2008年11月11日 19:30 [Edit]

英語の世紀で日本語を話せるよろこび

間違いなく、kennのエッセイのベスト。

英語の世紀に生きる苦悩:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan
私には、英語コンプレックスがある。

私にとっては、英語も日本語も「外国語」というか、「マイノリティの言語」である。「英会話ヒトリゴト学習法」で触れたように、双方ともそれを話す人格はいるのだけど、圧倒的多数は、「オレ言語」というか、英語とも日本語とも異なった思考法で思考している。最も異なるのは「文の流れ」で、英語も日本語もString = 文字列 = 紐という形で「直列」に展開しているのだが、「オレ言語」では「全て」が「同時」に「目の前に現れる」。この感覚を他者に説明するのは難しい。が、「Stringではない」というところまでは伝わるかも知れない。

で、他の「共通語人格」が何をするのかというと、「いっぺんに見えたそれ」を「直列化」= Serialize しているのである。「一枚の絵を見せる」のが「オレ人格」で、それを「実況中継」するのが「共通語人格」いったところであろうか。

こんな感じなので、私の言葉づかいはどちらにおいてもたどたどしい。Native Speakersの平均を1とすると、自分のそれはどちらも0.6ぐらいだろうか。ただし、英語の方がわずかではあるが「楽」である。脳が疲れた時発するのが英語であることからもそれが伺える。ただしその差はわずかであり、重要なのは「どちらも平均に劣る」ということである。

ところが、である。

英語の世紀に生きる苦悩:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan
そのようなことを一番実感するのは、パーティに招待されたときだ。とくに若くて頭のいい子たちが集まるスノッブなパーティはことさら苦痛だ。このあたりのアメリカ人は英語の不自由な外国人に慣れているから、真剣に話せばじっくり聞こうとしてはくれるのだけれど、自分たちが話すときには暗喩的なレトリックを多用しながらマシンガンのように言葉を発し、どんどん話題を切り替えていくから、聞いてるこっちは今何について言及しているのかよくわからなくなる。

私のたどたどしい言語能力が、最も活き、話すことができるここちよさが、話しづらいもどかしさを上回るのが、まさにこういったパーティーの時なのだ。なぜなら、そこで最も注目されるのは、「どう言い回した」かではなく「何を話したか」だからだ。そこにおいては、頭のいい彼らですら、「首尾一貫した文法」はあとまわしにされる。Subject-verb "disagreement"なんてしょっちゅうで、「いいまつがい」だらけなのが「会話」である。そこではStringは「糸玉」となってもつれ合う。それが、私の「人格群」に「ホーム感」をもたらす。

しかし、それだけでは「何を話したか」が他と際立つことは説明できない。なぜ私は他の人と同じ言い回しをしないのか。そしてそれ故に、パーティーが終わった後でも「覚えていて」もらえるのか。

二つ以上の言語を、知っているからだ。

私は英語を日本語の視点から見ることも出来るし、日本語を英語の視点からも見ることができる。お互いの人格がそれぞれの「背中」を見るだけなのだから楽なものである。

そしてそれは「二重言語者」にとっては当然の行為でも、「単一言語者」にとってはそうではない。

これは、とてつもない優位(advantage)ではないのか。

自分の交友録を振り返ってみても、「この人とまた話してみたい」と思わせる人のほとんどは多重言語者であり。逆に、単一言語者は話相手としてはつまらないことが多いのだ。

「英語では駄目なのです。保証しますよ」と高らかに英語で宣言したベネディクト・アンダーソンと同様の底なしの無邪気さと鈍感さである。

この「英語を<母語>とする者たちの無邪気さと鈍感さ」というのが、「日本語が亡びるとき」の通底和音なのだが、私には、むしろそれこそが彼らの弱点であり、彼らにはそのことを見ることすらできないことに哀れみすら覚えるのだ。

英語を母語としない者は、英語は「必要に迫られて」学ぶ。英語を母語とするものがそれ以外の言葉を学ぶ際に、その動機は存在しない。一年間、毎週五時間クラスに通い続け、一応単位も取得したはずのドイツ語を、私がマスターできなかったのかの理由が、まさにそれだ。そして、たった一週間しかいなかったイタリアで最後にはカタコトではあるがイタリア語を話せるようになっていた理由も、それだ。

