2007年12月28日 05:00 [Edit]
神作を超えた人作 - 画評 - イティハーサ
年末年始というのは、大作を読む絶好の機会でもある。
そう、本作のような。
本作品を「 404 Blog Not Found:画評 - 短完漫画101冊」に入れてしまったのは、ずいぶん失礼なことだと反省している。罪滅ぼしをかねて改めて紹介しなおしておきたい。
本作「イティハーサ」は、一言で無理矢理要約してしまえば、二元論の物語である。
女と、男。透�俟(トウコ)と、鷹野。
陽と陰。陽石(アカイシ)と陰石(カゲイシ)
正と、邪。透�俟と、夭�俟(ヨウコ)。
善と、悪。亞神と、威神。
光りと、闇。律尊と、鬼幽。
神々と、人々。神々と、戎士(ジュウシ)。
見ゆるものと、見えざるもの。不二(フジ)と、永久蛇(トワダ)。
平和と、発展。無有(ムウ)と、有蘇耶(アスカ)。
調和と、反調和。宇宙と、人。
一神と多神。世界と、日本。
これだけ壮大な物語が、「わずか」文庫版七巻。なんという密度だろう。少女漫画には、こうした中性子星やブラックホールにたとえたくなるほど「短くて密」な作品が多い。思えば「地球へ…」もそうだった。
本作でまずため息が出るのが、その絵の稠密さ。どのページ、いや、どのコマを取っても、一枚の絵画として成り立つほどの描き込みがなされているのだ。本作には点描が実によく登場するが、一つも無駄な点がない。これは文庫版でも確認できる。文庫版をこの品質で印刷した早川書房は、これがとてもよくわかっている。この点一つとっても、読むのであれば借りずに買っておきたい。
それが、3,000ページである。連載が十年を超え、そしてコミック版最終巻が描き下ろしになるのも当然すぎる。このクォリティの絵を、平均すれば一日一枚以上描くというのがどういうことなのか。絵心のない私は、威神の前の戎士のごとく、ただ崇めるばかりである。
この絵だけでも圧倒されるのだが、さらに驚くのは本作は作画と原作が別れていないことである。昨今の漫画で絵も話もよしというのはDEATH NOTEに限らず原作と作画が分業しているのがむしろ当然なのに、作者は本作を(アシスタントがいるので)事実上一人でやってのけた。
それは、陰石を纏いながら生き続けるほど辛いことだったに違いない。しかもその辛さを、作者は一人で受け止めなければならない。そしてそこまで辛い思いをしたとて、理解されるとは限らない。信じがたいことに、本作は打ち切り作品なのだ。それでも作者は、最終巻を丸ごと描き下ろしてまで本作を描き切った。
作者は、最終巻のあとがきでその心境を実に正直にうちあけている。
今だから言えることですが、正直に告白すると、文庫化が決まった時点では文庫として出版してもこれ以上の読者に手に取っていただける自身はまったくありませんでした。その時点でわたしが得ていたイティの評価は『掲載誌に切り捨てられた作品』だけでしたから(笑)
そう。作者は人なのだ。神ではなく。
その人が、神を克える。人だからこそ、神を超える。
それが本作を貫くテーマであり、そして作者はそれを自ら生きた。透�俟と鷹野が、そう生きたように。「イティハーサ」は、作品の名であると同時に、作者の神名(カムナ)でもあるのだ。
本作を読むというのは、単にページをたぐることでもなければ、絵を鑑賞することでもない。この神名を授かることなのだ。
私は無宗教というより無神論者である。ただし atheist ではなく agnostic ということにしてある。無宗教ゆえどんな宗教もいいとこどりにしてきた日本人の中にあって、KY(笑)と言われて当然なほど宗教とは距離をおいてきた。そんな私も、本作の前では神なるものを感じずにはいられなかった。それを自然に受け入れられたのは、本作が強き神を人が崇めるのではなく、弱き人が神を克える話であったからかも知れない。楽園を失ったのではない。楽園を自ら捨てたのだ。
人は弱くて、強い。正視することすらかなわない存在をも、乗り越えることが出来るのだから。
神を信じない私も、そのことは信じている。
Dan the Mortal, Weak, and Human
この記事へのトラックバックURL
「樹魔・伝説」のころから、水樹和佳子さんってすごいなと思っていました。 難波弘之の「センス・オブ・ワンダー」に収められている、「樹魔・伝説」のイメージを曲にした作品が好きでした。
