975年で一年しか外れていないし、この一年の違いはさほどクリティカルなものではない。
本書によると、著者は1995年にはすでにHTMLで発言していたそうである。これは私が「流しのプログラマー/技術翻訳者」から「流しのネットワークエンジニア」に舵を切った年でもある。先行者利益にありつく機会が、著者の鼻先にあったのである。
しかし、なぜそれを著者が見逃してしまった、いや見送ってしまったのか?
笑うことではなく、嗤うことにはまってしまったからだ。著者はWebを、「自らが笑う」場ではなく「他者を嗤う」場所として活用してしまったのだ。右を嗤い、左を嗤い....しかし嗤いは金にならない。そうこうしているうちに著者の20代は終わり、その終わりとともに嗤う余裕も失われた、というのが著者のあらすじであると私は読んだ。
なぜこの国は若者を見殺しにする国になったのか?
若者たちに、笑いではなく嗤いを刷り込んで来たからではないのか?
「笑わないで嗤う」、これ、実は若者の専売特許ではない。むしろ私には団塊の世代が想起される。団塊の世代には、発言力も資金力もあるが、なのに彼らがかけ声をかけているほどの指導力もまたない。世代内での格差が大きいのは団塊の世代も同様なのに、なぜか十把一絡げにされる。それがなぜかといえば、持つ者も持たざるものも、あまり笑わず常に嗤っているからだ。
ワーキングプアたちは、能力において決して同世代のそうでない者達に劣るものではない。本書のような本を書くだけの文章力もあり、そして職場においては安い給料であるにも関わらずそれをきちんとこなすだけの仕事力も忍耐力もある。しかし彼らに足りなかったのが運だけなのかというと、それもまた違うように思われる。それが何なのかずっと考えて来たが、本書を読んでから「NHKスペシャル|ワーキングプアIII 〜解決への道〜」でケンタッキーフライドチキンの店長の疲れた顔を見ていたら、やっと何が足りないのか気がついた。
笑顔、笑顔、笑顔。
大事なことなので繰り返すが、報われないから笑顔がない、のではない。笑顔がないから報われないのだ。常に笑みを浮かべているものすら、その逆だと思っているのだが、それは間違っている。
笑顔が、先なのだ。
しかしあなたは言うだろう。「生死の境をさまよっているものに笑う余裕などないではないか」、と。私自身そう思っていた。しかし、ここで私は笑っている者達の顔を改めて思い出してみた。彼らの多くは、私よりずっと悲惨な境遇を乗り越えて来て、そこを抜けたものもいるけれども未だその境遇にいるものもいる。私は笑っている人を見ると、むしろその笑みの裏にある痛みが思いやられ、胸が痛くなる。
だからこそ、嗤ってはいけない。笑わなければならない。
Stranger in a Strange LandI've found out why people laugh. They laugh because it hurts--because it's the only thing that'll make it stop hurting.
[snip]
I had thought -- I had been told -- that a 'funny' thing is a thing of goodness. It isn't. Not ever is it funny to the person it happens to. [snip] The goodness is in the laughing. I grok it is a bravery ... and a sharing ... against pain and sorrow and defeat.
