2008年12月17日 16:00 [Edit]
経済学(者)の魂 - 書評 - ソウルフルな経済学
出版社より献本御礼。
良本。それだけにタイトルの誤訳が痛い。そして
経済学者が二人ともそろいもそろってそれを指摘していない。だからソウルがないっていわれるのよ。
本書「ソウルフルな経済学」の原題をよく見て欲しい。"The Soulful Science"だ。"The Soulful Economics"ではなく。
邦訳のタイトルだと、あたかも「経済学には元々ソウルはないけど、ソウルがある経済学もあるよ」とばかり、「今までの経済学とは違う経済学」を提案しているように思われてしまうが、これは著者の真意とは真逆(まぎゃく)の、真逆(まさか)の誤訳である。
なぜ著者が"Science"を使ったのか?
「経済学全般が、ソウルフルな科学である」と言いたかったかに決まっているではないか。
目次 - Amazonより目次を見てもおわかりの通り、本書には「これまでの経済学とは異なる」「ソウルフルな経済学」なんかのっていない。そこにのっているのは、現代の経済学と、そして現在の経済学者たちだ。
本書に書いてあるのは、経済学者たちがなぜ経済学者となったか、その過程で何を見つけたかなのだ。
それを見れば、確かに彼ら経済学者たちがソウルフルな人々で、ソウルフルな研究をソウルフルにしていることが確かにわかる。私のお気に入りは、Krugmanが「ファウンデーション」を読んで経済学を志したというもの。そう。彼はハリ・セルダンの祖先となることを目指したのだ。
専門外の文系には「ソウルがない」といわれ、そして専門外の理系には「科学じゃない」と言われる。本書はそういうった偏見に「ちがうよ、全然違うよ!!」と言い返した一冊なのだ。
もちろん、現代の経済学は、Psychohistoryにはほとどおいレベルではあるし、著者もそれを認めている。魂を科学するレベルにはとても到達していない。物理学にたとえれば、ニュートンどころかコペルニクス以前と言ってもよいだろう。
しかしそれは、アリストテレスやプリニウスが科学者ではないことを意味しない。彼らだって科学者であり、彼らだって業績を上げているのであり、そして彼らにだって魂(ソウル)はあるのだ。
だから、学者ではない我々は彼らの科学を学ぶ必要があり、そして学者たちも魂があるところを見せねばならないのである。
Dan the Economic(al) Animal
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コレを読んで学者は学者でも「経済学者」だからなぁ、と乾いた笑いしか出ない新自由主義な世の中はすでにどうしようもなく病んでいるのですね。そして彼らの魂に宿る神、それは弁天様であってサラスバティーでは決してないと、そういったあたりがオチでしょうか?
わざと意訳してるだけでしょう。
直訳の「ソウルフルな科学」だと「科学本」だと思われてしまう。
その場合副題 What Economists Really Do and Why It Matters まで入れないと。
しかしマーケティング上の判断でシンプルなこの邦訳にしたのでしょう。
「経済学全般が、ソウルフルな科学である」という趣旨とも結果的には矛盾はしない。
>経済学者が二人ともそろいもそろってそれを指摘していない。だからソウルがないっていわれるのよ。
そこまで言う必要はないでしょう。彼らが「指摘する必要は無いと判断した」、というふうには考えなかったのですか?
百歩譲って指摘すべきだったとしても、その場合は「審査・批評能力が劣っている」とは言えても「ソウルがない」こととは無関係かと。
なんか読んでて頭が痛くなったエントリなので。
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反証可能性があるので一応は科学である。しかし、それは、反証されてばかりの科学でもある。