「必要に迫られる」。これほど効果覿面な学習法は、ないのだ。

そして英語の世紀において、英語を母語とする者たちは、外国語を学ぶ必要に迫られることなく一生を過ごす。こうして「かまけて」いるうちに、多重言語者である「よそもの」たちが自分たちの頭を超え、社会のおいしいポジションをどんどん抑えてしまう。

これが、英語の世紀をもたらした国で起こってることなのである。

英語の世紀というのは、むしろ単一言語者を弱者にしてしまう時代なのではないだろうか。

さらにやるせないのは、その単一言語者にも序列が出来てしまうことである。同じ単一言語者でも、英語の単一言語者は確かに非英語の単一言語者よりも優位にある。同じ単一言語でも、英語とスペイン語では後者は「下」になってしまうのだ。

しかし、その英語の単一言語者もまた、多重言語者においしいところをもっていかれてしまうのだ。

いま現在の安寧をもとめ、英語というハンデのある世界に背を向け、それなりに豊かな日本語の世界に逃げ込んだとしても、日本語が実際に凋落してしまう前に寿命を迎えて逃げ切れるのであれば、一世代の戦略としては正しい。しかしそれは、ますます今後も勢力を増すばかりの英語の世紀にあっては、子孫に負債を残すことにならないだろうか。

そう。子孫。

これこそが、今の日本でもっともないがしろにされている価値ではないのか。

404 Blog Not Found:惰訳 - Barack Obama's acceptance speech in full
America, we have come so far. We have seen so much. But there is so much more to do. So tonight, let us ask ourselves ? if our children should live to see the next century; if my daughters should be so lucky to live as long as Ann Nixon Cooper, what change will they see? What progress will we have made?
アメリカよ。わたしたちはこれほどの高みに来ました。これほどのものを目にしてきました。しかしやらねばならぬことはさらに多いのです。わたしたち自身に問いかけようではありまえせんか。もし子どもたちが次の世紀を迎えるのだとしたら、私の娘たちがアン・ニクソン・クーパーと同じぐらい運良く長生きしたとしたら、彼らが目にする変化がどれほどのものであるのか。わたしたちがたどりついた進歩がいかほどのものであるのか。

新大統領は今後嘘つきでないことを少なくとも四年、低からぬ可能性として八年かけてそれを証明していくことになるのだが、実は日本にも未来を確約し、そしてそれを反故にした元首がいる。

小泉純一郎である。

自民党や郵政省などいくら壊しても構わない。格差拡大でさえ、少なくとも彼に(自民党候補に投票することで間接的に)票を投じた者たちは甘受すべきあると私は思う。

しかし、彼が「米百俵」を笑殺したことは、一人の親として絶対に許すことが出来ない。

確かに日本の台所事情を考えれば、水村案II、「国民の全員がバイリンガルになることを目指すこと」は実に困難に思える。しかし私は知っている、水村案III、「国民の一部がバイリンガルになることを目指すこと」が、バイリンガルとモノリンガルの間に、超えられない壁を築いてしまうことに。

「国民皆バイリンガル」、実に困難だ。日英語ともなればなおのこと。デンマーク人やオランダ人の英語のうまさはあまり慰めにならない。彼らの母語は英語の姉妹なのだ。同じバイリンガルといっても、英語と日本語のバイリンガルにというのは、英語とゲルマン語族のバイリンガルとは比較にならないほど難しい。

しかし、フィンランドはどうか。フィンランド語は、ゲルマン語族どころかインド・ヨーロッパ語族ですらない。母国語の英語からの距離は相当なものだ。しかし彼らの実に多くが英語を話す。英語を学ぶのがずっと楽なはずのドイツ人よりも、彼らのバイリンガル率は高いように感じられる。

これは、充分なコスト -- 時間と金 -- をかければ、IIを選ぶことも可能であることの証なのではないだろうか。

英語の圧倒的一人勝ちで、日本語圏には三流以下しか残らなくなるが、人々の生が輝ければそれでいい - 分裂勘違い君劇場
そして、梅田望夫氏や小飼弾氏のような、ウルトラスーパーエリートにとっては、
たいした負担ではないかも知れないが、
せいぜい上位20〜40%ぐらいのごく普通の日本人にとって、バイリンガルになるということは、大変な負担だ。

前述のとおり、私にとってもバイリンガルであるということは大変に重いコスト負担であり、そのコスト故に流暢さという、社会においてはかなりの価値を有するカードを手放して得た代物である。そして手放したカードがそれだけではないことを、「日本語が亡びるとき」はいやがおうでも教えてくれる。私はカタコトの現代日本語を話すが、日本語の伝統という教養を欠いている。何万冊本を読んでも、この無教養は未だに治っていない。kennが英語に感じているような「コンプレックス」を、私は「日本語の伝統」に感じているのだろう。

