2008年03月25日 18:30 [Edit]
誰が講談社現代新書を殺したか
私は、1,575円の新書もアリだと考えるし、時代はむしろそちらに向っているという感触を得ているのだが、その話に入る前に、「その逆を行くと一体何が起こるのか?」という話をしておきたい。
ディスカヴァー社長室blog: dankogaiに挑む!? ハードvsソフト=思想vs実践 ●干場あの……「携書」で1575円っていうの、ありでしょうか……?★SEの本棚★:倍出してもペイする?『3分間コーチ』 - livedoor Blog(ブログ)
しかし、
この装丁の美しさは、
新書では出なかったでしょう。
そう。講談社現代新書の話である。
写真は、新旧の講談社現代新書。旧の方は「無限論の教室」、1998年9月初版。新の方は「生きづらい〈私〉たち 」、2004年10月初版。なぜこの二冊かといえば、たまたま並んで本棚に収まっていたから。要するに保管条件が同じ、ということである。
拡大してみるとよくわかるが、後者の方は背表紙が完全に焼け切っていて読めない。
講談社現代新書の新カバーは、単に安っぽいのではなく安い、ということがこれでおわかりいただけるだろう。
だれが講談社現代新書(の少なくともカヴァー)を殺したか。
実行犯は中島英樹というデザイナーのようである。
講談社BOOK倶楽部−本中島 これまでの装幀が杉浦康平 さんでしょう。この世界では神様のような人ですから、まず、プレッシャーですよ。
しかし、この事件における実行犯は、ヤクザの抗争における鉄砲玉程度の意味しかない。実際中島は鉄砲玉ほどの知能しか持っていない。
実は、お話をいただくまで、「新書」という言葉を、自分の頭の中で言語化したことすらなかったので、まず、そこから取り組みました。
こんなのに任せた講談社現代新書編集部の担当者は、万死に値する。実に多くの本がそれで死んでしまったのだから。
講談社BOOK倶楽部−本本屋さんで新書のコーナーを眺めた時に感じたのは、各出版社の背表紙がみんなよく似ているということでした。それから、タイトルの文字がほとんど明朝体であるとか、極端な言い方をすると、何となく「地味であることが正しい」というような雰囲気を感じました。ぼくは天邪鬼(あまのじゃく)なので、そういうものと同じようなことをやるのは嫌でした。やっぱり本屋さんで、「現代新書がここにいるよ」と、明確にわかる必要がある。
カラーが焼けやすいということすら知らなかったのだ、この鉄砲玉は。しかも、カラーは色によって焼けやすさが異なる。鉄砲玉自慢のストライプは、数年で文字通り無残な結果となるのだ。
きちんとコストをかければこれを防ぐことも出来るし、実際、旧カヴァーの頑丈さはほれぼれする。合成紙で出来ていて、ちょっとコーヒーをこぼしたぐらいではびくともしない。杉浦装丁は美しいが、美しさにとどまらず、そこには「内容を守る」という明白なメッセージがあった。新カヴァーに、そんなメッセージは微塵もない。そこにあるのは、デザイナーの醜悪な自慰だけである。自慰後の始末に使うちり紙のデザインと勘違いしていたのかもしかして?
雑感記: 講談社現代新書の装丁本の装丁がこれほど購入欲をそそるものだったのかと意識したのは、講談社現代新書が今の装丁デザインのスタイルにリニューアルされたときである。1冊ごとに色を変えて、騒がしい色使いになったデザインを見たとき、怒りを感じたものである。
本好きが集まると、杉浦装丁を惜しむ以上に、現在の装丁が許せないという話題がほぼ必ず出る。私が知る限り、現在の装丁がいいと言ったのは、講談社の中の人を含め一人もいない。ゼロ、である。
『日本人が本を読まなくなった』は嘘だと思う『本は売れない』は嘘だと思う。
売る気があればしっかり売れて、個人でこのように収入減[ママ]のひとつにカウントできるようになる人だっている。
同感である。というより、実感として本を買って読むという行動は二極化が進んでいることを感じる。本を買う人はますます買うようになり、読まない人はますます読まない。それが格差社会の原因なのか結果なのかはわからないし、考察するのであれば別entryを宛てることにするが、現在の本読みの願いは、「なるべく多くの本を手元におく」である。版型が小さければ、置ける本の数はより多くなる。7.62mm NATO弾が5.56mm NATO弾になったのと同じ傾向が本に対してもあるのだ。
重要なのは、価格よりも省スペース性である。「小さかろう安かろう」というドグマは、20世紀に終ったかと思いきや、どうも本に関しては21世紀も続いている。もし小さかろう安かろうが本当なら、なぜiPodはアナログ型ウォークマンより高いのか?
