2008年10月13日 22:30 [Edit]

Conscienceは良心ではない - 書評 - 格差はつくられた

原著を注文しそびれていたら、訳書が献本されてきた。早川書房の小都様、いつもありがとうございます。

初掲載2008.06.22;
著者のノーベル経済学賞受賞を受けて2008.10.13更新

すでに原著は、ちかちゃんが

On Off and Beyond: 書評:クルーグマンのThe Conscience of a Liberal
「アメリカの貧富の格差が広がったのは、経済の国際化や技術の進歩による『自然な経済現象』ではなく、政策によるもの。一方、アメリカが最も栄えたのは政策的にミドルクラスを生み出した時代だった。国民のためにも、国力のためにも、再度政治的に貧富の格差を縮小し[よ]う。」
というのがクルーグマンの論であります。

と見事に要約してくれているので、これに書いていないことを書くことにする。


本書「格差はつくられた - 保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略」は、"The Conscience of a Liberal"」の抄訳。見てのとおり、邦訳タイトルは釣りなのであるが、「リベラル派の良心」という直訳も最終章のタイトルとしてきちんと登場する。

目次 - どこにもないので手入力 oz じゃなくて orz
    第1章 あの時代の追憶
    THE WAY WE WERE
    第2章 長期の金ぴか時代
    THE LONG GILDED AGE
    第3章 大圧縮の時代
    THE GREAT COMPRESSION
    第4章 福祉国家の政治
    THE POLITICS OF THE WELFARE STATE
    第5章 60年代 騒然の中の反映
    THE SIXTIES: A TROUBLED PROSPERITY
    第6章 「保守派ムーブメント」
    MOVEMENT CONSERVATISM
    第7章 大格差時代
    THE GREAT DIVERGENCE
    第8章 経済拡大の政治力学
    THE POLITICS OF INEQUALITY
    第9章 大量破壊兵器
    WEAPONS OF MASS DISTRACTION
    第10章 平等で格差のない政治
    THE NEW POLITICS OF EQUALITY
    第11章 緊急を要する医療保険問題
    THE HEALTH CARE IMPERATIVE
    第12章 格差社会に立ち向かう
    CONFRONTING INEQUALITY
    第13章 リベラル派の良心
    THE CONSCIENCE OF A LIBERAL
    訳者あとがき

目次には、原著の目次も並記した。本書の訳し過ぎ感を反映したからだ。確かに本書の訳は、タイトルも含めて日本での訴求力が増すようなっているが、同時に Krugman の言い回しの妙が明らかに失われているのが目次からも伝わってくる。例えば第9章の「大量破壊兵器」を訳し戻すと"Weapons of mass destruction"になるが、原著ではdestructionではなくdistractionになっている。私なら「大量破戒兵器」と訳出したと思う。訳書はわかりやすい分言葉のあやが失われている。Krugmanの言葉に直に触れたい人は、原著にもあたった方がよさそうだ。

しかし、私はこの「超訳」を支持する。全米初の黒人大統領(ハーフだけど)が誕生しようとしているこの年に優先すべきは、ニュアンスではなくメッセージだからだ。そしてこのメッセージにおいて、ちかちゃんが読み落とした、というより書き落としたことがある。

「保守派」が何を「保守」したかったかということだ。

それは、ずばり奴隷制度(slavery)であり、そして白人至上主義(white supremacy)である。

もちろん、現代の合州国において、これらの言葉をそのまま口に出すのは Fatally Incorrect だ。そういう候補が連邦議員になるのは「保守派ムーブメント」程度では無理である。しかし、口に出さなくともメッセージを確実に伝える方法はあるのだ。

これこそが、「保守派ムーブメント」が学び、そして政権を取った理由だというのが Krugman の主張である。「保守派ムーブメント」は、Mooreの言うところの「アホでマヌケなアメリカ白人」(stupid white men)を巧妙に操る術を学んだというわけだ。

そんな「アホで間抜けなアメリカ白人」に、「おまえらだまされてるんだ」と伝えるのが、本書の目的の一つである。だまされる方はとにかく、だます方はアホでもマヌケでもない。だから用心しろ。だから実際に何が起きているのかを再確認してみよう、というのが本書である。

それにしても、この「保守派ムーブメント」、小泉政権にテラクリソツで、憤りを通り越して笑いを禁じ得ない。本書はあくまで a book by a liberal, of American, for American な一冊であるが、その意味において対岸の火事とは決して言えないのだ。

