2008年07月14日 07:30 [Edit]

知識と体験の違い - 書評 - 煩悩の文法

松本@筑摩書房様より献本御礼。

いやあ、日本語って、本当に面白いですね((c)故水野晴郎)


本書「煩悩の文法」は、日本語文法の本。それも、「体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話」とあるように、「知識の文法」と「体験の文法」が異なり、そしてなぜ異なるかを考察した一冊。

目次 - 筑摩書房 煩悩の文法 ─体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法 / 定延 利之 著にないので手入力
まえがき
第1章 知識の文法と体験の文法
第2章 ワクワク型の体験
1 ワクワク型の体験とは?
2 「で」
3 頻度語
4 「ばかり」
5 「たら」
6 「た」
第3章 ヒリヒリ型の体験
1 ヒリヒリ型の体験とは?
2 頻度語
3 「ばかり」
4 「たら」
5 「た」
第4章 環境とのインタラクション
あとがき
参考文献

まずは以下をご覧頂きたい。

  1. 弾の家で本棚があった
  2. 弾の家にパーティーがあった

どちらも日本語としては変である。1.は「弾の家本棚があった」でないと変だし、2.は「弾の家パーティーがあった」でないと変だ。しかし、英語では"There was a bookshelf in Dan's", "There was a party in Dan's"で、どちらも区別していない。

それでは、日本語では何を区別しているかというと、「もの」(object)と「こと」(event)だ。「もの」に対しては「に」を使い、「こと」に対しては「で」を使う。言われてみればそれだけのことだが、そもそも日本語では「もの」と「こと」を文法で明白に区別ことしている自体、日本人にとってはあまりに自然で言われてみないと分からないのではないか。

私はこのことをたまたま知っていた。まさにこのことを外国人に問われ、考えながら説明したことがあったからだ。

この指摘だけでも面白いのだが、本書のキモは、このルールが体験談においては適応されないことを指摘した事にある。たとえば以下の文章を見ていただこう。

  1. あの本、弾の家であった
  2. 「あの本、弾の家であった」

上と下と、どちらが自然に聞こえるだろうか。かぎかっこでくくっただけで、下の文の方が自然になった感じはしないか。

それが何故なのかは、是非本書で確認していただきたい。中学生以上であれば、本書を存分に楽しめるはずだ。川口澄子による挿絵も素晴らしい。

ところで、以下の文章は正しいのか間違っているのか。

  1. あの書評、弾のblogであったよ

日本語って、本当に面白いですねえ。

Dan the Nullingual


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書評リンク - 煩悩の文法―体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話 (ちくま新書 730)
煩悩の文法―体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話 (ちくま新書 730)【書評リンク】at 2008年08月16日 08:18
この記事へのコメント
1. あの本、弾の家であった
2. 「あの本、弾の家であった」

どちらも違和感は同じですねぇ。
Posted by poroman at 2008年07月14日 10:36
>poroman
文語と口語の違いも分からないの?
Posted by あ at 2008年07月14日 12:15
誤bookshell/正bookshelf
Posted by 774 at 2008年07月14日 13:29
774さん、
あ、ほんとだ。ありがとうございます。
Dan the Typo Generator
Posted by at 2008年07月14日 14:00
>あの書評、弾のblogであったよ

 「あの」が何を差すのかが、文内において不明。
 よって、真偽判定不可。
Posted by 結果を出せない奴 at 2008年07月15日 00:12
>このルールが体験談においては適応されない

体験そのものが個人的なイベントだからじゃないかな?
書評が客観的にブログ上に存在するのであれば「弾のblogにあったよ」で正しいけれども、さらにその書評を実際に見て確認したと言う体験を伝えるのであれば「弾のblogであったよ」なんじゃないかな。
だから、それほど違和感のある使い分けとは感じなかったかなぁ。
Posted by ぽぽん at 2008年07月16日 10:26