2008年04月28日 14:00 [Edit]
物語論の最高峰 - 書評 - 世界の電波男
本書「世界の電波男」は、「物語とは一体何か」、そして「なぜ、我々は物語を必要とするのか」を、数多の物語を追いながら、「喪男」(モダン;後述)の立場から説いた一冊。
出版の都合上からは「電波男」の続編に当たるが、むしろ「喪男の哲学史」の続編にして「なぜケータイ小説は売れるのか」の完全版とみなした方がいい。
目次 - Amazonより- 第1部 人はなぜ物語を求めるのか?
- 「現実」という物語に踊らされる人々/願望充足の予感/「自我」と「自意識のツッコミ」/物語の8つの類型
- 第2部 人類が求めた物語の8類型
- 1章 英雄 ~力への憧れ
……『ギリシャ神話』『新約聖書』 - 2章 怪物 ~社会に受け入れられず、反転した力
……『フランケンシュタインの怪物』『DEATH NOTE』 - 3章 時間 ~過去・未来に救いを求める
……『夏への扉』『タイム・マシン』『時をかける少女』 - 4章 空間 ~理想郷に救いを求める/この世界を破壊する
……『神曲』『帝都物語』 - 5章永劫回帰 ~ありのままの自分を引き受けて闘争する
……『地下室の手記』 - 6章 人間萌え ~人間に救いを求める
……『罪と罰』『ジャンヌ・ダルク』『源氏物語』 - 7章 空想萌え ~女神に救いを求める
……『ファウスト』『ああっ女神さまっ』 - 8章 人工萌え ~人工物に救いを求める
……『未来のイブ』 - 第3部 『火の鳥』における救いの探求
我々はなぜ物語を必要としているのか。結論だけなら、一段落あれば語り尽くせる。
P. 88喪男が求めるものは、「願望充足」ではなく、「願望充足の予感」なのである。「手に入る夢」ではなく、「見果てぬ夢」なのだ。
しかし、このことを「理解」するのではなく「納得」するためには、結論という骨のみならず数多の物語そのものという肉がいる。上の結論は、「なぜケータイ小説は売れるのか」にも出てくるが、いかんせん、新書ではとても紙幅が足りない。やはり本書ぐらいの分量は必要になる。四六版で431ページ。しかも脚注の分量は本書の1/3ぐらいは占めていると思われるので、並の本なら600ページを越えていてもおかしくない。これだけ「肉」があるのにそれが贅肉と全く感じないのは、ひとえに引用された作品の品質の高さと、それらの作品に気圧されない著者の文章力の証左だろう。ちなみに、本書で言及された物語は、少なくともこれだけある。
世界の電波男 〜 喪男の文学史◆本書で言及する作品の数々◆
「ああっ女神さまっ」「A・Iが止まらない!」「AKIRA」「悪魔が来たりて笛を吹く」「アーサー王の死」「あさきゆめみし」「あしたのジョー」「苺ましまろ」「イノセンス」「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」「ウィングマン」「宇宙戦艦ヤマト」「宇宙戦争」「うる星やつら」「NHKへようこそ!」「オデュッセイア」 「男はつらいよ」「オルレアンの少女」「カムイ伝」「カラテ地獄変」「巨人の星」「機動戦士Zガンダム」「吸血鬼ドラキュラ」「グラップラー刃牙」「くるくるクリン」「CROSS†CHANNEL」「ゲド戦記」「げんしけん」「源氏物語」「幻魔大戦」「ゴシック」「殺し屋1」「最強伝説黒沢」「サイボーグ009」「魁!!男塾」「西遊記」「死亡遊戯」「蛇拳」 「ジャンヌ」「ジョジョの奇妙な冒険」「神曲」「新世紀エヴァンゲリオン」「新約聖書」「酔拳」「涼宮ハルヒの憂鬱」「スター・ウォーズ」「スパイダーマン」「スーパーマン」「聖戦士ダンバイン」「セラフィタ」「戦国ランス」「空飛ぶメニッポス」「タイム・マシン」「竹取物語」「タクシードライバー」「タッチ」「地下室の手記」「罪と罰」「つよきす」「帝都物語」「DEATH NOTE」「デビルマン」 「天空の城ラピュタ」「ときめきメモリアル」「時をかける少女」「ドラえもん」「ドラゴンボール」「トリスタンとイゾルテ」「ドン・キホーテ」「夏への扉」「日本沈没」「ネオ・ファウスト」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「裸のランチ」「バタフライ・エフェクト」「バッファロー'66」「電影少女」「火の鳥」「ファウスト」「フォレスト・ガンプ」 「ふしぎなメルモ」「ブッシュマン」「フランケンシュタインの怪物」「HELLSING」「ボーイズ・オン・ザ・ラン」「ボヴァリー夫人」「北斗の拳」「マジンガーZ」「耳をすませば」「未来のイヴ」「めぞん一刻」「やけっぱちのマリア」「指輪物語」「ユリア100式」「妖怪大戦争」「妖精の女王」「らんま1/2」「リボンの騎士」「ローゼンメイデン」 「ロリータ」「若きウェルテルの悩み」……
本書を読むという行為は、これらの作品を読み返す行為でもあるのだ。
本書を楽しめるかどうかの分水嶺は、これらの作品のうちどれだけ読んだことがあるかによって変わってくる。その意味において、本書は読者を選ぶ作品ではある。が、著者の引用が上手なおかげで、読んでない作品もあたかも読了した気分も味わえる。本書は物語論ではあるが、物語ガイドブックとして使ってもかなりいけるのではないか。
もちろん、個々の作品紹介ではつっこみどころも大いにある。Heinleinの代表作として「夏への扉」、筒井の代表作として「時をかける少女」というのには、「これが喪男の限界か」ということをかなり強く感じた。私であれば、本書のコンテキストであればHeinleinは「異星の客」--というよりは Jubal Harshaw、筒井であれば七瀬三部作--というより火田七瀬を取り上げずにはいられないが、方や「父性」、方や「娘性→母性」のアイコンであり、喪男が語るにはどちらも著者の実感が足りないのだろう。
しかし、本書の第3部は、私としては非の打ち所がない、最高「火の鳥」論だった。あえて「手塚論」とは言わない。「テヅカ・イズ・デッド」ではなく、「喪男・イズ・アンデッド」というのが同作の本質だからだ。そういえば私の鼻は猿田や手塚に負けないほど大きいなあ。
それにしても、著者は本当にいい意味で熟成が進んでいる。
404 Blog Not Found:小さな物語の大きな市場 - 書評x2 - ケータイ小説論二冊「電波男」を知る者に取って、ケータイ小説よりもむしろこの「ものわかりのよさ」の方が驚きかも知れない。著者も成長、いや成熟したのだ。私はこのことを慶びたい。そこには「電波男」の熱いパトスがない代わりに、暖かい愛がある。これはケータイ小説が提示する「本当の愛」ではないかも知れないが、私にはこちらの愛の方が快い。
本書はさらにその上を行く。熱いパトスは本書で復活しているが、しかし「電波男」の、ルサンチマンという「垢」が抜けている。これは護身の完成度の違いだろうか。
それでも、前述の通り、著者は喪男の立場を離れらないゆえに見逃しているものもある。これらに関してはentryを改めて書くつもりだ。一冊の本の紹介としてはこれくらいの方がよいだろう。まずは読んで楽しんで欲しい。これで1,500円(しかも税込み)というのは破格中の破格だ。
Dan the Trans-Fictional Being
