2008年10月29日 16:00 [Edit]

群衆の責任、いずこ - 書評 - ウィキペディアで何が起こっていのるか

本書「ウィキペディアで何が起こっているのか」は、ウィキペディア批判の一冊ではあるのだけど、むしろ副題の「変わり始めるソーシャルメディア信仰」にこそ主題がある一冊ゆえに、当然はてな村にも適用可能であり、実際はてなの名も何カ所かで登場する。

目次 - Amazonより
第1章 ウィキペディアとは
ウィキペディアの何が画期的だったのか
ウィキペディアの運営母体
ウィキペディアのユーザー
ウィキペディアの管理者とは
ウィキペディアの法律、方針文書
ウィキペディアの対外窓口
第2章 ウィキペディアで起きた事件
ウィキペディア日本語版の方針とガイドライン
ウィキペディアでできる編集操作
行動についてのトラブル事例
問題視されるアカウントユーザー
第3章 ウィキペディアの管理は問題山積み
治外法権ウィキペディア
ウィキペディア管理者の誕生
ウィキペディアは本当に中立を維持できるのか
その書き込みの責任は誰にあるのか
独裁者を嫌う思想
ソーシャルメディアに内在する欠点と次なる脅威
その後のウィキペディア
第4章 それぞれが考えるウィキペディア日本語版
管理者Tomos 氏、Ks aka 98氏が語るウィキペディア日本語版の姿
アンチウィキペディアの立場から、吉本敏洋氏に聞く
山口貴士弁護士が見るウィキペディア日本語版
第5章 変わり始めるソーシャルメディア信仰
そもそもソーシャルメディアとは
ユーザーは企業にコントロールされなくなった
企業と対立するソーシャルメディア
ソーシャルメディア対マスコミ
ソーシャルメディアが信仰に
ソーシャルメディアが悪用され始める
公平性とは何か
公平性への解決策、ウィキペディアの方法と限界
ネット実名への議論
変わり始める、ソーシャルメディアと企業の関係
今、ソーシャルメディアに必要なこと
参考文献一覧
最後に──執筆を通してみたウィキペディア
ウィキペディアはどこに向かうのか
あとがき
P. 95
誤解を恐れず、私の印象を率直にいわせてもらえば、2ちゃんねるとウィキペディアでどちらがコンプライアンス面で優れているかなど、実はドングリの背比べに等しい。だが、2ちゃんねらーは自分たち自身で「便所の落書き」などと、2ちゃんねるのことを称している、それに対し、ウィキペディアンが標榜するのは「世界最大の百科事典」だ
しかし現実は厳しい。世界最大の百科事典の管理体制は、便所の落書き消しにも劣っている。

なぜ著者たちはこれほどウィキペディアに対して厳しいかと言えば、落書きの責任が誰にあるかを、ウィキペディアはつまびらかにしなかったからだ。まさに「ぶ米」(ブックマークコメント)を巡る問題と同じだ。

それでもまだ、はてなブックマークの場合は個々のコメントの「文責」が明らかな分だけましである。ウィキペディアの場合、IDがなくとも記事の編集が可能であり、そして一つの記事を編集するものも複数である以上、個々のウィキペディアンに文責を負わせることは難しい。

さりとて2ちゃんねるのひろゆきのように、「場所を提供した者」の責任を問うこともシステム的に不可能だ。「それは運営母体である米国のウィキメディア財団に言っとくれ」というのは、確かに「便所の落書き」に劣るどころか、便所の壁がうんこで出来ているがごときであろう。

「場」の重要性、そして「場の責任者」の不在の双方において、ウィキペディアというのは確かにソーシャルメディアの極北にある。はてな村などかわいいものである。が、両者の最大公約数を取ると、それが問題の本質となる。すなわち

弾言」 P. 154
ネットワークの自体の価値 = ネットワーク全体の価値 - Σ[個人の価値]

が、負の価値に対しても成り立つということである。1の記事についた100のネガティブコメントは、100の記事についた100のネガティブコメントよりも大きなダメージを元記事の執筆者にもたらすのだ(ということですよね>終風翁)。

もちろん、「ネット(この場合「ネットワーク」ではなく「グロス」の反対)で価値がプラスであればいいじゃないか」という意見もあり得る。が、それは「少数派の不利益を最大限回避する」という、ウィキペディアをはじめとするソーシャルメディアが志向する民主主義の理念に悖ることも意味する。

