2008年01月15日 06:30 [Edit]
決意<決心<決行
僕は引きこもりになる決意もしていないし、ブログを書く決意もしていない。
確かに、私もプログラマーになるという決意は今まで一度もしたことはなかったし、成金になる決意に至ってはその逆なら何度もあってもそうなろうという決意は一度とてなかった。しかし、体は確かにそういう方向に向いていた。
なんだか、受動意識仮説の傍証みたいだ。受動意識仮説というのは、「まず意識してそれに沿って体が動く」のではなく「体が動いてその結果意識が生じる」という仮説。詳しくは「脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?」を参照のこと。
それでは、受動意識仮説のもとでの意識のごとく、決意なるものが幻想かというと、そうも言い切れないと思う。行動があって意識があるとか、意識があって行動があるとかというよりは、この二つはループになっているのである。行動を意識がモニターし、その結果「どちらに行くか」を「決意し」、その決意が行動にフィードされる。
「ダメ決意」というのは、要はこのループが切れているだけのことではないのか。
「決意を行動に転化する」という点では、やはりこの人が真っ先に思い浮かんでしまう。
年収10倍アップ時間投資法 P. 164私は、毎年十二月に次の年の予定を立てるのですが、二〇〇六年の年末に立てた二〇〇七年の予定の一つが、「十万部売れる本を出す」ということでした。そして、もちろんこれを手帳に書き込みました。
ここで注目してほしいのは、「十万部売れる本を出す」は「目標」ではなく「予定」だということです。
「それは勝間和代だから」と言うなかれ。むしろ「決意の弱い」人こそこれを真似るべきなのだし、だからこそ勝間本は次々ベストセラーになるのだと言える。もっとも、その内容を実行に移せる人がどれくらいいるかというのはこれまた別問題でもあるのだけど。
私の場合、むしろ書いてしまうと決意が鈍る傾向がある。私の場合書くという行為は、「忘れてもかまわない状態にする」、すなわち頭を空にするという理由が大きく、「決意しなければならぬ」ほど重要なことは、書いて安心してしまうことが不安なのだ。だから、具体的な諸元、たとえば日時とか場所が決まっていることは予定表に書くが、そうでないことは一切書かず、自らの忘却力にまかせている。それでも忘れられない不安であれば、その不安にせき立てられるように体が行動してくれるのだから。
このあたりの間合いの取り方というのは、人それぞれだろうけど、大事なのは、にわとりが先かたまごが先かを問うことではなく、たまごをにわとりにすることと、にわとりにたまごを産ませることなのだろう。
にわたま談義は、とりあえず鶏肉と鶏卵を充分確保してからでも遅くないのだから。
Dan the Practical Procrastinator
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行動>決意
ではないかと。
イチロー、羽生等の例は、決行といえるほどの(覚悟を前提とした)行動ではなく、親にやらされた、何となく興味を持ってやり始めたといったレベルのもの(重要な意思決定によるものではない)だと思うので。。。