2008年01月04日 19:00 [Edit]

blog書評のためのクソ本対策

東京に先ほど戻りました。年賀状もたくさん頂きました。年賀状に関しては「発信しないけど返信はする」というポリシーでやっておりますので、返事はこれからということになります。

で、本題。

書評サイトとしての本blogは、ノンフィクションが強くてフィクションが弱いのですが、これだけは言えます。

書評サイトに対する作り手側の視線 - ラノ漫?ライトノベルのマンガを本気で作る編集者の雑記?
作り手側も人間ですので、書かれるなら宣伝になることを書いてほしいし、書評は的を射ていてほしいし、それもできることなら誉め言葉であってほしいと願っています。いいものが描けたときは話題にしてほしいし、調子が悪かった時はスルーしてほしいのです。

少なくとも売り上げの点から行けば、もっともダメージが大きいのはスルーされること、だと。


本blogの場合、時には献本いただいたものでもダメと言います。去年の例だと「女の敵」や「ほんものの日本人」がこれに相当します。確かにこれらの本は「褒めた本」ほど売れないのですが、それでも「全く取り上げなかった」本よりは相当売れます。本blogの場合、取り上げた本は確実にbreak evenしますが、取り上げなかった本は、2冊以上売れることさえ稀です。

たしかに、フィクションとノンフィクションでは、書評のあり方も違っていていいとは思います。「つまらない」のではなく「そりが会わない」ということもフィクションの場合はありですし。しかし、本の売れ方に関しては、

  1. ホメ書評
  2. ダメ書評
  3. ノー書評

というのにフィクションとノンフィクションの差は見られないのです。本blogは確かにフィクションに関しては取り上げることも少なく、それ故「ダメ書評」も多くはないのですが、それでもそういい切れる程度にはフィクションも売っております(cf. Amazon総決算2007)。ラノベに限っても、「みーくんまーちゃん」シリーズと「人類は衰退しました」シリーズはかなり売れてました、いや過去形でなく今年に入ってからも売れてます。

確かに、ダメ書評は関係者にとって心理的ダメージは小さくないと思います。しかしよく考えてみて下さい。「ダメ」だというのもまたアテンションであることを。そしてこれだけ出版物も書評サイトもある現在、このアテンションこそが最も貴重な資源であることを。ダメだと言われるのは、何も言われないよりずっとましなのです。「クソ本」という表現を流行らせた日垣隆は、「三割の読者にダメと言われるのが理想」と言っていますが、「売り手」としてこれは肌で分かります。

「ダメ」の一言を言うのだって、手間暇がいるのです。本当につまらない、取るに足りぬものであれば何も言う気が起きぬほど。

そこのところを、よろしくお願いします。

Dan the Book Reviewer

追記:目下の悩みは、「結果的に」スルーになってしまう本が多いこと。意図的にスルーなのか過負荷ゆえにスルーなのかは本blogの読者から見ても区別がつきませんから。


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下手な鉄砲数うって本を読んでいると、「ありゃりゃ」本に出会うこともあります。 私は基本的にそういう本は途中で読むのをやめて、ブログ??.
ネガティブ書評について考える【ビジネス書 多読メモ ☆私が読んだビジネス書を紹介します☆】at 2008年01月05日 12:00
【概要】◆記事のトップに画像がない記事が延々と続き、いいかげん何とかしなくては、と思って、久しぶりに本を紹介しようと思っていたところ、小飼 弾さんが、こんなエントリを投下(汗)。 「blog書評のためのクソ本対策」:404 Blog Not Found そこで今日は、かつて...
【本】ネガティブ書評の5つのデメリット(私の場合)【マインドマップ的読書感想文】at 2008年01月05日 09:33
この記事へのコメント
>とおりすがり作家さん

仰りたいことは分かりますがね、それを素人書評家に求めるのは酷でしょうよ。

確かに大抵の書評は感情的だし、的外れな部分が多くある(とくに、すぐに既存の作品に結びつけて語るのは止めて欲しいよ。影響受けてねぇっつの)。
それでも取り上げてくれるだけでも有り難いのは、作家だったら分かるでしょ?
素人書評家に叩かれたくらいで書けなくなる奴は、遠からず駄目になるよ。
そういう世界なんだから。
Posted by A at 2008年01月06日 20:18
いち作家からの意見のひとつとしてですが