ここからは私の意見で、かつて「サンデージャポン」や「朝まで生テレビ」でも言ったことであるが、ソーシャルメディアの責任の「本籍」は、発信者でもなければ場の提供者でもなく、実は受信者である。「真に受けた方が悪く」、「だまされた方が悪い」。ソーシャルメディアはオープンソースの延長上にあり、実際ウィキペディアで採用されているライセンスはGPLを母とするGFDLである。そしてオープンソースの世界では、責任は作成者ではなく使用者が負うことになっている以上、責任は個々の受信者にありとするのが正しい。

しかしオープンソースでようやく理解が進んだこの理念は、ソーシャルメディアでは理解すらされていない。本書の著者たちも理解していなかった。そしておそらくウィキペディアンたちも理解していないだろう。本書の著者たちは、さまざまなステークホルダーにインタビューしているが、彼らの誰一人とて「読者責任」を上げたものはいなかったのだ。

もちろん、プログラムという「利用者が実行しないと何も起きない」ものと、ドキュメントという「目に入っただけで何かが読者に生じる」ものとを同じ理念で処理しようということにも無理はあるだろう。また、プログラムはパッチできても個人情報の漏洩はパッチしようがないというのも事実だ。

しかし、読者が間接的にすら代価を払っていないソーシャルメディアというシステムにおいて、TVなど「見かけ上代価がない」、しかし実際には広告や受信料という形でしっかり読者が代価を払っているシステムの常識をそのまま敷衍するのもこれまたおかしな話ではないだろうか。

嫉妬が生みだす公正な社会 - レジデント初期研修用資料
北米に移り住んだアメリカ人は、アパッチ族を撃退するのに、相手に「牛」を贈与した。

まさに本書の提案がそれである。牛のオーナーになってしまえば、オーナー責任が取れるのだと。「牛糞(bullshitには「大ウソ」の意味もある)を片付けろ」とオーナーを問いつめるができるのだ、と。

しかし、それはソーシャルメディアから「ソーシャル」を取り上げることではないのか。ただの「メディア」となったウィキペディアやはてなブックマークなぞ、何が面白いのか。

「アパッチ族」という群衆を撃退するのではなく、「群衆」と共存する道は本当にないのだろうか。

本書を片手にあなたにも考えてほしい問題だ。

Dan the Social Blogger


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「はてなブックマークという暴力増幅装置。」真性引き篭もり 「まじ難しい問題かな」finalventの日記 ブ米ページなんていうものは、CGIに各人がコマンドを送って見たい人が随時生成すればよいのであって、パーマリンクで存在するなよあんなもの...
テキスト【鳥新聞】at 2008年11月10日 18:42
元の議論は随分と長いことやってらっしゃるようで、いまさらわたしに言えることはない。 (いや、あるかもしれないが面倒くさい。)
群衆の一人として。【僕らの流儀】at 2008年11月02日 19:43
「読者責任」とはすごい発想というか、トンデモ発言だと思う。オープンソースの運動は何と戦い何を守るために始まったものか?ということが消え去りそうな感じがする。まあ、僕は、オープンソースの思想なんて知らないから、適当なこと言っておくけど、弱者に責任を取らせる...
新たなる弱者に対する自己責任論といじめの構図【悪衣悪食を恥ずる者は】at 2008年10月30日 23:39
情報というのは、どこに、どれだけ、どんな形で提示されているかでその意味を変える。 ・たぶん越権さんには通じないと思うけど - finalventの日記 ・finalventさんのはてなブックマーク観について ・404 Blog Not Found:群衆の責任、いずこ - 書評 - ウィキペディアで何が起...
はてなブックマーク的未来の恐怖【Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記】at 2008年10月30日 15:07
この記事へのコメント
ブロックは「懲罰行為ではない」んですか>ゆきちさん
管理者・海獺が明らかに懲罰に用いている実態について、弁明を求めたいところです。
Posted by LT at 2009年03月20日 11:48
ウィキペディアの内容は現実に即していなくても、誰かが直さなければそのまま古い内容が罷り通ってしまう。
“本人自称だから正しいのだ”と強弁されればそれが嘘八百であっても罷り通ってしまう。
今や、“書式のある2ちゃんねる”ですね。

それから「ゆきち」さん、あんたはウィキペディア日本語版が批判されてるところには必ず出て来て弁護するんだね。組織防衛が始まったらお終いだよ。
Posted by AS at 2009年02月11日 15:38
ウィキがうんこでできた便所。
じゃ、そこで巣食う馬鹿マスター「海獺」は「条虫」に名前変えてほしいもんだな
wiki常連がアンチにつっこんでくるんぢゃねえよ、ゆきち んこ
Posted by ウンコペディア at 2008年11月11日 18:43
↑こーゆーのは遺憾よね。金とか貰わないで勝手に与太吹いてるなら兎も角、顔と名前で物売りやってお小遣い?貰って、それで不都合箇所への指摘が無いってのは美しくない。

