2008年05月17日 18:30 [Edit]

数学と科学の違い

なかなかの良問。

数学に関する質問です。なぜ一度正しいと証明された定理が覆されることがないのか? ということが理解できません。 「あらゆる科学理論は本質的には仮説であって真理ではあ.. - 人力検索はてな
しかしどうして数学の場合は科学のように反証可能性のようなものがないのかがわかりません。

なので私も答案を。


すでに多くの回答が寄せられているのだけど、私の回答は以下のとおり。

数学は人が採点するが、科学は宇宙が採点するから

数学(mathematics)では、公理(axiom)から定理(theorem)を導き出す。だから最後の最後には「公理でそう決めといたから」と言い切ることが出来る。

しかし、科学(science)では、その公理に相当するもの=事実(fact)は宇宙が決める。この公理に相当するものを追いかけるのが科学でもあるのだけど、なにしろ全宇宙の全状態というのは我々には知る由もなく、それゆえどうしても理論(theory)と事実が一致しない余地が残ってしまう。

もっとも、数学や科学が今の形になったのは、長い歴史の中では比較的最近のこと。数学もその歴史のほとんどは、むしろ「ややこしそうな現実を、なるべく簡単に理解するにはどうしたらよいか」という過程で発展してきた。高校までに習う数学が、「公理から何を導き出す」のではなく、「現実をなるべく簡単に理解する」ことに重点が置かれているのも多分それが理由。

しかし、この両者は実のところ「公理を人が設定できるか否か」という点において決定的に異なる。数学は、自分で作ったゲームをプレイすること。科学は、別の誰かが作ったゲームのルールを推察すること。数学で反証可能性が問われないのはだから当然とも言える。その代わり数学の証明では例外は許されない。科学では逆に、反証可能性が常に問われるのに対し、「より現実に即した法則」が見つかるまでは、ある法則は「十分正しい」し、そこから外れた部分は「統計誤差」として扱ってもよい。相対論以前のニュートン力学がそうだったように。

このように根っこのところでずいぶん異なる両者だけど、両者の相性は実にいい。結局のところ、宇宙は完全な無秩序ではなく、無秩序でないところには理論が成立する余地がある。そして理論が成立するところに、数学がある。

404 Blog Not Found:「10の金言」より重いアインシュタインの名言x5

不可解

The most incomprehensible thing about the world is that it is comprehensible.
世界で最も不可解なのは、世界が理解可能であるということです。

ただし、数学の世界でも科学の世界でも世界の完全理解が不可能であることは前世紀に証明されている。数学の世界では不完全性定理という形で、科学の世界では不確定性原理という形で。

それでも、「もうこれ以上理解しようがない」という点にどちらもまだたどり着いたわけではないし、そういう点にたどり着くことさえありえないというのは、少なくとも数学ではわかっている。だから、アインシュタインの台詞はまだ「反証」されたわけではない。というよりその重みはむしろ増したと言えるだろう。

ところで、この宇宙(Universe)と人の心(entoverse)とどちらがより理解可能なのだろうか。

私を捉えて離さない質問の一つだ。

Dan the Being


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この記事へのコメント
科学(者)は社会において数学(者)がやんごとなき立場でいるための
政治的な道具かもしれない。

Posted by 超数学 at 2008年05月18日 15:24
>kky
定義が変わったってことは公理系が変わったってことでしょ。
比べることが無意味です。
Posted by uunfo at 2008年05月18日 02:11
「数学」「科学」という概念自体が人によって定義されており、従って
「しかしどうして数学の場合は科学のように反証可能性のようなものがないのかがわかりません。」という問い自体が数学であるため、その答はすべての人にとって一意のものとなり、また反証不可能です。

ただし、数学の定義そのものが変わった場合、例えば「0が発見される前に行われた証明」は「0が発見された後」に反証されるかも知れません。
Posted by kky at 2008年05月18日 00:33
数学は道具の一つでしかなく、科学は道具ではない。
数学は「できる」ことしか扱わないが、科学はそうではない。
よって、数学は学問ですらない。
が、私は数学を専門にしている。ゲームクリエイタ、ツール職人みたいなものかもしれない。
Posted by やす at 2008年05月17日 23:56
公理化による捨象は、数学が人間の考える"意味"を超えて、
記述されることを可能にしてしまった。

"意味"が人間にとってほぼ唯一の理解の手立てである以上、
数学を理解するというのは、一体どういうことだろうか?

人の手によって産み出された数学は、一旦人の手を離れ、
独立に存在できるようにもなったけど、
同じように宇宙も、人の心を図りかねているのだろうか?

"意味"の外側と、"意味"そのものと、どちらが理解可能だろうか?
Posted by susu at 2008年05月17日 23:53
詰まり、「クリフォード・ストール」風に言えば、「洞窟探検」に行くのと、「洞窟探検ゲーム」をするのとの違いですね。
簡単に纏め過ぎましたでしょうか。では、御機嫌よう。
Posted by THIRD EYE at 2008年05月17日 19:00