ただし、iPodと同じく、パッケージも高品質を「アフォードする」ものでなければならないことは言うまでもない。また、パッケージだけでは高品質は担保されない。中身が伴わなければ当然「見かけ倒し」ということになる。
その点さえクリアーできるのであれば、少なくとも私は1,575円の新書でも喜んで買う。
出版社は、講談社現代新書の失敗から今こそ学ぶべきだ。自分達は、本当に本好きの期待に答えているのか、と。
Dan the Bibliomania
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それにしても、残念。
復活させますか (^^
以前は新書棚で一番に物色していたのに。
めっきり買ってませんね、講談社現代新書。
本の手入れを指南する本がありまして
パラフィン紙は中性紙さえ酸性紙にしてしまうといっていましたよ。
「本の本来の姿は帯や表紙を取った姿」なのだから、カヴァーは外せ、といったメッセージ?
http://nkjmdesign.exblog.jp/5792407/
http://www.nkjm-d.com/news_04_10_04.html
新カバーほど糞じゃないけど。
>1,575円の新書
講談社ブルーバックスには1000円超のが何冊もあったはず。
30年前の学生の頃からの講談社新書が私の本棚に今もたくさん並んでます.
しかし,あのけばけばしく下品なカバーになった頃から,講談社新書のコーナーには立ち止まる気がしなくなりました.
> こんなの
まさに,その言葉が相応しいデザイナーです.
> 任せた講談社現代新書編集部の担当者は、万死に値する。実に多くの本がそれで死んでしまったのだから。
全くです.何を考えていたのか.
そして,今も続くあのカバー.
元のカバーに戻せば,それだけで生き返るのに...と思って見ています.
自分もデザイナーの端くれだが、この業界では一応名の通っているデザイナーがこんなデザインか、と思うと悲しく思う。
グラフィックとしてのアイコンを作りたかったのだろうが、装幀をなめているとしか思えない。
新書ファンの90%程度はこれを認めていないのではないか。
リニューアル後の売り上げがどうなったか知りたいものである。
そのうち、「あれ?ここ大型書店なのに、現代新書が無いの??」と驚き、ようやく事態を飲み込めました。善し悪しはともかく、
"out of sight, out of mind" では手に取ることも適いません。
「新書アフリカ史」宮本正興(編集)、松田素二(編集)は¥1,470(税込)。
人類黎明の猿人(日本の猿人研究の第一人者:諏訪元の稿)から始めて、サハラより南の東西に流れる河に点在した文字のないながらもそれなりに繁栄した文明へいきなり時代が飛び、さらにイスラムの浸透期、ヨーロッパの植民地支配期そして独立と概ねブラックアフリカの領域の経験したことをカバーしている。
残念ながら購入はカスタードクリーム色の旧カバーではなく、白地に緑の新カバー。ブランドとしての統一感を放棄した講談社現代新書はまさに愚か者であることに同意。
新書アフリカ史ですが、新書とはいえ、596ページもあるので、その半分のページ数でも約300ページ、金額も半分にすれば700円。「安い」作りをすればゆえに可能な金額でしょう。コンテンツではなく、コンテナのデザインにでもなく、用紙代にお金を払うシステムになっている点では、変わらないと思うのですが、いかがでしょうか。
買った本人なら多少焼けても、どの本かくらいわかるでしょう。
よっぽど本棚の飾りにしたいなら別ですが(笑)
私は今のも悪くないと思っています。
そもそも工作舎系の線を多用したデザインはうるさくて好きではないです。
デザインは結局好みの問題では?
俺は●●が好きだ、と言い合っているだけのような...
