2008年02月11日 08:00 [Edit]
生き抜くって手を抜くことなんですか? - 書評 - 生き抜くための数学入門
「スゴ本」のこの記事を見て買ったのだけど....
わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 数学ぎらいは幸せになれないか? 「生き抜くための数学入門」ちょうどいい本が、よりみちパンセから出ていた→「生き抜くための数学入門」。中高生をターゲットにして、分かりやすく「数学とは何か」を説明している。
だめだ。これはあきまへん。
- 1回めの授業 - かけ算を宇宙人に教えよう
- 2回めの授業 - 数学的な構えをチェック
- 3回めの授業 - 俳句の可能性は無限大か?
- 4回めの授業 - 億万長者になる方法
- 5回めの授業 - 国語と数学のふかい関係
- 6回めの授業 - 数直線は変な線(前編)
- 7回めの授業 - 数直線は変な線(後編)
- 8回めの授業 - 四角形って何だっけ
- 9回めの授業 - ゲームを定義する
- 10回めの授業 - かけ算の筆算はなぜ正しい?
- 11回めの授業 - 累乗のこわさとおもしろさ
- 12回めの授業 - あんなグラフ,こんなグラフ,どんなグラフ?
- 13回めの授業 - 計算できない関数
- 14回めの授業 - みんなだいっきらいな三角関数(前編)
- 15回めの授業 - みんなだいっきらいな三角関数(後編)
- 16回めの授業 - 博士の愛した数式に挑戦!
- 最後の授業 - 数学があきらかにするもの
ところが、後の方に行くにつれ、本書はどんどん「理解型」になっていき、三角関数のあたりまでいくと、それが「理解型」の代表(とされる)高校の教科書よりもひどくなり、そして最後の「博士の愛した数式に挑戦!」になると、「理解型」の生徒すらおいてけぼりを食らうような端折り方になる。これじゃソードマスターヤマトの最終回だよお。
その前段階として、まず著者は15回目の授業で sin と cos をテイラー展開(この場合f(0)なのでマクローリン展開)するのだが、
の二つが何の説明もなしに出て来て(いや、それが「テイラー展開」という名前だというのは出てくるけど、出てうちに入らない、肝心の
が出てこないのである。それもそのはず、それ以前に sin と cos の微分が出てこないのである。
みなさん、これで納得がいってるんですか?Amazonを含め、Webに上がっている書評でこの点を指摘しているものが見つからないんですが。
オイラーの公式は美しい。しかしそれは「わけがわかんないけどとにかくすごい」のではなくて、「地道に泥を丁寧に取り除いたら、中からこんな美しい宝石が出て来た」という美しさだ。なんでこういうごまかし方をするんだ!私だったらぐれるよこういう教え方されたら。
実はこのことを、私は「博士の愛した数式」を書評した時にも批判している。
404 Blog Not Found:数式が愛した文学うーん、正三郎さんをはじめとするファンにはちょっと申し訳ないのだけど、文学的な美しさに比べると、やはり数学的な美しさの部分が、これでもまだ「なめらかでない」と私は感じてしまった。
皮肉にも、それを一番感じさせるのが数式美コンテストをやれば一位を必ず争うはずの、e^iπ = -1 の扱い。「江夏の背番号」と比較して、唐突度が高いのだ。
なんでマイナスとマイナスをかけるとプラスになる理由をあれほど懇切丁寧に説明しているのに、「オイラーの贈物」がソードマスターヤマトなのだろうか。数学でつっかえるのは、なにもマイナスどおしの掛け算ばかりではない。数学には、つっかえやすい踊り場というのがいくつもある。そしてどこでつっかかるかは人それぞれ。妻も三角関数でつっかかった。「数学でつまずくのはなぜか」でも指摘されているように誰だってどこかでつっかえるのである。
なのになんで「早めにつっかえやすい」ところばかり皆強調するのだろうか。早めにつっかえるので、体験を共有している人が多く、それゆえ売り上げにつながるからだろうか。
私は、本書の展開が後の方に行くほど乱暴になっていくことを、著者が自覚していることを確信している。どんな事情があったかは知らない。「ソードマスターヤマト」のような、打ち切り最終回三ページ的な展開が編集者とあった可能性もかなりあるだろう。しかし本書は「ギャグマンガ日和」ではないのだ。本書のページ数が倍になってでも、最初のペースを最後まで保つべきではないかったのか?
というわけで私の感想は以下のようにまとめられる。
「先生の次回作にご期待ください」
Dan the Mathphilia
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ITブログの船場吉兆やあー!
久しぶりに辛口書評やって信頼取り戻しとくか、
叩いても売れそうな献本もねーし、
他人のブログに載っかっとくか!」