[拙訳:なんで人が笑うのか、やっとわかった。痛いからだ。それしか痛みを止めるすべがないからだ...僕はずっと「可笑しい」ことは良いことだと聞かされてきたど、そうじゃないんだ。可笑しいことが起こった人にとっては、それがいいことだった試しが無い。笑いは、悲哀と敗北に対する共感、そして勇気なんだ]
しかしその「笑い」というのは自ら体得することは出来ても、人様に与えられるようなものなのだろうか。ここで私はちょっと途方にくれてしまったが、しかし与えることは出来なくても、少なくとも会得できるものではあると思う。どうすればいいかはさておき、とりあえず何をすればいいかがわかったのも笑わずにはいられない収穫なのだし。
嗤うな、笑え。
うーん、笑いについて書いた記事なのに笑いがちょっと足りない。それを笑って許してもらうことを願いつつ、[この内容で投稿]することにします。
Dan the Smiler
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…って嗤ってると、負け組になってしまうぞと…。
それにしても、巨大な敵を直視する赤木氏に、笑ってないから、おまえは報われないんだ、とはあまり笑えない話ですね。
一番残酷な言葉だと思うが。
たしかに、「嗤う」より笑わねばならないと思います。切実に。
ただ如何せん、その情感に付きまとう冷笑家的性質は、コミュニケーションが普遍的(且つ、ほぼ絶対的に)に片思いであることの経験に起因するのでしょうから、
払拭は難しいだろうとも思うのです(キューブリック版『ロリータ』にて、スー・リオン曰く「だって、世の中ってそういうものよ」。ああいう言葉が彼女の口から、さも堂々と出てきてしまうこと。そしてジェームズ・メイスン演じるハンバート・ハンバートが十代の少年のようにもがき苦しむ姿の両方に、どうしようもなく人生の真実を感じてしまう)。
思い出しました
http://anond.hatelabo.jp/20071217225953
これもジョークだったりして。
素晴らしい言葉ですね。
勇気があれば希望も出てくる。
しょせん人生暇潰し。
昨今のテレビは「嗤う」ばっかり。
「ポジティブ」は自分の心持ちですね。「笑い」は他者への態度。
「笑う」人は他者から好かれる。「嘲う」人は嫌われる、ということかな。
私はこれに同意しません。ニワトリとタマゴのどちらが先かを問うのはナンセンスです。
つまり、「笑う人」が、「嗤う人」は笑っていないと見なせば、「嗤う人」は常に「笑ってない」。「嗤う人」が、「笑う人」は嗤ってると「批判して」も、「笑う人」は、常に「笑っていられる」んですよね。
結局、笑っていようが嗤っていようが「笑う人・1」になるか、正真正銘「笑う人・2(=批判精神のない人)」になって、「笑う人・1」に従うか、どっちかにしとけってことですね。私はそんなのは御免です。
私は、「わらう」か「嗤わない」か、状況に応じて選べる自由の中で「わらって」いたいです。「笑い」たくはありません。
×私は、「わらう」か「嗤わない」か、
○私は、「わらう」か「嗤う」か、
失礼しました。
軍部を哄う前にそんな哄う対象の専横を許した自分達を笑わなきゃいけなかったんじゃないかと
「笑え」というのではなくて、群れて「わらう」ことも良いと思いますが、個々人で「憂い」を吹き飛ばす方法や「笑う」ことのすばらしさを教えるのも手かと思います。
怒りは結構強い原動力になるんですが、怒るのを恥とする風潮がそれを「嗤う」に転換させているでしょう。
まあ、情動の無制限な発露を抑えたほうがいいと老人が言いたくなる気持ちはわかりますけど、根本原因を取り除くべきとか、代償行為で発散させるとか、無責任な情動の発露に対する代替案については面倒くさがって教えなかったんですよね。
単に「黙れ」ですませ、それに従い内面にためこんだら嘲笑が出る方向にひねくれますわ。
更に30年経てば90歳、です。
考えてみたら人生なんて、
あっという間ですな。
私は真実だと感じていますが
100人が100人同意できるわけではないのが辛いところですよね。
人間はみな幸福になる権利がある。
けどなぜか自ら望まない人もいるわけで。
幸福の定義などを言い出したらあっというまに還暦でしょう。
年を取るとつい疑り深くなってしまうのがやっかいなところ。
ここはいっそダマされたと思って笑うだけでもいいのでは?
笑わずに幸福になる人
他人を嗤って幸福になる人
いるように思えます?
