2008年11月19日 19:30 [Edit]

テキストも読もうよ、テキストブックだけじゃなくて

私もこのことには120%同意するので....

ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊を紹介 - 分裂勘違い君劇場
しかし、分裂勘違い君劇場より1000倍優れている梅田望夫氏や小飼弾氏の本やブログといえども、図書館や書店に並ぶ良書の前には、やはり、ゴミより幾分マシだという程度の価値しかないのです。

どんなすごい本を紹介してくれるのかと期待したのだけど....

期待どおり、期待はずれ。

テキストブックばっかじゃん。


「テキストブック」と「テキスト」の違いは、「日本語が亡びるとき」を一読いただくとして、別のいい方をすれば「ノンフィクション」と「フィクション」となるだろうか。「読み物」と「物語」の違いと言ってもいい。

この両者の違いは何か、といえば、行間を読む必要があるかないか。テキストブックでは、行間を読むのは罪悪でもある。なまじ行間を読んだら、教師に減点される。

しかし、テキストにおいては、行間にこそ読書がある。そこに書かれていないものをどれだけ読み取れるか--裏をかえせば、どれだけ豊かに誤読できるか--で読書の質が決まってくる。

それ故、テキストは読みづらい。それ以上に読ませづらい。本blogで紹介している本の過半が「テキストブック」になってしまっている理由の一つだ。本当はもっとテキストも紹介したいのだが、私の能力不足もあってなかなかそうは行かない。

しかし、そうしたテキストこそが、テキストブックの書き手を書くことに駆り立てたのだ。

聖書なくしてニーチェはありえたか?

本を食に見立てると、テキストブックというのは加工食品ともいえる。栄養価が高くて味が良いだけではだめで、いかに手をかけず口をつけられるかというのも重要な価値になる。

生きていくためなら、そういった食事だけで済むし、一生かけても食いきれないほど充実している。

しかし、私はそれを豊かな食事とは呼ばない。

食材から自ら作った料理だって食卓に並べたいのだ。

id:fromdusktilldawn 紹介の二十五冊の栄養価の高さは私も保証しよう。八割は私も読んだし、残り二割も多分大丈夫だろう。その二十五冊に欠けているのは、歯ごたえ。歯ごたえに限って言えば、これらの二十五冊は「ハリー・ポッター」にも劣る。

ところが、テキストは、まさにテキストであるが故に読み手を選ぶ。古典がいい人もいればSFがいい人もいる。こればかりは実際に「食ってみない」とわからない。そして食えば食うほど、自分の趣味趣向、すなわち自分というコンテキストが読書にも現れる。そして、読み手どおしの世界はますます離れていく。

それでも、読書を進めていけば、あるテキストブックがどのテキストに依って書かれたかというのはある程度わかるようになる。それがわかったら、そのテキストを読むというのも読書の愉しみの一つだ。

で、近代西洋哲学の場合、聖書というテキストはどうしても外せない。神を殺すには、まず神をこさえねばならない。少なくとも近代の哲学者は、聖書のおかげで神を作る手間を省くことができた。

ブッディストに言わせれば、なんという時間の無駄ということになるだろうか。ありもしないものをわざわざこさえてぶっこわして、それで何かわかった気がするなんて。

それでも、哲学ではなく哲学者がわかりたかったら、双方とも読むしかないのである。

404 Blog Not Found:A man I love to hate - 吉本隆明の声と言葉。
しかし、吉本隆明には、これがある。
言葉の一番の幹は、沈黙です。言葉となって出たものは幹についている葉のようなもので、いいも悪いもその人とは関係ありません。

私はこの人の「テキストブック」、すなわち「読み方」を嫌いつつも、テキストブックの限界を知り、それをテキストブックしか読めない人にもこのような簡潔な言葉で示せることこの人の読解力を畏敬せずにはいられない。

