2008年02月26日 02:45 [Edit]
性(悪|善)説を一冊で - 書評 - 右手に「論語」左手に「韓非子」
|
|
第3章 『韓非子』の名言
韓非子の生涯
|
第2章 『論語』の名言
孔子の生涯
|
|
|
孔子も韓非もどちらも実に有名で、そしてどちらも大いに誤解されている。そもそも「性善説」「性悪説」という言い方が私には正しいとは思われない。「性善説」は、「人は本来善である」のではなく「人は快楽を求める」に立脚した考えで、そして「性悪説」は「人は本来悪である」のではなく「人は苦痛を避ける」に立脚した考えとすれば、両社は矛盾しないのである。むしろ「追楽説」「避苦説」とした方がしっくり来そうだ。
あるいは、一文字で「文」と「武」だろうか。
その意味では、本書のありかたこそ正しいように思われる。
とはいえ、両者を併記するというコンセプトが良いだけに、構成はもっと練ってもらいたかった。本書では論語と韓非子を一章づつまとめているが、むしろ両者の言葉をジッパーのように互い違いに配した方がよかったのではないか。
取り上げた言葉が、それぞれ40しかないというのも残念だ。実は両者とも「これが孔子?」「これが韓非?」という以外な言葉を結構発しているのに、それを取り上げる余裕がほとんどないからだ。それでも「下地が悪いとどうにもならない」と「愚直でありたい」は何とか入っているのだが。
もう一つ物足りないのが、両者の生まれ育った時代背景。孔子と韓非の間には、江戸時代がまるまる一個入るほどの年月があるのだ。孔子が生きた春秋は、韓非が生きた戦国に比べればよほど穏やかな時代だったはずだ。両者の感心が、方や平和の維持、方や戦争の終結にあったのも当然といえば当然である。出自の違いも大きい。「少(わか)くして卑し」かった平民の孔子に対して、弱小国だったとはいえ一国の公子だった韓非。性善説のはずの孔子が強かに長生きしたのに対し、性悪説のはずの韓非があっさり秦で客死(李斯か姚賈のどちらかないし双方に謀殺された可能性大)というのも何かの皮肉だろうか。
いずれにせよ、人と人の世に関する洞察は、この両者でほとんど間に合ってしまうというのも大したものではある。人文学におけるピタゴラスとユークリッドのような存在なのだろうか。
およそ何でもありの中国の歴史において、民主主義が発明されなかったというのは謎の一つなのだが、両者があまりに早く思想を打ち立ててしまったが故に、その呪縛から逃れられなかったのかも知れない。いや、ある意味まだ逃れていないのかも知れない。毛沢東は主席というよりは皇帝だったし、今の中国の経済成長は、政治的には宋の時代を彷彿とさせる。
実は孔子と韓非に一番共通しているのが、「民は愚である」という前提である。彼らが「民が主」であることを建前にする国々を見たらどう思うのか、それを一番知りたい。
Dan the Empathetic Legalist
See Also:この記事へのトラックバックURL
韓非子は荀子に学んだと言われているので、韓非子を性悪説の陣営に入れることはできると思いますが、しかし、荀子は孟子の性善説を批判したとは言っても儒家ですから、孔子の弟子筋にあたりますよね。
それはともかく私も孔子や韓非の意外な言葉を読んでみたいものです。
民主主義の成立にはキリスト教の影響が大でしょう。
王や皇帝の権威を否定しなければなりませんから。
農村まで学問が普及した結果、豪族による大土地所有に批判的で、貧しい者に率先して富を分配し、農村社会の家族主義的な秩序を重んじる人物でないと「郷論」において評価されないようになったのです。
この時期、民主主義がすでに成立していたと僕は思います。
その後、戦乱のために農村が荒廃し、人口が流動した結果、「郷論」は豪族たちの間の貴族趣味に変貌してしまいます。
> 王や皇帝の権威を否定しなければなりませんから。
王権神授説を支えたのもまたキリスト教ですよね。
むしろキリスト教普及以前の共和制ローマや古代ギリシアの方が、キリスト教普及以降の帝政ローマや中世ヨーロッパ諸国より民主的だったと思いますが。
私は、じょりちょこさんに同意で、性善説は孟子、性悪説は荀子だと思う。孔子と韓非子というのは違和感を感じる。学問書とハウツー本を比較するような違和感。また、弾氏の性善説・性悪説の解釈はオリジナルすぎて納得できない。できれば詳しく解説して欲しい。
民主主義も中国が起源ニダ!
中国思想のフランス西漸
http://www.amazon.co.jp/dp/4582801447/
中国思想がフランス革命に影響を与えていたのではないかとおもわれ。
おフランスではやっていたのは日本の浮世絵だけじゃないですよ。
ホルホルホル
知ってて書いてるのだと思うケド。
うん。
韓非を性悪説にするのはまだいいけど、孔子を性善説にするのは違うんじゃないかなあ、と。孟子は孔子の直系の弟子ではあるけど、性善説は孟子が孔子を持ち上げるために作り出した論法で、少なくとも孔子の教えの中に直接的には表れません。荀子が孟子に反発したのも、孔子の教えを捏造するな、という気分が少なからずあったと思うのです。
ただ、韓非の思想が儒家と対立するのは確かであり、かつ、韓非は性悪説に立っているので、対立する儒家を性善説とみなすのは(本当は正しくないけど)構造的にはわかりやすい。儒家の代表はなんといっても孔子だから、こういう本が出てきたんだろうね。
(でも、この本は性善説・性悪説なんで言葉を使わずに書く方が妥当だったと思うけど。)
近代民主主義の誕生には、人間の頭数そのものが武力である必要があった。文を尊び武を卑しむ中国人には、民主主義を生み出すことは困難だったのかもしれない。
中国では紀元前から集団戦法だったと思いますが。「集団戦法=人間の頭数そのものが武力」ですよね?
これは中国でも時代によって大きな違いがあります。
歩兵が中心で、その数が重大な影響力を持ったのは、
戦国時代〜前漢の頃ですね。
春秋時代は貴族による戦車戦ですし、
後漢建国ぐらいから騎兵の時代になり、
三国時代以降は騎馬軍団の育成に成功した国が常に有利でした。
中国史における興亡では、
兵力数が勝敗を決めることはあまりありませんでした。
これは中国でも時代によって大きな違いがあります。
歩兵が中心で、その数が重大な影響力を持ったのは、
戦国時代〜前漢の頃ですね。
春秋時代は貴族による戦車戦ですし、
後漢建国ぐらいから騎兵の時代になり、
三国時代以降も騎馬軍団の育成に成功した国が常に有利でした。
中国史における興亡では、
兵力数が勝敗を決めることはあまりありませんでした。
アカデミックな向きには、頭から否定される人も多いですが。
韓非子の性善性悪からの超越は、すでに卓見されていた方です。