今年の頭に赤木論文が初めて世に出た時はインパクトありましたね。
論座の1月号でしたかね。
単行本が出たことによって赤木氏の認知が拡大しましたね。
赤木論文をバックボーンの薄い人が読むとそういう風に捉えるのかというのがよくわかり勉強になりました。
論座の7月号の萱野稔人氏の赤木論文の解説を一読されることをお勧めします。
彼女が「笑いと治癒力」を書いたノーマン・カズンズさんのところで暮らしていた、というのも連想された理由かも。
そういえるのは笑える状況にある人間だけだよ。
もう自分を嗤うしかない状況に落ちてるやつには無理。
あまりに酷過ぎる。
そうむきにならんでも。実はこれ↓のアフィリなんだよ。
http://www.sony.jp/products/Consumer/DSC/DSC-T200/feat1.html
これからも、同氏鋭筆の健やかなりしこと、蔭ながら願っております。
これからも、同氏鋭筆の健やかなりしこと、蔭ながら願っております。
自分の人生が失敗だったから戦争起これ
世界滅んじゃえというのはワロタ。
笑いはありますよ。
ワロタですまなくなるというのが現在の空気なわけですが。
「貧富の格差が広がるときその社会が滅びるのは歴史を見ればあきらかだ」金持ち父さん
笑わないから不幸せになり,不幸せだから笑わないという悪循環に陥っている二種類の人がいると思うんだけど,
悪循環はどうやったら良循環になるんだろうね.
という大好きなセリフがあるのですが、自分も含め哂う人というのはゆるくねぇ時に泣く奴なのかもなぁと思いました。
シャアのコスプレ芸人みたいなもので、
歴史の教科書の中で死滅したと思われていた、
疎外されたルンペンインテリが草の根ファシズムで
戦争を待望する(既存の左右をすべて否定する)様を
記号として演じてみせただけ。
思想コスプレとわかっていて、話題に事欠いた
論座あたりが取り上げただけ。
本人も、周りの出版人も本気で何かを考えているの
わけではなく、手軽に儲ける手段としてやってるんだろう。
これ読んで真面目に考えるワープアさんがいたら
それこそかわいそうだが。
記号を演じて既得権(出版産業の思想職人)に紛れ込んだ
小狡さをプロの思想家はいちいち誰も指摘しないのは、
馬鹿馬鹿しいからだろう。
そもそも団塊世代は嗤っていたのではなく
笑っていたという証拠が何一つ示せてないし
笑う角には福来るという根拠も何も提示されてない。
あくまで結果論で、これも典型的な赤木氏の言う
俗流若者論の一つ。
赤木氏がデーターを駆使して俗流若者論の愚かさを
叩いたのに比べ、この読者は一体赤木氏の何を
読んだのか? 読者がこれじゃ赤木氏も脱力するだろう。
小島よしおさんとか。
(まだ書く)
聖書とか、持っているだけで笑えますよね?
セクシーすぎるから。
でも結局、今度はうまく笑えるヤツと笑えないヤツで差がつくんでしょ。
でも、それは仕方が無い。格差は仕方なし。
しかし、「笑い」なんて授業あったか?
学校教育と社会で必要とされる力が違うなんて無茶苦茶だ。
南の経済的貧苦に苦しんでいる国には経済支援なんて辞めて「笑い」を輸出しよう!
どう考えても嗤われる。
逆に「自分を笑う」というのは、「他人はさておき自分はこうだよ、バカと言いたきゃ言っとくれ」と、自分の足元から語り出していく態度だろうと思う。「自分はしょせんそんなもんだ、でもそれでいいよ、それでやってくよ」って気持ちが、自分自身を救う第一歩じゃないの?って事。
人が作ったものを貶すのは簡単だけど、代替案を出せと言われたら皆黙ってしまう、みたいな話で、代替案を出すのは自分を語るに等しいから、恥ずかしいし「お前そんなこと考えてんの?バカじゃねーの」と見下されるかも知れんけど、「うーん、俺ってバカだよね」と笑いをバッファに、自分を語り出してった奴が最後には自分を救うんだろう。って話で。
「笑う」ことが、具体的にどのようにワーキングプアを解決することになるのか? ほんとに意味不明の言説。何いってんの?
