2008年01月07日 18:30 [Edit]

好きになることを好きになる

でも、その「好きなこと」もまた変わってくんだよね。

仕事について考える(2) 〜 プログラミングより大事なこと - 将来が不安
「プログラミングは好きなの? 嫌いなの?」と問われれば、それはもちろん、一週間ずっとコード書いてられる程度には好きですね。でも、それ以上に大事なことがあるんだよな。それは「自分で仕様を決める」ことです。つまり、自分が納得する、自分が本当に良いと思えることを実現すること。それが出来ないなら、コードなんて書く気にならない。わがままですか、すみません(涙)。

私の場合だと、例えば Perl と JavaScript 。今や私が最もよく使うプログラミング言語。でも、これらの第一印象ときたら、ひどいものだった。例えば Perl 5は

PerlでOO?何そのJoke

だったし、 JavaScript は

JavaScriptはOffにしとけ

だった。どちらも好きになったのは、いやいやながらもつきあっているうちに自然とという感じで、好きになった瞬間は思い出せない。

私が長く好きであり続けているものは、むしろそんな、最初は嫌いだったものが多い。だから私は「人は見た目が9割」を信じていない、というより反対向きに信じている。嫌いなのに、つきあいが続くというのは、そこに何か秘密が隠れているからだ。それを知りたい。そしてそれを知ろうともがいていると、いつの魔に好きになっている自分がいる。

これの最たるものが、女性だったりもするのだけどね。

そうこうしているうちに、むしろ好きなものが多すぎて困っているといえば困っている。体は一つしかないし、目も手も二つしかない。人生長くないのだし、それなら好きを貫いてよそ見はしない方がいいはずなのに、そうならない。

けど、あなたのentryを読んではたと気がついた。

私が好きなのは、好きになること、好きになっていく過程そのものにあるのだ、と。

もちろん、今の私にもどうしても好きになれないものはたくさんある。寿司は何度挑戦しても駄目でさすがに諦めたし、PHP萌えな自分というのは考えがたい(笑)。JavaもGenericsがもっと早く出ていれば好きになったかも知れなけど、待たせている間にC++がずっと好きになってしまった。さすがにそういうものまで無理矢理好きになろうとは思わないけども、一つ心がけていることがある。

それは、よほどのことがない限り、「絶交」しないこと。

仕事について考える(2) 〜 プログラミングより大事なこと - 将来が不安
でも、私は簡単に仕事を辞めてしまうジョブホッパー。そんな社会不適応な人間が、わがままを通せる仕事に就く事が出来るか、という問題ですね。

ジョブホッピングに関しては私には実績がある。しかしどの場合も、前職と絶縁するというのはなかった。実は一番絶縁に近かったのが某社のCTO職で、絶縁ではないけど絶交。これは元役員という職種上やむえない措置。べたべたしていたらインサイダー取引になりかねない。別れる以上はだらだらつき合ってはお互いに時間の無駄というものだけれども、「縁」ぐらいは残しておいてもばちは当たらないし、手間も暇も食わない。

「社会不適応」、私もそうだと思っていたし、多分その通りだとも思っているのだけど、その一方で私はこうしてきちんと生きている、生きているどころか妻子もいて成金にもなった。もし本当に社会不適応だとしたら、この社会はずいぶんとアホでマヌケだということになるけれども、それは社会に対してずいぶんと失礼な言い草になってしまう。社会は、あなたや私が感じているほど実は狭苦しいものではないはず。

「わがまま」、我が侭、われがまま。でも「われ」って何?その「われ」って明日も「われ」?あさっては?1年後は?10年後は?。明日の自分が何が好きなのか、自分にはとてもわからないんだよね。少なくとも私にはわからない。わがまま、というのはその意味で「自分勝手」というよりは「この瞬間の自分に固執」することだとも思う。

結局「不安」というのは、明日の自分の居場所が、今日自分がいる場所にどれだけ離れてしまうかという気持ちに過ぎないのではないか。それなら、今日の自分の居場所に賢明になるより、明日の自分の居場所として許せる範囲を広げた方が安心なのではないか。

だから、今自分がどこにいるかは正確に把握しても、自分が何者なのかというのはあえて決めてしまわない方がいいんじゃないかな。

孔子は「四十にして惑わず」といった。私の場合、あと二年弱。だけれども、惑いは年々大きくなるばかり。でも不安じゃない。もしかして、惑うことそのものに惑わないのが「不惑」ということなのではないかなと今ではぼんやり感じている。

Dan the Rolling Stone


この記事へのトラックバックURL

この記事へのコメント
好きとか嫌いとか関係なくて、手段に快楽がないと結果に納得しないのはほぼ職業病。
キモチ良くなきゃガキなんぞ作らんのと一緒。
Posted by お at 2008年01月09日 09:35
s/いつの魔にか/いつの(間|ま)にか/

他の人が惑うことを責めなくなるのが四十。
Posted by hyuki at 2008年01月09日 01:31
孔子はええかっこしいじゃからのう。
四十になっていい大人が迷ってる姿ってチョーダサ、カッコワリ〜、
甲斐性なし〜、非モテ!
とLEONたちをアジってみただけじゃ。

Posted by 老子 at 2008年01月08日 17:14
> 惑うことそのものに惑わない

迷うのが日常になるだけですよ。

迷いがあるのが人間です。
Posted by おごちゃん@44歳 at 2008年01月08日 14:22
風浦可符香には迷いがない。
絶望先生より絶望しているからだと思う。

わたしも寿司はニガテです。
サシミもお米も好きなのに。
Posted by haineko2003 at 2008年01月08日 07:34
実は一番絶縁に近かったのが某社のCTO職で、絶縁ではないけど絶交
Posted by Xixi at 2008年01月08日 05:59
>孔子は「四十にして惑わず」といった。私の場合、あと二年弱。
0x40歳まではまだあったかと
Posted by   at 2008年01月07日 20:34
私も今気が付きました。

> 私が好きなのは、好きになること、好きになっていく過程そのものに
> あるのだ、と。

私も、そうだ、たぶん。

> よほどのことがない限り、「絶交」しないこと。

私も、そうだ、たぶん。
Posted by baa_baa at 2008年01月07日 18:43