テキストブックだけ読んでも、テキストはわからない。

これは、断言しておいてもよさそうだ。

Dan the Man with More Text to Read


この記事へのトラックバックURL

この記事へのトラックバック
 最先端の学知に対し常に一定水準の関心が集まる状態を維持することは、現代の人文学が直面する最も深刻な課題です。    現代において人文学は絶えず「なんの役に立つのか」という問いにさらされる運命にあり、今ある学問がこれまでどおりの形で存続すると...
真の危機は教養の崩壊ではないか――東浩紀「教養とライフスタイルを切断せよ」を読む【平岡公彦のボードレール翻訳日記】at 2008年12月14日 21:09
 現在このブログでは、以下のような連載記事を記述している。 『【はじめに】ネットで人生が破壊されるただの「読者」と、ネットを有効活用できる「記述者」の違い - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師』 『【第一の観点】ネットで人生が破壊されるただの「読者」と、ネッ
【予備考察】野暮なid:ekken・チキンのid:finalvent・なんとかやってこれた小飼弾 はてなブックマークとハイパーテクストのメディア論 「我々は複雑性に立ち向かえるのか」【別館:ポスト・ヒューマンの魔術師】at 2008年12月02日 07:14
 今回記述している連載記事は、分裂勘違い君劇場id:fromdusktildawn氏の『 ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書を読もう - 分裂勘違い君劇場』に対するリアクション・ペーパーである。私は、この『 ネットに
【第一の観点】ネットで人生が破壊されるただの「読者」と、ネットを有効活用できる「記述者」の違い(2)【別館:ポスト・ヒューマンの魔術師】at 2008年11月28日 21:27
哲学とは、道徳的とか、謙虚とか、役に立つかとか、そういう一切の制約の外側で、ゼロリセットで思考することです。倫理にも実用性にもしばられず、一切のタブーを設けず、「ほんと...
ジャンクフードは体に悪いが魅力的であるのは事実だ【某氏のたわごと】at 2008年11月20日 02:04
この記事へのコメント
>エクリチュールの零度

いそがしい方ですね。
気分を害されたなら、失礼しました。
Posted by しおしお at 2008年11月22日 23:35
分裂君の読書は、予備校の読書ですね。
原文ですらなく
翻訳書ですらなく
注釈書ですらないです

最近読んだ本でのお薦め
「日本語の森を歩いて」講談社
Posted by PK at 2008年11月21日 13:06
ここは面白いインターネットですね。
Posted by cfonas at 2008年11月21日 01:00
>しおしお
>読書量はあまり関係ないです

でも君の読書量が少ないのは間違いないよ。

普遍をかすりもしていないのに、そう見えてしまう可能性について思い至るだけの謙虚さを持たなきゃね。
Posted by エクリチュールの零度 at 2008年11月20日 23:47
読書量はあまり関係ないです。認識の深さや広さとは関係ないです。
また、行間とは語られない何かのことです。
語られぬ何かと何かの間に語られていることがあるわけです。
重要なのはじつは語られぬ何かの方ではないでしょうか?
テキストとテキストブックという風にとりあえず分類したのも、
そういうことなのではないでしょうか。
言葉は突き詰めていくと定義できません。
定義そのものを言葉でやらなくてはならないからです。
沈黙せよは、もう考えるな、ではなくて、
感じろ、ということのようにも思われます。
自信たっぷりに見えるのは、言葉がもう弾さん個人を超えているからです。
普遍へと到達しようとする言葉に接すべき謙虚さを忘れないようにしたいものです。

Posted by しおしお at 2008年11月20日 23:21
聖書だけじゃなくてアリストテレスとソクラテスとプラトンとストア派哲学とキケロも加えといて
Posted by ky at 2008年11月20日 21:44
>自信たっぷりの言説は無知故
的確過ぎる指摘に吹いたw

>寿命
馬鹿は黙っておくと馬鹿がばれない事もあるよw
Posted by 的確過ぎる指摘に吹いたw at 2008年11月20日 14:16
 私も行ってみたけど、わたしゃ、弾さんを 20000% 支持するよ。だって、「読んでみたい」って思う本がひとつもなかったもん。

 経済と哲学に偏っている時点で、ワタシ的には×。

 だいたい、経済学って、学ぶ価値あんの?ノーベル賞学者が大失敗やらかしたって話も聞くし、だいたい、今回の金融危機だって、「ちゃんと経済を学んだプロ」がやらかしたことでは?
Posted by 寿命 at 2008年11月20日 13:49
読書は、豊かな誤読でつ。

 うわーくんも、盲信者きもさんも、ここのテキストを誤読していて、

 まさに正しいと、断言する!


カッコよかったでつか?

誤読のスゴいところは、みんな正しくなるのでつ!
それになんでも断言できるのでつ。
移民の気持ちにもなれるのでつ。

でつ!!
Posted by えっと at 2008年11月20日 10:50
なけなしの知識で頑張ってるとは思うよ。

でも

挙げられた本のほぼ全てを読んでないでしょ。

テキスト・テキストブックなんて言うあたりで

この百年くらいの哲学や思想の問題意識が全くないことが分かっちゃう。

大森荘蔵を読んでいたら、(若しくは読めていたら)

恥ずかしくてかけないこともこれまで書いてきたわけだし。

自信たっぷりの言説は無知故、な訳だけど。
Posted by 盲信者きも at 2008年11月20日 10:33
読書量が絶望的に少ない人の典型的な文章だね。

「八割方読んでる」ってのが悲しい。

「語れると思う前に、まず、本嫁!」
Posted by うわー at 2008年11月20日 10:20
ちょっとよく考えて反省しまつた。

 読書は豊かな誤読なんでつ。

定理を超えることに壮大なロマンと亡国しないための理念になるのでつ。
ボクの誤読なんて低すぎまつた。
もっと磨きをかけて、ひとりぽっつになりまつ。
すぐに理解しあえるというのが、まつがっていたのでつね。
豊かな誤読になれば、伝わる人には伝わるのでつ。
安易でつた、ボクは。
そして、悟ったボクは、豊かな誤読で、豊かな人生でつ。
うれしいでつ。

