またお呼びがかかってる。

ロスジェネとか雇用とか(一当事者として)+実際あった出来事 - syncのれんあい☆にっき ver1.1
教えて!ダンコーガイ!
syncは就職氷河期世代として、2001年に今の会社に入社して約7年。
いわゆるロスジェネ世代のまっただ中です。年齢は32歳。
入社直後は部長1人、課長3人、主任3人、平10人というスリムの部署で、やりがいのある仕事をしていました。
しかし、入社して2年目に部署統廃合があり、40人いる部になりました。
そのうち、部長3人、課長17人、主任10人、平10人という逆三角形型の部署になりました。

この「ロスジェネ」って言葉、「ロスを生成する」にどうしても聞こえてしまうのだけど、それはさておき。

一つ聞いておきたいのは、なぜこの入社二年目の時に辞めなかったか、ということ。

逆算するとこの時、君は27歳。転職適齢期だ。

こんないびつな組織が回らない、というのがわからなかったのだろうか。

それとも、転職が怖かったのだろうか。

どんな国の、どんな時代に生まれてくるかは選べない。自らの出生は、確かに自己責任ではない。

しかし、どんな会社にどのように勤めるかは、選ぶ事が出来る。

その意味では、君の今も過去の君が果たした、あるいは果たしそびれた自己責任の結末ではある。

余談であるが、私が地域格差に冷淡なのも、転居の自由が憲法で保証されているからだ。中国みたく、都市戸籍がなければその都市に住めないというのであればとにかく、日本はそういう国ではない。いやなら引っ越せばいい。自由がある以上、その自由を行使した結果、すなわち責任も我々にある。

自己責任。これまた変な言葉だ。責任というのは、責任を任せるものと引き受ける者の二者がいてはじめて成立する概念だが、それであれば自己責任というのは、自分のことを自分でやって、その結果を自分で受け止める、ことのはずである。しかしそういう意味で「自己責任」という言葉が使われているところをめったに目にしない。

「会社が押し付けた責任を、いやいや引き受けた結果、壊れました」。これは「責任」ではあっても「自己責任」ではないはず。自己責任というのは、自ら会社と戦うなり辞めるなりして、その結果を受け止めることのはずだ。

やむなく内部告発することに。
結局、退職を余儀なくされることになり

厳しい言い方だけれども、君は今の君の境遇を会社という他人のせいにしたくてしょうがないようだ。

そのまま行けば、多分次の会社でも「やむなく仕事をした」あげく「退職を余儀なく」されることになるのではないか?

まずは、「責任」という言葉を一端忘れて、「権利」を行使しているのだと考えてみてはどうか。「私はこの会社で働く責任がある」のではなく、「私はこの会社で働く権利を行使している」のだと。それだけで、世の中の見え方がだいぶ変わってくるはず。自己責任ではなく自己権利。「やむなく」でなく「あえて」、「余儀なくされる」のではなくて「踏み切る」。

「権利を行使する」。それは「責任を果たす」よりもおそらくきつい生き方だ。「他人のせい」という最も手軽ないいわけを封殺してしまうのだから。しかし私の目から見て幸せそうに生きている人々は、一人の例外もなくそうしている。

誰かのせいにしているものは、結局最後には自分のせいにすることに行き着き、ますます自分を追い込む。まずは「他人のせい」にするのではなく、「自分のおかげ」にするべきだろう。単に自尊心が高まるだけではなく、自分の出来ない事をしている他者に対する尊敬も高まる。

s/自己責任/自己権利/g;

さらには s/権利/満足/g;

まずはそこからはじめよう。

Dan the Self(-ish|esteemed|rewarding)