ただし、Krugmanの具体的な提案に関しては、疑問点も多い。Krugmanは税制を「大圧縮時代」のそれに戻せ、と主張しているけど、私はそれがうまく行くとはとても思えない。「大圧縮時代」には合州国の力は今にも増して圧倒的だったが、今ではそうではないからだ。「大圧縮時代」を復活しても、「金ぴか時代」を謳歌する他の国が喜ぶだけだ。

本書で一つ不思議だったのは、所得税に関してはさんざん言及されているのに、相続税に関しては一切言及されていないこと。フラット化の時代、フローに対する重税は不利である。著者が模範とする欧州でさえ、そのことは知っている。

私は、所得税の心理的Maxは、50%だと考えている。これを越えると「オレがやった感」が失われてしまうのだ。たとえそれが事実だとしても、「結局おまえが儲けたのは国のおかげであっておまえの才覚ではない」といわれてしまえば萎えてしまう。「半分以上はオレの功績」ということにしておかなければ駄目なのだ。

その代わり、相続税という形で使い切れなかった分を「返して」もらえばいい。その方がずっと徴税コストも低く、そして税収も大きい。これに関しては、今までも本blogでさんざん主張していることだ。

最後に、原著のタイトルともなっている"The Conscience of a Liberal"という言葉。この中の"conscience"という言葉は、たいてい「良心」と翻訳される。本書もそれを採用しているが、私はこのことにずっと違和感を感じてきた。

確かに、

Conscience - Wikipedia, the free encyclopedia
Conscience is a hypothesised ability or faculty that distinguishes whether our actions are right or wrong. It leads to feelings of remorse when we do things that go against our moral values, and to feelings of rectitude or integrity when our actions conform to our moral values. It is also the attitude which informs our moral judgment before performing any action. The extent to which such moral judgements are based in reason has been a matter of controversy almost throughout the history of Western philosophy.

というのを見ると、「良心」と訳出したくなる気持ちもわかる。しかし、まずもって「良心」には goodwill というそのまんまの言葉がすでに存在しているし、"conscience"において重要なのは、「良い」ことではなく、「思い続ける」ことなのだ。

conscience - Oxford American Dictionary
an inner feeling or voice viewed as acting as a guide to the rightness or wrongness of one's behavior

私は、よって conscience には「自律心」という言葉をあてたい。

そして、liberalという言葉。

P. 232
二十一世紀初頭のアメリカの逆説といえるものは、自らをリベラル派と呼ぶ者たちは、重要な意味において、保守派であり、一方自らを保守派と呼ぶ者たちは、ほとんどの場合極端な急進派であるということだ。

この逆説は、保守が改憲を主張し革新が護憲を主張するこの国ではより顕著な学説である。

こういうときは、「保守的」に liberal が何を意味するかを辞書で引いてみるのがよさそうだ。

conscience - Oxford American Dictionary
open to new behavior or opinions and willing to discard traditional values

たしかに後半には「伝統的価値を破棄するのにやぶさかでない」とあるが、より重要なのは前半の「新たな行動や意見に対して開かれている」ことである。前述のとおり、conscienceは、常に考えることを要求する。だから、conscientious であるためには、 liberal であることが必須なのだ。

Goodwill であれば、 Liberal である必要は必ずしもない。すでになにが good なのかわかっている(つもり)なのだから。The Goodwill of a Conservative はありえるが、The Conscience of a Conservative はありえないのだ。

なぜ中産階級が重要なのかという理由も、そこにある。下流では Conscience を維持する余裕がないのだ。だから他者に吹き込まれた goodwill に走ってしまう。それが罠だと気がついた時には遅いのだ。

それを考えると、本書の訳はちょっと「良心的」すぎたかも知れない。しかし読者が充分 conscientious であれば、訳で失われた部分は充分補完できるはずである。ぜひそうやって読んで欲しい。

Dan, a Liberal


この記事へのトラックバックURL

この記事へのトラックバック
出版社より献本御礼。 ソウルフルな経済学 Diane Coyle / 室田泰弘 / 矢野裕子 / 伊藤恵子訳 [原著:The Soulful Science] 良本。それだけにタイトルの誤訳が痛い。そして 幸せって何だろう - 池田信夫 blog 大竹文雄のブログ: ソウルフルな経済学 経済...
経済学(者)の魂 - 書評 - ソウルフルな経済学【404 Blog Not Found】at 2008年12月17日 16:09
独自の視点とユーモアあるブログを書かれるちきりん氏が、ロスジェネを中心とする労働問題を軸に労働をめぐる言説を整理している。 ロスジェ...
労働関係への構えの相違【アメリカ法観察ノート】at 2008年12月12日 16:11
経済の問題としても、また実践的な政治課題としても、格差を是正し、再度アメリカを中
「格差はつくられた」【COCO2のバスタイム読書】at 2008年11月22日 13:15
四方山の人生にポール・クルグマンという人がどんな関係で、どんな影響を与えたのか?って聞かれると・・・ 日本で行われた講演会で、別の講演者のスライドショーのオペレーターとして参加し、その際間近でみたことがあるというだけなんです。 この乗りでいうと、Globe...
祝:ポール・クルグマン、ノーベル賞受賞【四方山三吉(よもやまさんきち)の「風の便り」 Part2】at 2008年10月14日 01:28
この記事へのコメント
 もうちょっと辞書を調べてからお書きになってはいかが? 