ありがとう、とても勉強になりまつた。

誤読って、ほんとうに素晴しいでつね!
自由でつ、あ、身体が軽くなってきまつた。

ど、どうしよう、う、うう、う。
Posted by えっと at 2008年11月20日 10:00
ここは、アフィリエートブログで、
しかも、
タナボタ収入源なんだから。

「宣伝すんな」ってのは、なしでしょう。
それじゃ、
あまりに、かわいそうだ。
Posted by higekuma3 at 2008年11月20日 08:44
あと、ニーチェと聖書は、ぜんぜん関係ないよ。
聖書を否定したわけでないし。
ニーチェなんか、軍隊に自ら入隊して、
その髭は立派だから、騎馬兵がいいだろうと、隊長に命令されて、
そして、すぐ落馬して、除隊したんだよ。
それに聖書に興味があったわけでなく、
ワーグナーとのつきあいのなかで、
梅毒にかかわることの方がずっと興味をもっていて、
別に、「梅毒は死んだ」でもいいんだよ。
たまたま、日本だけで、聖書がうんじゃらこんじゃらで。

関係ないものを関係づけてしまうのが、パラノイア。
若いうちは独創性につながるかもしれないけど、
年取ってパラノイアだと、
脳も老化していて速度が落ちているのに、
その思考速度の落差も、関係付けてしてしまって。
一般人は、速度の低下には気がついて悔やむものなんですよ。
ますます磨きがかかるのが、パラノイア。とほほです。
Posted by えっと at 2008年11月20日 08:04
>しかし、テキストにおいては、行間にこそ読書がある。そこに書かれていないものをどれだけ読み取れるか--裏をかえせば、どれだけ豊かに誤読できるか--で読書の質が決まってくる。

パラノイアの人にしかできません。
あるいは、天才かキチガイにしかできません。

それとも、読書は、妄想ですか?
Posted by えっと at 2008年11月20日 07:52
スペース詰めすぎたー。

誤:"Learningisanactiveprocess."
正:"Learning is an active process."
Posted by さとう at 2008年11月20日 02:11
弾さんの記事からは、「<テキストブック>と<テキスト>は別の種類の言葉である」という主張を感じました。(私の勘違いでしたら申し訳ありません。)私は「多くの人が<テキストブック>として読む言葉にも、<テキスト>として読まれることで別の<真理>を示しうるものがある」といえるのではないかと考えます。

「日本語が亡びるとき」でも、かつては<学問の真理>としての天動説を説いていた(<テキストブック>として機能していた)言葉が、学問としての正当性を失った現代でも<文学の真理>を宿すもの(=<テキスト>)として語り継がれていることが一例として挙げられています。

また、id:fromdusktilldawn氏により「人を動かす」が紹介されていますが、この本の英語ペーパーバック版の冒頭では、"Learningisanactiveprocess."と述べられています。つまり、読者が反省や想像をしながら読み進めることで得られるものが大切であるということです。ここでまさに<テキスト>として読むことの重要性が説かれています。(にもかかわらず、この本は<テキストブック>として読まれていることが多いように感じますが。)

「<テキストブック>を読むか、<テキスト>を読むか」という視点だけでは不十分で、「<テキストブック>として読むか、<テキスト>として読むか」という、読み手の主体性に重点をおいた問題としても考える必要性があるのではないでしょうか?「どんなすごい本を紹介してくれるのかと期待したのだけど....(中略)テキストブックばっかじゃん。」と反応するのではなく、「どんなすごい読み方をしているかと期待したけれど....<テキストブック>としてしか読めてないじゃん。」という反応も必要なのではありませんか?(たしかに、id:fromdusktilldawn氏が挙げる本には入門書が多いようですが....)
Posted by さとう at 2008年11月20日 02:03
>みつや氏
じつは弾氏のブログより、分裂氏のブログを読み始めていた。
弾氏は半年くらい後だった。検索でたまたま引っかかったのがきっかけ。
分裂氏は弾氏批判一辺倒ではなく、むしろ弾氏をベースに自分の色を
加えて超えたがっている感じ。結構リスペクト入ってるが、期待が過剰な
ところがあって、少し意に沿わないと極端に攻撃的になったりするw
悪意がなさそうな感じは読み取れるが。
ちょっと過剰な感じのブログだが、弾氏がわざわざ取り上げるくらいの
人なんでしょう。弾氏、優しいな。

