「ニッポン地下観光ガイド」はアスペクト貝瀬様より、「Core Memory」はオライリー矢野様よりそれぞれ献本御礼。ただし前者の方は自腹で先に買った分もある。

一冊づつでも充分楽しめるのだけど、こうして二冊「マッシュアップ」して眺めると、また別の感慨も湧いてくる。

ニッポン地下観光ガイド」も「Core Memory」も写真集。写真集というのは美しいものを愛でるためにある。この点に関しては、美術品の写真集も熟女ヘアヌード写真集も変わらない。写真集は高くてかさばることもあって私は今も昔もそれほど買わないのだけど(その代わり図書館で借りれるものは片っ端から借りていた)、今回取り上げる二冊はたとえ献本がなくても買っていたと思う。ある意味、両書は「人造物の写真集」の両極端にあるからだ。なお、今回は双方とも写真集ということで目次は省略する。

「ニッポン地下観光ガイド」は、日本の地下構造物の写真集。戦前の地下壕のように古いものもあれば、首都圏外郭放水路のようなかなり新しいものもある。鍾乳洞のような自然の造形もあってこれはこれで美しいのだけど、今回の書評では「人造物の美」に焦点を当てるのでこちらは割愛する。

「Core Memory」の方は、ビンテージ・コンピューター。Z3のリレー式加算器から、Googleの初代サーバーラックまで、Computer History Museumの選りすぐりの所蔵品を年代順にならべている。

どちらも共通点は「人造物」でかつ「機能」を追い求めたもの。特に前者は相手が地(earth)そのものということもあって、コスメティックな美が入り込む余地はほとんどない。にも関わらず美しい。私は美しさそのものを売り物にした、Art for Art's Sake が大の苦手ということもあり、よけいその美しさを強く感じるのかも知れない。そこにはブルーハーツが歌うような、ドブネズミのような美しさが力強く感じられる。

しかし、ビンテージ・コンピューターの方は、一目見ただけで美しいかというとそれはちょっと違う。ビンテージということを抜きに、自分がまだコンピューターも何も知らぬ者として、あえて今までの体験を unlearn して写真集を眺めた最初の感想は、「なんて美しい」ではなく「なんぞこれ」(WTF)だった。

しかもこのWTFは、おおよそ古いものに対しての方が強く感じるのだ。確かに似たようなリレーや真空管や結線がならんでいる。しかし整然とというより雑然と。私には、以下の

「中身は無駄だらけ」といった日本のエンジニアたちの気持ちが「Core Memory」を通して実感できた。と同時に、彼らの美醜感覚の浅さも。

目でぱっと見て感じる「機能美」が、アナログの美であり、「デジタル機能美」はさらに別のものであることも同時に体感することができたのだ。後者の美を知るためには、デジタルの本質--の一部--を理解しなければならない。

それは何かというと、デジタルの美はプロポーションの美ではなく、トポロジーの美である、ということだ。

地下構造物に限らず、力を受け止めて支える構造物というのは、縦横比などは支えるべき力の大きさで決まる。例えばヒトの形というのは、地球の重力加速度が9.8ms-2であり、人間の身長が1.5m前後であり....といった制約を強く受けている。その結果を受けての造形は、力学的に美しいものとなる。これは同じ電気じかけでも、パワーエレクトロニクスの場合は同様である。こちらに関しては「ニッポン地下観光ガイド」の姉妹本でもある「社会科見学に行こう!」を見れば納得がいく。

ところが、デジタル機械というのは、トポロジーさえ正しければきちんと動く。たこ足配線してようが、ケーブルをきちんとハーネスにとめようが、回路図的に同等であればそれは同じように動作する。そして「Core Memory」の被写体達は、まさにそのように造形されている。UNIVAC Iの水銀遅延線は、ぱっと見は第二次世界大戦の軍用機の空冷星形エンジンに似ているが、どちらが「美しい」かといえば圧倒的に後者である。後者はトポロジカルに正しいだけでは動かず、プロポーショナルに正しくなくては動かないのだから当然といえば当然かも知れない。

しかし、それも時代を経るにつれ変わってくる。Cray Iあたりになると、プロポーション的にもかなり美しくなってくるのだ。本書には登場しないが、マイクロチップの顕微鏡写真も造形的に美しく、それも集積度が高くなれば高くなるほど美しく感じる。これはひとえに物理的な制約が、満たすべき性能が高くなればなるほどきつくなるせいだ。単にトポロジカルに正しく結線するための制約が、時とともにずっときつくなっていくのだ。その結果、第一印象(1st glance)での美しさは、後期になればなるほど増していく。

コンピューターほど劇的にではないが、このことは地下建築にも言える。より精密に掘抜くことで、建材も排土も少なくなっていく。その結果、後期に出来た構造物の方がよりぱっと見が美しくなるのだ。

もちろん美というのは機能だけではない。風雪に耐えた美というのも確かにある。ぱっと見ただけで「新しい方が美しい」というつもりはない。それでも、美のかなりの部分が「機能要求への応答」が占めているというのは確かなのではないか。応答。Responsibility。人造物たちの美しさは、利用者に対する責任でもあるのだ。

Beauty is not skin deep. この点に関しては、どんな「天然美写真集」よりも、「人造美写真集」の方がわかりやすい。私のような朴念仁にも分かるほど。

Dan the Engineer