longman
conscience -- the part of your mind that tells you whether what you are doing is morally right or wrong

大辞林
良心 ── 道徳的に正邪・善悪を判断する意識

日本国語大辞典
良心 ── 人間が生来もっていて、物事の是非・善悪を判別する統一的意識。また、自己の行為の善悪・正邪を識別する理性。

longman
goodwill -- kind feelings towards or between people and a willingness to be helpful

goodwill は 善意でしょう。

・・・・・・・・・・

 どうしてこういう勘違いの文章を書いたのか、頭をひねっていたのですが、やっとわかりました。
 「良心」を「良い心」の意味に理解していたのですね。なるほど! そういう解釈をする人もいるんですね。


Posted by pat at 2008年10月16日 10:10
森永氏の格差論はどのあたりが作られているのですか?
Posted by へえ at 2008年10月16日 00:18
森永「フィギュア好き」卓郎氏の「年収300万円時代を生き抜く経済学」も作られた格差論ですね。読み比べてみたい。あと森永氏がノーベル経済学賞を取るところが見たい。:-)
Posted by たしか at 2008年10月15日 04:46
日本の相続税制では税対策をしないと三代でなくなるはずじゃ...

Posted by ドラ息子 at 2008年10月15日 01:55
はじめまして。

ブログタイトルの意味の分析、要約を引用させていただきました。
参考になります。
Posted by 若葉 at 2008年10月14日 08:39

>「半分以上はオレの功績」ということにしておかなければ駄目なのだ。

税務署はもらうもんはもらって表彰かなんかして
あげればいいんじゃないですか?
Posted by よく稼いだで賞 at 2008年10月14日 00:50
ある種の人間達を相続税で壊滅させたいのがみえみえの言説

Posted by 成金の性? at 2008年10月14日 00:14
ヒスパニック系と黒人系の分断統治も挙げときましょう。
Posted by とおり at 2008年06月24日 01:36
多分タイポ
s/conscience - Oxford American Dictionary/liberal - Oxford American Dictionary/

Posted by blackdragon at 2008年06月23日 20:04
そんな漢字だらけの言葉、下流には通じないぜ。
Posted by ちいちゃん at 2008年06月23日 00:17
自律心もなんか違和感があるような
内面規範みたいな話なら信条とか
Posted by al at 2008年06月22日 23:03
>下流では(中略)goodwill に走ってしまう。

搾取される派遣労働者を連想して苦笑してしまった。グッドウィル逝ってよし。
Posted by Anonymous Coward at 2008年06月22日 21:30
「超訳」を指示する→「超訳」を支持する。

「指示した」なら言ってもよいかと思いますが・・・
Posted by しま at 2008年06月22日 19:00
さすが弾さん。献本するのも命がけですw。

>本書「格差はつくられた - 保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略」は、"The Conscience of a Liberal"の全訳

とありますが厳密には抄訳です。中盤は日本人になじみの薄いアメリカの政治制度に関する記述が多いので、幾分はしょったダイジェストになっています。
邦訳は釣りといえば釣りですが、和書でも洋書でも書名は基本的には看板に偽りないかぎり最大限読者の興味を引くようにつけるものなので、まあ勘弁してください。
原題は「Conscience of Conservative」というアメリカの保守政治家の本のパロディになっているので、そのまま訳すと日本では何も伝えられないままになってしまいます。

むしろ、弾さんのおっしゃるように、いまの大統領選が一体なんなのか、著者のメッセージを広く伝えることが大事と考え、こういうつくりになったわけです。うまくいったかどうかはともかく。
Posted by 小都@早川書房 at 2008年06月22日 18:36
yyさん、
ありがとうございます。
Dan the Typo Generator
Posted by at 2008年06月22日 18:11
Amazonのリンクが……
Posted by yy at 2008年06月22日 17:45
On Off and Beyondの引用文

 × → 再度政治的に貧富の格差を縮小しう。
 ○ → 再度政治的に貧富の格差を縮小しよう。
Posted by yy at 2008年06月22日 17:31