しかし、その代わりに手にしたものもまた大きいのだ。何よりも大きいのは、今私がこの日本で生きていて、しかも妻や子までいるという事実そのものだ。なぜそれが可能だったかといえば、私がそれを可能にするだけの「生産能力」を有しているからで、そしてその「生産能力」は、私がカタコトではあっても、バイリンガルであることを必要条件とする。

日本で、家族とともに生きていくのに、バイリンガルであることが必須だった、という事実。

モノリンガルであったら、ひいき目に見てもワーキングプア、いやそれにすらなれなかったであろうという自己認識。

私は、すでに言語力格差というものが存在することを感じている。目に見えないけれど、それは存在し、そして今までそれを言語化できなかったけれど、水村美苗がそれをやってくれたことに感謝している。

とりとめがなくなってしまったが、伝えるべきことは、一つ。

英語の世紀においてこそ、英語以外の言語を持っていることが決定的な強みになるということ。

たとえ、英語、母語それぞれの能力がそうでない場合と比べて劣っていたとしても。

Dan the Nullingual


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A couple of guys are committing cultural harakiri. 日本語は滅ぼすべき。(なるべく計画的に) - 小学校笑いぐさ日記 日本語はないほうがいい - gettoblasterの日記
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人種差別とエスニックジョークは「さじ加減」次第――小飼弾さんにつける薬5【平岡公彦のボードレール翻訳日記】at 2008年12月20日 18:26
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梅田望夫さんに問う――水村美苗『日本語が亡びるとき』を読む4【平岡公彦のボードレール翻訳日記】at 2008年11月24日 20:13
404 Blog Not Found:英語の世紀で日本語を話せるよろこび この「英語を<母語>とする者たちの無邪気さと鈍感さ」というのが、「日本語が亡びるとき」の通底和音なのだが、 これはおそらく 通底和音→通奏低音 http://nakagawashoji.fc2web.com/framepage1.htm このページの
2008-11-12【校正日記】at 2008年11月12日 01:38
この記事へのコメント
いつ読んでも,わかりにくいです。
文字数が多くて
話が飛んで

>「オレ言語」

その通りですね。
Posted by あああ at 2008年12月03日 01:05
弾さんの言語の捉え方はわからないでもないですが、
2つ以上の言語をgivenで同じくらい使える人は、
そもそも言語について特に考えることをしません。
それが歩くことと同じだから。

歩くことがいちいち話題にならないのは、
国境を越えてもみんな歩くから。

そして言語に対する感覚がnativeのバイリンガルとずれているところに
言語習得に対して頑張ったんだなというところを感じます。
Posted by tom at 2008年11月14日 00:35
シロウト目に見れば、支離滅裂氏より弾氏の言ってることの方が
わかりやすいな。どうでもよいことかもしれんが。
Posted by 俗人 at 2008年11月13日 11:52
>支離滅裂

なんか職場で嫌なことでもあったんですか?
Posted by 可哀想に at 2008年11月13日 06:57
日本語以前に論理がめちゃくちゃです。あなた本当にビジネスマンだったの?これが上司との会話だったら「お前の話は支離滅裂だ」って怒られますよ。

それに「生産能力」って、あなたのコードは世の中のソフトウェアに比べてそんなボリューム無いでしょう?プログラムの仕様だって難易度低いし、インターフェイスも低難度。データ構造も超単純。納期だって無いようなものだし、外部との折衝・調整もほぼ無し。スローペースが許されるなら必ずできる。
単に無償労働だから誰も手を出さないだけで、対価さえ払えばこの程度の仕事をこなせる技術者は必ず見つかりますよ。
技術は単にそこそこってレベルなのに、奇特な事だったから大ボラが通ってしまったという印象を受けます。

それにしてもこんな人がライブドアの偉いサンだったの?ちょっと信じられないな・・・
Posted by 支離滅裂 at 2008年11月13日 06:21
>そしてその「生産能力」は、私がカタコトではあっても、バイリンガルであることを必要条件とする。

カタコトでいいの?だったら可能な人は多いのでは?