聖書は西洋の哲学や文学の理解だけでなく、美術を鑑賞するのにも非常に
有効なテキストですね。
ところで、弾氏のお友達である勝間さんも大量に読書をしていながら、
テキストブック(しかも最近のハウツー物中心)しか紹介していなくて、
テキストを殆ど紹介していない。わざとというか、色々触れない理由が
あるだろうけど、勝間さんが接したことのある「テキスト」には興味ある。
しかし、哲学って日本で凄くウケ悪いよなあ。あれを面白いと感じる
空気が全く存在しないかのようだ。フランスみたいに入試科目に取り込む
のも過剰な気がするが。
Posted by 俗人 at 2008年11月20日 00:03
弾さんが一枚も二枚もウワテです。
分裂勘違い君劇場は読んでて悲しくなるくらい、
惜しいというか、
あるいは絶望的というか。
言葉を発語者の武器に使うのはやっぱりセンス悪すぎます。
言葉は言葉自身に語らせてなんぼですね。


Posted by しおしお at 2008年11月19日 23:53
>>弾翁
 なんかコメント欄読む限りだと勝った負けたでしか見たり考えたり出来ん人が多そうなんで、少し離れて日常閑話でも書いてみたら? って感じですわ。

−・−・−
 ある日の午後。娘犬ユキ(生後10ヶ月)がなぜか木の上に登り、降りられなくなってくんくん鳴いていた。面白いのでしばらく放っておいたところ、母犬サチ(2歳)がユキを助けるために木に登り、降りられなくなって娘犬と一緒にくんくん鳴いていた。もうすっかり21世紀ですね、と思った。
 (2003年3月頃に雑誌で書いた与太文)
−・−・−

 そんな私の膝の上には、ねこ(推定2歳。元脱腸)がフツーに鎮座しとります。愛犬サチ(7歳)も駄犬ユキ(6歳)も、もれなく健康に生きとりますわ。流石21世紀です。ほなさいなら。
Posted by 野ぐそ at 2008年11月19日 23:49
リンクたどって分裂氏の記事を読んだら、弾氏が激怒してる理由が判りました。
分裂氏の弾氏批判もどうかと思うけど、弾氏の経済学批判が的外れという指摘だけは正しいかも。
Posted by みつや at 2008年11月19日 23:25
名前欄ミスったorz
Posted by 上コメ書いた者 at 2008年11月19日 23:08
dankogai版『ぼくはこんな本を読んできた』みたいなエントリを期待していたのですが、もしかして出版に向け鋭意執筆中とか?
Posted by 「テキスト」に相当する日本語になりませんか? at 2008年11月19日 23:06
悪い。書き間違えた。
「勧める」ねw
Posted by 悪い。書き間違えた。 at 2008年11月19日 22:54
テキストブック・テキストとかややこしく言わなくても
アンタの言ってるのは要は「解説書」と「物語」のことじゃん。
「読み物」と「物語」とか書いてるけど、これ同じだからw

相変わらずの衒学趣味だことw
これに頭の悪い信者どもはコロっといくんだろが、
普通の頭の人はもう騙されないと思うよ。

もう「日本語が亡びるとき」の広告はいいよ・・・
朝日新聞とはてなと出版社の間のタイアップなんだろけどさ。

アンタの進める本なんぞ買う意味ない事がこの文章だけでもわかるから。
Posted by もう「日本語が亡びるとき」の広告はいいよ・・・ at 2008年11月19日 22:53
いや、別に「反」論はしていないんだろうけど。むりやり言葉を作ると追論かな。

なんちゃってブディストとしては、最近は禅問答が面白いと思うことがあります。テキストブックを通してしか読めないけど。
あとは伝記かな...
Posted by R at 2008年11月19日 22:19
で、それで?って感じ。
何の反論にもなってない気がするんですけど・・・
Posted by もっくん at 2008年11月19日 22:09
すごく閑話なんだけど、私はおいしい食事は食べられる食品側だけではなく、
食べる主体である人間側にもあると思います。例えば「おいしいチョコレート」を
考えて見る場合、客体であるチョコレートの美味しさばかりを追求するのではなく
主体である人間の健康状態を考慮するのです。大食いに挑戦して10枚目の
チョコレートと、走り回って体力が消耗したときのチョコレートは、チョコレートに
差がなくとも、体の方はまるで違います。「おいしい」は主体にあるのでもなく
客体にあるのでもなく、二つが一致した際に起こりえる現象なのです。

・・・・閑話でした。
Posted by ノクノク at 2008年11月19日 21:36
お!「弾言」じゃないのですね。
Posted by 北斗柄 at 2008年11月19日 21:30
どこまでも「日本語が亡びるとき」の宣伝なんですね。
あなたの書評や推薦に期待はずれはないのかな?
Posted by あ at 2008年11月19日 19:44