2008年12月14日 02:00 [Edit]

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これ、まさしく

ディスカヴァー社長室blog: 国際学力調査 数学が楽しくて日常生活に役立つものである必要があるのか? ●干場
そもそも、数学を日常生活に役立てようなんて発想が間違っていると思う。役立つ必要なんかない。役立てようという発想がせこい!
数学でつまずくのはなぜか」P. 3
誰かと友だちになりたいなら、まず、そいつを何かに利用しようなんて浅ましい考えは捨てることだ。数学と友だちになりたい場合も同じである。とにあく、そいつの話をじっくりと聞き、いいところも悪いところも知ろうとすることだ。そして思いっきりけんかをすることだ。そうした末に、そいつの良さといとおしさがわかるのだから。

に通じる考えで、おそらく「大人の『数覚』」の最大公約数がこれで、私もそれに賛成な以上付け加えることはないと思ったのだけど、引っかかるところが一つだけあった。

それが、「日常生活」。


ディスカヴァー社長室blog: 国際学力調査 数学が楽しくて日常生活に役立つものである必要があるのか? ●干場
なぜなら、日常生活とは、いわば具象の世界で、数学とは、抽象の世界を学ぶことだと思うからだ。

しかしその「日常生活」というのは、具象だけで構成されているのだろうか。片付けねばならない仕事だけで一日は終わってしまうのだろうか。

確かに中学までに習う数学で、8割の人は仕事が全部片付くも知れない。しかし「日常生活」なるものは、仕事だけで構成されているのだろうか。もちろんここで言う「仕事」は職場だけではなく食事から用便まで、日常茶飯事全てを含めた「やるべきこと」なのだが、そこに「非日常」や「抽象」が入る余地はないのだろうか。

そのような人生がよい、と言える人は、おそらく一人も本blogを読んでいないだろう。blogはおろか、読み物という読み物が不要だろう。なぜなら、およそ読み物とは、抽象はとにかく非日常だからだ。

ノンフィクションでさえ、そこにあるのは「著者にとっての日常」であって、読者にとっての日常ではない。これがフィクションともなれば、著者にとってすら日常ではない。

数学が非日常なら、読書も非日常ではないのか。

私にとって「裕な生活」とは、日常の中にどれだけの非日常があるかだ。だから数学が「必要条件」でなくなった大人になっても、数学がそこにあることが「十分条件」である人に惹かれる。

しかし皮肉なことに、「役に立たなくてもいい」はずの数学ほど、役にたってしまうものもまたないのだ。それも、いつどんな風に役に立つのかすら数学者ですらわからない形で。郡論が人類学に役にたってしまうなんて誰が予想しただろうか。「数学の女王」、すなわち「下々の役に立てる必要が最もなさそう」な数論が、オンラインショッピングで欠かせないものになってしまうなんて誰が予想しただろうか。

日常と非日常の関係は、物理と数学の不思議な関係と相似を成している。

数学は役に立つのではない。役に立ってしまうのである。

読書も、また然り。

こうしてblogを書き、ここで書評を書くまで、私は読書を役立てようなんて露程も思わなかった。私にとって読書は、まずは辛い日常から逃れるための鎮静剤だった。私が「中毒」になったのはそのためかも知れない。しかしそれがどれほど役に立ってきたかは私ですらわからない。数学者が自分の理論がどのように役立てればいいのかわからないことに似て。書評というのは、「役に立つ」ことがわかった数少ないものの一つに過ぎないのだ。

というわけで、干場テンプレートで本entryをしめることにする。

そもそも、読書を日常生活に役立てようなんて発想が間違っていると思う。役立つ必要なんかない。役立てようという発想がせこい!

なぜなら、日常生活とは、いわば仕事の世界で、読書とは、非日常の世界に遊ぶことだと思うからだ。

Dan the Abstract Bookworm


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そもそも、ブログを日常生活に役立てようなんて発想が間違っていると思う。役立つ必要なんかない。役立てようという発想がせこい! なぜなら、日常生活とは、いうまでもなくリアルの世界で、ブログとは、ネッ...
役に立たなくて何が悪い、数学も読書も、そしてブログも【b4log】at 2008年12月15日 04:45
この記事へのコメント
片付くも知れない→片付くかも知れない
Posted by typo? at 2008年12月14日 02:50
>数学は役に立つのではない。役に立ってしまうのである。

 こういう言い回しをするのが弾翁のスタイルだろうしそういうの喜ぶ連中がよっぽど周囲に多いんだなと思った上で言うんだけど、

>カードは役に立つのではない。役に立ってしまうのである。

 とも言えば、その後計画的に生きなきゃ拙いよね? ってことでもあるんでさ。弾翁自身は経理経済の重要性に言及してたこともあるから心配無用かと思うけど、読んでるヤツがそこに気づくとは限らんから。カウンターコメントで「そんな馬鹿なヤツはここ読まない」が来るだろうからそれはそれでいいけど、「靴磨きの少年が株を語ったら売り時」とも言うでしょ。ある程度PV伸びて影響力ある媒体で思想信条や好意好感を語るときは、そういう可能性を考慮して堅実にやった方が良くね? とも言うんでさ。

 面倒くさいから言ってもやらんだろうし言ってやらせる筋合いのもんじゃないからどうでもいいけど、弾翁クラスの成功者は見たことないけど貧乏人→年収1000万だぜ〜クラスのプチ成功者の類が堅実さを考慮しないで弾翁的アゲアゲ発言鵜呑み?にしてハイ、リアル死んだ!! とか結構見たから。

 ここ読んでるヤツは必ず弾翁以下2位3位…最下位ってことで、下に逝くほど死ぬ率高くなるんだから。鵜呑ませ発言まったくスンナとは言わないけど、ある程度堅実なところ見せて下位者にも優しくね? って感じ。
Posted by 野ぐそ at 2008年12月14日 04:14
郡論→群論
Posted by typo2? at 2008年12月14日 08:18
数3までは数学じゃなくて3数だ。
Posted by オバハン at 2008年12月14日 10:10
色即是空、空即是色。

「抽象」と「具象」の狭間と境界は、
少なくとも人間にとって分ち難いものです。

日常生活における五感…
たとえば視覚でさえ、
3次元の2次元への射影であり、
即ち、実体を抽象(捨象)したものになります。

人間は、具象の中に生きていますが、
抽象の外に逃れることは困難です。
(また逆も然り)
そして両者の行き来の中で、やっと世界は像を結びます。

数学は、捨象の最北端です。
それが世界を切り捨てるのではなく、
切り拓くために使われることを望みます。
Posted by susu at 2008年12月14日 22:23
数学や科学は役に立たなくても美しい、とか自慢げにいう連中が
論文その他の「成果」に追われてまた人にも押し付けて生きてい
るのは滑稽千万。
Posted by 竹林警備隊 at 2008年12月15日 02:31