以前のエントリでは梅田さんのセリフを引き合いに出したり、わざわざ英語と日本語で文章を併記したりして、自分は物凄く英語力があるんだぞと自慢をしていたではないですか。
そしてエリートに敬意を払わないのは無礼だとか言って。

もっというと、本当にそれ(バイリンガル)は必要条件なの?そうは思えないんだけど。
無理やり決め付けているように見えますよ。根拠の記述がまるで無いから。

>日本で、家族とともに生きていくのに、バイリンガルであることが必須だった、という事実。

それは一般化されうるだけの事実なのですか?
加えて、本当に「必要だった」とご自身でも思われているのですか?
正当化したい感情にまかせてデタラメを言っていませんか?
私には、あなたはウソをついているように思えます。

>モノリンガルであったら、ひいき目に見てもワーキングプア、いやそれにすらなれなかったであろうという自己認識。

だからといって誰もが「モノリンガル」=「ワープア」とは言えない。
だいたいそんな事言うならほとんどの上場企業の社長でも「ワープア」以下となってしまいます。
Posted by 支離滅裂 at 2008年11月13日 06:20
通底和音⇒通奏低音?
Posted by yabu at 2008年11月13日 04:45
内閣総理大臣は日本国憲法上元首には当たらないでしょう、天皇も外国では元首扱いだけど現行憲法上は厳密に言えば元首と言えるのかなぁ?
Posted by タケシ at 2008年11月12日 20:46
>ドイツ人よりも、彼らのバイリンガル率は高いように感じられる。

フィンランド・・・人口が少ない→フィンランド語の本が売れない→英語を
身につけた方がマーケット的に何かと有利。
ドイツ・・・人口が多い(周辺国もドイツ語)→ドイツ語マーケットが
充実していて、英語の必要性が他の欧州小国よりずっと小さい。

こんな具合なのかも。
フィンランドと同様の例は他の北欧諸国とオランダでしょうか。

イタリアや南米みたいに開き直って、英語なんか高等教育でも必要ない、
やりたい人は好きにやれば、というのは自国の文化や方向性に相当自信が
ないとできないですねえ。
Posted by 俗人 at 2008年11月12日 11:23
>この「英語を<母語>とする者たちの無邪気さと鈍感さ」というのが、「日本語が亡びるとき」の通底和音

って、ちなみにどんな音程?完全4度 かな?
Posted by 通りすがり at 2008年11月12日 09:35
おれも関西弁と標準語のバイリンガルです
最近の子供はテレビで標準語に毒されていて関西弁が生きのこれるのか心配です
Posted by njr at 2008年11月12日 09:02
前のエントリーでは、
「二つ。日本語を遺すということは、現代の日本人に対するにとどまらない、将来の世界に対する我々の責任であるということ。」
と語っていましたね。、
そして、それが、情緒的な、日本語ナショナリズムの強制だと非難されると
「日本語と英語の両方が話すことができれば、英語しか離せない人よりも優位になれる。」
と主張する。
論点がすり替わっていませんか?
Posted by takakazu at 2008年11月12日 08:15
内田樹 「アメリカの選択」  
htt p://blog.tatsuru.com/2008/10/01_1923.php
この記事は重要かもしれないです。
Posted by 結構真剣です at 2008年11月12日 00:24
2つ知って、ある程度使いこなせるようになって、
あらためて、
母国語の美しさとか、
きめ細かさとかを知って、
母国語も、
seccondも極めたいって思うんだよね。

そうじゃない人には、わからない高尚な
悩みです。
Posted by higekuma3 at 2008年11月12日 00:16
弾さん、内田樹さんの「ユダヤ文化論」を「公理の無視」の一言で
片付けてたけど、もうちょっと色々言ってほしかった。
というのは、圧倒的な「ホーム」もしくは「ベース」があることの強み、
もしくは圧倒的な使命感があることの強みについて考えるべきではと。
言語に限らず今後も頻発しまくるであろう「アイデンティティ論」は、
最終的に(公理の無視を伴っても)ユダヤ人論に、
もしくは「真空に放り出された人」論に行き着くんではないでしょうか。

Posted by 結構真剣です。 at 2008年11月12日 00:00
>圧倒的多数は、「オレ言語」というか、英語とも日本語とも異なった
>思考法で思考している。

ボクも自分は特別なんだ、と思いたい年頃がありました。
・・・というのは冗談ですが、なんかこう、こういう話になるとバイリンガル
とか母語で考えるとかそういう話を客観的に出来なくなっちゃうのでは?

私も地球上のどんな言語とも似ていないオレ言語で思考しています。
説明するのは難しいけど。
Posted by 通りすがり at 2008年11月11日 23:44