褒め殺しの批評だけを求めているわけではありません
欠点があるなら知りたいと思っています
ダメだしおおいに結構です

しかし、ダメ出しの批評でも
浜村淳の書く映画評のような記事を読みたいものです

ネットを通して作り手本人が読むかもしれない、という心構えではなく
その批評記事をそのまま現実の本人の目の前で読み上げ聞かせる
(その批評内容に対する作家本人や周囲からの反応を真正面から受け止められる)
心構えで書かれている文章は、まったく違った印象の記事になります
素人批評の危なさは、その違いにあると思います
Posted by とおりすがり作家 at 2008年01月06日 18:45
作家(作り手)本人が「ダメ批評に凹む」と嘆くならともかく、
作家を守り鼓舞する立場であるはずの編集者が
「ダメ批評なら書かないで」と言い出すなんて、
そりゃ怠慢というものでは? と思いました。

ダメ批評が書かれたら、それを解釈し、
作家がダメージを受けないように気配りしつつ、
作家の創作活動に還元するのが編集者の仕事でしょうが。
(どうしても受け入れがたい批評だというなら、
 そのことを作家に説明・説得して、
 二人の間でその批評をスルーすればいい。
 そのくらいの信頼感・一体感は、
 編集者と作家の間にあるのではないだろうか?)

こういう人の発想が、
「競争はビリの人を傷つけるから、最後はみんなで手をつないで
 ゴールしようね」
とか言って、運動会からかけっこを排除したんじゃないかな、と思います。

Posted by zunko at 2008年01月06日 10:39
>もっともダメージが大きいのはスルーされること

褒める書評とけなす書評、どちらも商業的観点からは宣伝効果があるわけで(褒めるほうがけなすよりは効果的だが)、作品の知名度が上がるだけでもそれなりの効果は見込める。

作家のモチベーションに関しては、けなされて下がると思えば読まなければ良いわけで、その批判を受け入れ、より良いものを目指そうとする作家もあるであろうし、そんなことは書評する側は気にする必要は無いのではないか。

書評とは、公開された読者カードのようなものであるし、個人が個人の責任で発表しているものであるから、ケチつける必要も無かろう。

自らの作品に対する批判を拒否する者が、他者の書いた作品(書評)に対して批判するのもおかしい話ではないでしょうか??
Posted by hiro at 2008年01月05日 23:41
そうかなぁ?私はダメ書評の本はまず買わないけど(納得できればですが)。なぜって、どうせ多くの本が出版されているのだから、この本がなくても代わりはいるもの。

通りすがり氏の意見も一分あるけど、部分と全体の関係を考えれば、このブログのアテンション(≒売上)の延長線上が全体の売上であるとは必ずしも言えないのでは。
Posted by leva at 2008年01月05日 10:32
確かに、ダメ書評は関係者にとって心理的ダメージは小さくないと思います
Posted by abr at 2008年01月05日 05:02
>もっともダメージが大きいのはスルーされること、だと。
現在の刊行数から考えると、正しい意見だと思います。
ラノベなんて、月何十冊も出てますから。まーアマゾンの(役に立たない)レビューを見ると解るんですけど、レビューが付いている作品はホント一部の人気作品のみ。3冊で終了した作家のつまらない、まぁ、地雷は華麗にスルーがデフォですから。
作り手側は、書評の内容より、むしろどれだけ取り上げられてるかを気にするべきではないかと思いました。そーゆー検索サイトもありましたよね。確か。
余談ですけど、「スルーされてる=評価に値しない」ので、そんな低次元な作品は論外として最初から無視しているのかもー知れません。
Posted by 通りすがり at 2008年01月05日 04:07
「そこまでダメっつうなら買って読んでみよう」心理も当然発生します。やっぱりスルーが世にものを送り出した人は寂しいものだと。たとえ的を得たものでなくても「誤解は理解の第一歩」だと思いますがね・・・入魂でダメ、ノーがつらいのはわかりますけれど。
Posted by blog49 at 2008年01月04日 20:43