 好きな漫画のココがイイ!! とかなら罪も無いけど、それなりの教養本で、ある意味「教えてあげるよ?」的なスタンス取ってる書籍で不都合不合理の類を指摘しないのは、ちょっとどうかなー的な。

 まぁ、私は読んでないし読む気も無いからどこがどう違ってどんな悪影響?があるのか知りませんしどっちでもいいんですけど。

 書評仕事も大変だなって思うんで、頑張っていただきたいです。
Posted by 野ぐそ at 2008年10月30日 22:50
その本、巧妙に嘘を紛れ込ませているので、質が悪いですよ。例えば、無期限ブロックを「無期懲役」とか書いているけど、そもそもブロックは「懲罰行為ではない」と何度も説明しているんですけどね。比喩だからって、書いていいことと悪いことがある。
Posted by ゆきち at 2008年10月30日 16:40
 あとねぇ。ネットis息抜き空間って思ってる人多いでしょ。何だかんだで。実社会でそれなりの責任やプレッシャーやストレスや貧困に晒されて、癒し空間的な感覚でネットに手を出すヤツは相当数居るから。そういう人たちにしてみれば、ネットにもマナーを!! 責任を!! とか言われたところで知ったことかって感覚なんじゃないんかな? 極限まで無頼放蕩で好き勝手やって、お上(笑)が「こりゃ遺憾、何とかせねば」とか言い出してアレコレ規制しだすようになったら、じゃあもういいよ、でどっか逝っちゃう的な。

 そういう意味では、キャバクラとか風俗とか、そのへん空間とあんまし変わらんような気がするなぁ。

 私物をゴミ箱に捨てるとか、集団で無視するとか、営業用の携帯電話壊すとか、衣装破り捨てるとか、毎日のよーに罵詈雑言浴びせて鬱になるまで追い込むとか、伝言わざと伝えないで失敗さすとか、そおゆう類の嫌がらせの一環に「ネットで悪口陰口」みたいなのがあってさ。

 ネット利用者のそれなりの部分が「そおゆう界隈の人」だったりするから「そういうことスンナよ?」とも言い辛かったり、言っても効き目無かったり。効き目出したら逃げちゃったり。そんなもんかと。

 ウィキペディアで何が起こったか、とは次元違うけど、まぁ、そんなもんかのー…とは思います。だからあたしゃー「馬子にも衣装・猿冠者・時代遅れ」って言っといた。どこでも有り得る、底辺の世界ってヤツでしょう。
Posted by 野ぐそ at 2008年10月30日 00:24
 「群衆の責任」っつー概念が無いでしょ。
 個々で責任を取りたくないか極限まで薄めたいから群衆化する、が基点だと思ってる人の方が遥かに多いわけだから。少なくともネットでは。
 ビートたけしさんの「赤信号、皆で渡れば怖くない」に近い心理状態でしょ。それに対して文句付けたところで、「赤信号、皆で渡ったら全員轢き殺す」と言われたのと同じような受け取り方しかしないと思うよ。
 んで、そんな馬鹿なことを言い出す支配者(?)は排除しろ!! 俺たちは自由だ!! 国家が国民の自由に口出しするとは何事だ!! 官憲の横暴だ!! …って論調が出て来て、まぁソッチの方が都合いいから、んじゃそれで、と成るんでしょ。

 言論ヤクザとか腐れ左翼がよく使ってくる手法だよ。
Posted by 野ぐそ at 2008年10月30日 00:07
この台詞が出てくると期待したのに出てこなかったですね。

うそはうそであると見抜ける人でないと難しい
Posted by 7743 at 2008年10月29日 23:08
責任とは、利益を得るものが負うもの

“貸し手責任”はそのものだし、顧客の購買行動にしても対価以上の価値を感じて手を出せば“買い手責任”がある
*「消費者庁」が気持ち悪そうなのはその辺

「わざわざ時間を割いてやったんだ」とか、労力に報いることは“礼節”の話しなので“責任”とは別次元

子の成長に喜びを感じてしまう親として、幸福感という利益を得たことの“責任”を思い出させていただきました

:-p
Posted by 課長007 at 2008年10月29日 19:34