ある日突然全ての講談社現代新書が新装丁になったわけではなく、
店頭では徐々に入れ替わっているはず。比率はどんどん減っているとはいえ今でも旧装丁が混在してる状態だし、月に一度しか書店に行かない人でも気づかないわけないと思うんですが。
この台詞を口にすればあらゆるデザインが崩壊する
「それを言っちゃ〜終しめーよ」
デザインの善い悪い以上に、カバーの品質の問題だと思います。
>>山口さん
内容が読めればいいというのであればテキストファイルやpdfファイルで十分ですからねぇ。弾さんたちの言う「装丁云々」と言うのは「気に入った本をコレクトする」というコレクター的な側面も確かにあると思います。
読むだけならデジタルファイルでいい、コレクトするならそれなりの装丁がいい。講談社現代新書の安かろう悪かろう的な装丁はそれら二つのどちらのニーズも満たしていない中途半端なものということでしょう。
この案件がどのように発生したのかわかりませんが通常であればリニューアル概要のオリエンを受けコンペで複数案、指名での制作であったとしても複数の違ったデザイン提案を行っているはずです。
その中から紆余曲折を経て校正・修正を重ねた物が最終的に皆さんが目にするデザインとなります。
その課程の中でデザイナーがいち実行者であるのは間違いないですし、背の文字が日に焼けるなどの問題は反省すべき点も多々あると思います。
ですが、発注者である講談社はもとより、編集のプロ、印刷のプロ、様々な人間の意志が働いてこの結果になっていることを忘れないでください。
好みの問題でしょうが、だからこそ大事なんじゃないでしょうか。
ちょっと特殊ですが、最近では「人間失格」の例も有名ですね。
それに日焼けで消えてしまうのも問題です。
弾さんくらいの蔵書数になると、背表紙がきえた本が何冊もでてくると、もうどれがなんだかわからなくなってしまいそうですよね。
あと、価格で1000円超だのうんぬんのコメントがありますが、弾さんたちのおっしゃりたいのはアマゾン価格(1500円以上は送料無料)のことだと思います。
なので、1500円未満では指摘しても無意味じゃないでしょうか。
多分、出版社である程度絞り込む人もいると思うので、老眼世代にはデザイン変更はかなりマイナス効果だったかも。
耐久性がない点については改善してほしいです。
http://nkjmdesign.exblog.jp/5792407/
「本の本来の姿は帯や表紙を取った姿」だそうです。
結構な数の人が、そう思っていたのですね。。。
旧版の本の概要が短く纏められているのが良かった。
手に持ったときの質感も良かったし、他の新書と差別化も
図れていたと思うのですが。
まあ、講談社には講談社の考えがあるのでしょうが。
大学の図書館とかは、蔵書は全部カバーを取ってあるところもあるので、そういう所蔵文化のところではむしろこっちの方がいいかも。
どぎつい色も機能として役立ったかもしれませんがねえ。
本の内容と色の持つイメージが合っていないような気がします。
あの色はどうやって割り当てたのでしょうか?
著者の希望?単なるランダム?
結局、一冊ごとにかかるカバーのデザイン費用を削ったんですかね。
そりゃ利益率は高いでしょうが出版不況なんて愚痴を言うぐらいなら
同時に文庫を出して欲しい。
読書はもっとも気軽な隙間時間を埋めてくれる物なのに
携帯と携帯ゲーム機に時間を奪われている。
それに外出時にハードカバーを持っていく気にはならない。
文庫と同時発売だと利益を圧迫するだろうから差額の半分を
自社製品の金券を添付して価格を上乗せすれば
良い感じになると思うのだが。
シンプルなデザインなので「「内容を守る」という明白なメッセージがあった。」を思わず、納得してしまったのですが…
新書のデザインは、書店員さんのためのものでもあります。新刊平台から棚にささってから、どうロングで売ってもらうか、また自社の新書の棚面積を確保できるかが、新書にとっては大きな問題です。
「現代新書は、既刊の棚が醜い、お客さんの問い合わせに答えにくい」「色が焼ける」と書店員には大不評です。書店にどう売ってもらうか、ということにも、編集は想像をはたらかせるべきなのです。
最近、ようやく、新刊の背は白に切り替え、既刊も切り替えていくと聞きました。でも遅すぎますし、失ったものは大きいと思います。本が好きでない、書店に行かないデザイナーがデザインした不幸です。
皆さんの押入れに眠っている、ガン消し、キン消し、ビックリマン等懐かしいグッズを
高値で買取りさせて頂けませんでしょうか?
(懐かしいものならばなんでも買取り致します!)
ショップではなく、完全に個人収集を目的としている為、
買取り価格は普通のリサイクルショップの3倍程度です。
持っていてもしょうがない、でも捨てるのも勿体ないと思っている方、
詳しくはHPが御座いますので、お気軽にご連絡下さい。
誠実に対応させて頂きますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
ttp://www7.tok2.com/home/kinkeshicorector/
施された表紙の制作は、今の猛烈な新刊ラッシュに追いつかないから
このような大胆なリニューアルをしたのだろうと、勝手に推測して
いました。だって、テーマに合いそうな色を選ぶだけでいっちょあがり
ですからね。それでも他のまったく同じデザインの表紙よりも
手が込んでいる。デザイナーを責めるのは酷だと思いますし、
ここでのおもしろ半分のバッシングは見苦しいです。
モダンなデザインほど消費者に受けいられるのに時間がかかるのでは。
それにしても中島氏をヤクザの鉄砲玉呼ばわりはひどいです。
私にしてみれば、この品の無い記事を書いてる人は
鉄砲玉の下のチンピラのパシリです。
本を数多く読んでいるのなら、
もっと粋な表現をされ方が女にモテますよ。
中島氏の発言で、ただ、丸や三角は色によって意味が出てきますよね。丸だと日の丸がいい例です。やっぱり四角が一番無意味だと思います。
そうでしょうか?四角が一番無意味って…。彼の無知さを露呈する発言で、人間の知と文化の蓄積であるはずの本がこういった稚拙な考えのもと、彩られてしまったことに当時はがっかりしてしまいました。
今となっては、杉浦デザインの新しい新書が他の出版社から新たに出してくれないかなと密かに期待しているのですが…。