2007年12月20日 15:45 [Edit]

私自身が知らずに取っていた燃えつき対策

なぜ燃え尽きたアーティストは屍さえ拾ってもらえないのか

瀬名秀明の時空の旅: 仕事で燃えつきないために - 対人援助職のメンタルヘルスケア
さて、実は作家というのもひとつの援助職であり、だからこそ「燃えつき」が起こるのではないかと私は考えている。

同感、であると同時に、しかし他者にケアを求めるのもまた難しいとも思う。

その理由は、二つある。一つは作家自身に内在し、もう一つは作品発表の場という環境に起因する。

燃え尽きるのは、実は気持ちがイイ

アストロ球団」ではないが、消化試合が制度的に許されているゲームでさえ、プレイヤーというのはそこで燃えずにいられない。試合開始前は「尽きたくない」と思っていても、試合が燃えれば尽きるかどうかはどうでもよくなってしまう。

この自らを燃やす快感というのが、作品を生み出す原動力としてかなり強烈であることは、何かを作ったことがある者であれば誰でも体験したことがあるはずだ。そういう状態になると、体が焼けていることに気がつかない。いや、自らの肉のこげる匂いさえ香ばしく感じたりする。忘我の境地というのは別に悟りなど開かなくても案外簡単に来てしまうもので、そしてそうなってしまうと釈迦でもない我々はアッサリオシャカになってしまう。

「おまえが燃え尽きても、他に燃えたい奴はいくらでもいる」

作家自身でさえそうなのに、マーケットという環境がさらに追い打ちをかける。たとえ一回で燃え尽きてもいいから試合させてくれというものは、実際に試合に参加できる者より圧倒的に多い、いや、多かった。試合の数はあまりに少なく、選手志願者はあまりに多い。

そういう状態においては、試合の興行主としてはわざわざ燃え尽きた選手をケアして「仕立て直す」よりも、次の選手を迎え入れた方が安上がりである上、試合も面白くなる、という考えにどうしても傾く。

そうしたあげく、他者にケアを求める作家には、灰のような答えが返ってくる羽目になる。

「お前が勝手に燃えたのだ。我々の感知するところではない。話は以上。次の応募者を面接しなければならないのでね」

完全燃焼が期待される世界で、炎を絶やさぬにはどうしたらよいか

まあ、人に寿命がある以上、いつか比喩抜きで燃え尽きるのは仕方がないとしても、短いようで意外と長い人生の火をどうやって消さずに生きていくかというのは、ちょくちょく考えざるを得ない問題だと思う。

よいこには真似できない冨樫メソッド

その一つとして紹介されたのが、冨樫メソッド。

 冨樫義博は燃えつきない。 - Something Orange
もし、かれが休まずたゆまず働いていたなら、すでに燃えつきてしまっていたのではないだろうか?

しかし、これは真似しやすそうで真似出来ない。冨樫メソッドが成り立つためには、「そこで燃え尽きても、再充電が終るまで誰も焼け跡を占拠しない」という何らかの保証が必要になるが、そういうニッチというのは滅多にない。冨樫義博の場合は「Hunter x Hunter」がそれに当たるが、なぜ誰もHunter x Hunterの世界どころかグリード・アイランドすら占領できないかといえば、そこを手練のハンターたちが守っているからではもちろんなく、そこの神が冨樫であると、占拠したいものすら認知せざるを得ないからだ。

この世界は未完なので、まだまだ「燃料」はいくらでもある。しかしその燃料に火をつけるマッチを持っているのは冨樫だけなのだ。だから鎮火しても火事を見物しに来たものたちは待つしかない。

自ら占有権を持ちながら、他者が訪れずにいられない世界を手にしたものは、強い。しかしそういう世界を手に入れるのは、実に難しい。意図してできるものではまずないだろう。真似したくても本人すら真似できないのがこのメソッドであり、よってよいこは真似をしてはいけない。

燃えるわらじを複数持とう

その代わり、圧倒的多数が採用しているのが、「複数のわらじを持つ」というものである。瀬名秀明自身がSF作家からサイエンス・ライターに転じた理由もほぼ間違いなくこれで、海堂尊が医者をやめない理由もおそらくこれで、卑近ではあるが私が年々何者かますますわからなくなってきている理由もこれである。ただし、私の場合は本人がこれを書くまで前頭葉で知っていたかどうかは定かではない。

このやり方の優れているのは、ある職業上における燃え尽きが、本人の燃え尽きに直結しないことである。だからある程度遠慮なく燃え尽きることが出来る。そして面白いことに、その燃えた灰は、(次|別)の職業における肥やしに確実になるのである。こうして焼き畑と転作を繰り返していけば、火が尽きることはない。

そしていつかは、ペンペン草も生えぬほど燃やし尽くしたはずの畑の地力も回復している。もちろんそこには別の占拠者がすでにいる可能性だってあるが、意外と一度焼かれた畑には占有者はやってこない。まだ地力が回復していないうちにそこを下見して諦めてしまう公算が大きいからだ。そうなったら、そこでまた燃え尽きてみるもよし、気のおけない誰かにその畑をゆずるもよし、だ。

自信があるから、実力があるから何足もわらじを履くのではない。臆病だからそうするのだ。

そして、長生きするのは、いつだって臆病者なのだ。

作家瀬名秀明は、その意味で当初勇気がありすぎたのかも知れない。後の沿革を見れば、作家専業になるというのは燃え尽きを早めはしなかったか。隣にサイエンス・ライターという別の畑があったのは、ファンにとってもご本人にとっても慶ばしいことであった。

それでも、

瀬名秀明の時空の旅: 仕事で燃えつきないために - 対人援助職のメンタルヘルスケア
たとえば私の場合、すでにSFに関しては燃えつきてしまったと思う。SFに関しては何をやっても「あいつは仲間内でないから」という理由によって否定評価しか返ってこないわけで、つまり私はSFに関しては、SFへの対人関係に失敗し、とうの昔に燃えつきて死んでしまった。

というのを見ると、一言申し上げずにいられない。

この畑、まだ空いてますよ、と。

ご本人はまだ地力が回復していないと見ているし、またそこで作物を育ててもすぐにイナゴに食い荒らされるとうんざりしているのかも知れないけれども、私は未だ「パラサイト・イヴ」や「Brain Valley」の芳醇な味が忘れられない。そして、今なおこの畑は放置されたままなのである。

慌てず騒がずお待ちしております(結局これが言いたかった)。

Dan the Man with Too Many Trades -- or Is it Too Many?


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この記事へのコメント
ぬぽさん、
私はタイポには自身があります:)
todoさん、
あれまほんとだ。ありがとうございます。
Dan the Typo Generator
Posted by at 2007年12月20日 19:21
海堂尊の前のaタグを閉じ忘れているようですよ。
Posted by todo at 2007年12月20日 17:47
タイトルはtypo?
私自信→私自身
Posted by ぬぼ at 2007年12月20日 16:36