2008年04月18日 16:00 [Edit]
オタクとギークの違い - 書評 - オタクはすでに死んでいる
新潮社後藤様より献本御礼。いつもありがとうございます。いろいろ待たせてすみません。
すでに元「オタキング」といて著者があちこちで言っていることの集大成でもあるので、目新しさは少ないのだけど、きちんと一冊の本として整理されたおかげで、一つわかったことがある。
なぜ「オタクは死んだ」のに「ギークは死なないか」、である。
本書「オタクはすでに死んでいる」は、「故オタキング」が自分自身をも含めたオタクへの弔辞を述べた「オタク・イズ・デッド」を書籍化したもの。
目次 - Amazonより- はじめに
- 第1章 「オタク」がわからなくなってきた
- アキバ王選手権 普通の兄ちゃんだった「アキバ王」 一番のファンでありたい 出来合いのお宝 真剣10代しゃべり場 終りの予感
- 第2章 「萌え」はそんなに重要か
- 「萌え」がわからない 差別する人のメンタリティ アトランティスとバベルの塔 終焉への予感
- 第3章 オタクとは何者だったのか
- オタクの定義 ネット上の定義 今の世間の定義
- 第4章 おたくとオタクの変遷
- カタカナになった おたく時代 М君の存在 オタク学入門 イメージの好転 オタクの拡大 オタク原人と第一世代 第一世代はテレビっ子 第二世代と世間 純粋培養の第三世代 アカデミズムによる定義 東京だけが日本ではない
- 第5章 萌えの起源
- 日本社会の特殊性 少年マガジンの変遷と日本人の変化 変化はすべての男性誌に 水着は無敵 アニメファンの変容 アニメファンの断絶 「萌え」の誕生 「萌え」の浸透 多民族国家としてのオタク 女オタクの問題 女子という生き物 男オタクの女性化 オタク評論の限界
- 第6章 SFは死んだ
- 先例としてのSF 移民が増える SFファンの変容とSFの死 死の実情 少年ファンの時代 世代間論争のはじまり 世代間闘争へ 運動と闘争の果て SFの崩壊
- 第7章 貴族主義とエリート主義
- 映像がSFを滅ぼした 「萌え」はオタクを滅ぼすのか? オタク貴族主義 オタクエリート主義 貴族とエリートの反目 第三世代はセンシティブ 中心概念の不在 それぞれの壁 民族のアイデンティティー 努力が消えた 魂の本音
- 第8章 オタクの死、そして転生
- オタクからマニアへ 自分の気持ち至上主義 日本とオタク 平成型不況の影響 個人の時代に 大人は損を引き受ける 大人の仕事
- あとがきに代えて
- 「オタク」たちへ
「オタク・イズ・デッド」への感想は、すでに以前述べている。本書の感想も一点を除けばほぼ変わらない。
404 Blog Not Found:ハッカーとオタクある業界の拡大の結果、業界人の視野が相対的に狭くなるという現象は、どんな世界にも起こって来た現象である。そしてそれを見た旧世代が、「業界は死んだ!」というのも。
「オタク」と「ギーク」は、一卵性双生児に見えるほど似ている。一人でその双方を兼ねるものも多い。アルファギーク中のアルファギークである Larry Wall は、日本語で「オタクです」と自己紹介するぐらいだ。両者とも「好きを貫く」という点は一緒だ。
P. 138ただ、私が滅びるとか死ぬとか言っているのは、あくまで私が持っている「強いオタク」のことです。
私が定義したオタクというのは、子供っぽい趣味を選び、それに関して、精神力と知性をもって世間の目に対抗して行く存在だということです。
それでは、なぜオタクは死に、ギークははばかるのか?
もう一度、上の引用を見てもらいたい。「子供っぽい趣味」「子供っぽい趣味」....「趣味」、これだ!
(著者の定義による)オタクが死んだ理由、それは趣味を貫くのに、精神力と知性をもって世間の目に対抗していく必要がなくなったからだ。すでにこの世はオタク天国と言い換えてもいい。「天国にいる」を「死んだ」と言い換えても、それは間違いではない。たしかにその意味において「強いオタク」は不要だ。人の趣味にケチを付ける狡兎は死して、オタクという良狗は烹らるというわけである。
それでは、ギークはどうか。
ギークもまた、精神力と知性をもって世間の目に対抗して行く存在である。しかし、彼らの選んだのは趣味ではなく人生。趣味を卑下するわけではないけれども、重さが違う。
「オタク」は趣味の問題だが、「ギーク」は人生の問題なのだ。
もちろん、趣味といえど、大国であれば「趣味産業」があり、その中で活躍している「オタギーク」も少なくない。著者自身がそうであり、オタギークであるがゆえに、オタキングでもあったわけだ。オタキングというより、オタコンキスタドールと呼ぶべきか。オタキング終了宣言は、よって世界征服終了宣言とも見なせる。今なお世界各国を「平定」する「戦い」は続いているけれど、「京の都」は抑えてしまったというわけだ。
「オタク」は、趣味。「ギーク」は、人生。
それが、「需要」の差となっても現れる。オタクの市場は小さくないが、それでも趣味の範囲に留まっている。日本経済だと数兆円のオーダーだろうか。しかしギークの手が入っているのはほぼ全産業。小さく見積もっても数百兆円のオーダーだ。
それでは、SFが滅びたように、オタクが滅びたように、ギークは滅びうるだろうか。
答えは、Yesだと思う。SFやオタクが経験した「右手の言うことを左手が理解しない」という状況はすでにかなり昔から存在している。その進化と拡散の過程は驚くほど似ている。
しかし、その日が来るのはまだまだずっと先のことだろう。ギークの戦うべき対象は驚くほど多い。「敵」は別にスーツばかりではない(というより彼らは味方ともなりうる。世間がオタクの味方になったように)。情報爆発からエネルギー危機まで、ギークは「物理」とも対峙しなければならないのだから。
SFもオタクも死んだのかも知れない。
しかし、彼らの死を悼んでいる閑があったら、一つでも多くの問題をハックするのがギークなのではないか。
Dan the (Otaku|Geek)
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正 : オタクはすでに死んでいる
誤 : 元「オタキング」といて
正 : 元「オタキング」として
だいたいハッカーは鉄道模型マニアとかなりダブってたわけだが、ITがなんとなく不人気になっても鉄道模型は地道に隆盛してるように、むしろ趣味の世界の方が実はしぶとかったりする。