近所のお兄さんやおじさんが再チャレンジもままならない若者を励まそうとする程度の言葉ならともかく、多少なりとも社会に影響力のあると思われる小飼さんの発言としては、もう少し重みのある示唆を含むものであって欲しいと思いました。雇用における新卒重視、年齢、そして女性差別は、理不尽に一部の国民の将来を暗いものにしています。
あの人は書きたい放題書いているところがありますが、根底にあるのは「笑い」であって決して「嗤い」でないですね。
シェークスピアは「笑顔」というものの醜い本質を見抜いていた。
One may smile, and smile, and be a villain;
「笑顔を浮かべ、笑顔を浮かべて、人は悪党でいられるのだ」
(『ハムレット』第一幕第五場)
There’s daggers in men’s smile;
「人の笑顔の陰には剣が隠されている」
(『マクベス』第二幕第四場)
(訳文は共に拙訳)
彼らに欠けているものは心からの「怒り」であると思う。
軍部の専横を許したのは、日本人のメンタリティそのものが「右翼的」だったからではないのか。
На зеркало неча пенять, коли рожа крива.
「自分の面が曲がっているのに、鏡を責めても無駄なだけ」(拙訳)
(ゴーゴリ『検察官』冒頭)
「敵」の顔、それは鏡に映る己自身の顔に他ならない。
Seem a saint, when most I play the devil.
「おれは聖者さまに見える。一番悪魔でいる時にな」(拙訳)
(シェークスピア『リチャード三世』第一幕第三場)
He jets at scars that never felt a wound.
「ひとの痛みをあざけるのは、傷の痛みを感じぬ奴だ」(拙訳)
(シェークスピア『ロミオとジュリエット』第二幕第二場)
That, by killing of villains,
Thou wast born to conquer my country.
Put up thy gold: go on, -- here's gold, -- go on;
Be as a planetary plague, when Jove
Will o'er some high-viced city hang his poison
In the sick air: let not thy sword skip one:
Pity not honour'd age for his white beard;
He is an usurer: strike me the counterfeit matron;
It is her habit only that is honest,
Herself's a bawd: let not the virgin's cheek
Make soft thy trenchant sword; for those milk-paps,
That through the window-bars bore at men's eyes,
Are not within the leaf of pity writ,
But set them down horrible traitors: spare not the babe,
Whose dimpled smiles from fools exhaust their mercy;
Think it a bastard, whom the oracle
Hath doubtfully pronounced thy throat shall cut,
And mince it sans remorse: swear against objects;
Put armour on thine ears and on thine eyes;
Whose proof, nor yells of mothers, maids, nor babes,
Nor sight of priests in holy vestments bleeding,
Shall pierce a jot. There's gold to pay soldiers:
Make large confusion; and, thy fury spent,
Confounded be thyself! Speak not, be gone.
(シェークスピア「アセンズのタイモン」第四幕第三場)
訳は付けなかった。原文のままで味わってもらいたいからである。信じていた友人達に裏切られ、人間呪詛の道を選んだ主人公タイモンの、偽善に満ちた社会への怒りが感じられる。これこそ真の「希望は戦争」であろう。
死体は皆親指に針金のついた札をぶら下げてゐた。その又札は名前だの年齢だのを記してゐた。彼の友だちは腰をかがめ、器用にメスを動かしながら、或死体の顔の皮を剥ぎはじめた。皮の下に広がつてゐるのは美しい黄いろの脂肪だつた。
彼はその死体を眺めてゐた・・・。腐敗した杏の匂に近い死体の臭気は不快だつた。彼の友だちは眉間をひそめ、静かにメスを動かして行つた。
「この頃は死体も不足してね。」
彼の友だちはかう言つてゐた。すると彼はいつの間にか彼の答を用意してゐた。――「己は死体に不足すれば、何の悪意もなしに人殺しをするがね。」しかし勿論彼の答は心の中にあつただけだつた。
(芥川龍之介『或阿呆の一生』)
自分だけは「安全地帯」にあって、「殺す側」に立ちたがる輩の何と多きことか。
馬鹿丸出しで日本の恥
これだけTV見てイライラする人物は生まれて初めて見た。
不満しか言えない何も出来ない人間なら…
自信がリーダーとなり新しい国を作れば?それぐらい出来るなら認めてあげる。とりあえず生き方ダサい
… 年配の方への年金を無くしてお金を回せばいい的な発言してたけど………
馬鹿じゃない? 笑
ホント日本全体が 一斉に 馬鹿じゃない?って思ってますよ…
政治分からんと物しゃべらないで下さい!!
鬱陶しです。


