2009年01月02日 01:00 [Edit]
「人類最大の敵」 - 書評 - 人類は「宗教」に勝てるか
長いこと書評しそびれていたのだけど、
実に苦く、そして「いい」タイミングでもあるので。
数多い「反」宗教本の中で、最強の一冊である。
本書「人類は「宗教」に勝てるか」は、神学者による反宗教本、いや非宗教本。
それも、ただの神学者ではない。
著者略歴町田 宗鳳
1950年京都府に生まれる。14歳で出家し、以来20年間、京都の臨済宗大徳寺で修行。1984年に寺を離れ渡米。ハーバード大学神学部で神学修士号およびペンシルヴァニア大学東洋学部で博士号を得る。プリンストン大学東洋学部助教授、国立シンガポール大学日本研究学科准教授、東京外国語大学教授を経て、現在は広島大学大学院総合科学研究科教授、オスロ国際平和研究所客員研究員(ノルウェー)、国際教養大学客員教授、日本宗教学会評議員。専攻は比較宗教学、比較文明論、生命倫理学
著者は、仏教もキリスト教も「内側」から知っているのである。
その人にして、
P. 4結論をいうなら、私は他ならぬ「宗教」こそが、人類最大の敵だと考えている。宗教は人間を救うものなのに、なんという暴論を吐くのか、という反論がっきっとあると思うが、そのような反論をしようという人の宗教への思い込みこそが、おおいに問題なのである。
と言わしめたのは一体なんなのか。
目次 - Amazonより- 第1章 エルサレムは「神の死に場所」か
- 第2章 世界最強の宗教は「アメリカ教」である
- 第3章 多神教的コスモロジーの復活
- 第4章 無神教的コスモロジーの時代へ
- 第5章 “愛”を妨げているの誰なのか
- 第6章 ヒロシマはキリストである
この国は、一神教徒が支配していないにも関わらず、「列強」の一角を占めているという実に希有な国である。「神」を持ち出さなくとも政治を進められる(まああまり進んでいないというのも事実だがここではさておき)、G8の唯一のメンバーでもある。
それだけに、むしろ一神教の怖さというのを、この国の人々は他人事としてしか知らない。「聖☆おにいさん」のような作品がなりたつのもこの国ならではであろう。Monty Pythonから「神は妄想である」まで、それは一神教国にだって反宗教な作品は数あれど、これらの作品の舌鋒の鋭さは、一神教支配の裏返し。ここまでゆるく聖者を扱うことは不可能であろう。
本書の半分は、その一神教の正体を紹介、いや暴露するのに費やされている。
P. 46予期した通り、そのセミナーを登録した学生は全員がクリスチャンであった。遠藤周作の「沈黙」の英語版などをテキストとしながら、何週間かは楽しくクラスが進行した。ところが、ある日、授業の最中にしくしくと泣き出す女子学生がいた。私なりクラスメートなりが彼女を傷つけよるようなことを言ったのかと考えてみたが、どうもその様子はない。
そのままにしておくわけにもいかないので、思いきって、理由を尋ねてみた。涙を拭きながら、カリフォルニア出身の日系二世だった彼女は、次のように語った。「隠れキリシタンもイエスの教えに命を捧げましたが、私もクリスチャンとして洗礼を受けました。私の父も兄も洗礼を受けてくれました。ところが、母だけが頑として洗礼を受けようとしません。それどころか、ご先祖が大切だといって、毎日、仏壇に手を合わせています。私は母が好きですが、このままでは彼女は地獄に落ちてしまいます。」
この感覚は、実体験してみないとなかなか解りづらい。別に改宗しなくとも教会で結婚式が挙げられるこの国で、「入信しなければ地獄行き」と信じている人がいて、それどころかそう信じている人の方がはるかに多いのだということはなかなかわからない。
では、一神教の根源的な問題とは一体なんなのだろうか。
どうあがいても、悪が「対生成」されてしまうことではないのだろうか。
自分たち = we を「善」とすると、自動的にあいつら = they が「悪」となってしまうのである。
そして、自分たちが善を証明しつづけるために、常に悪を必要とする。なければ作ってしまうことすら厭わない。
はっきり言って、きりがない。
しかしかつては、一神教というのは中東の一新興宗教に過ぎなかった。なぜこれが世界中に浸透、いや蔓延したのか、未だに私は納得行く答えを得ていない。「ローマ人の物語」でもっとも幻滅したのは、その答えが書いていなかったことだ。
ただし、ヒントなら書いてある。
ローマがユダヤを「公平に」あつかったことだ。
支配も弾圧もしたけど、それは他の植民地においても変わらない。ローマ人にとってユダヤ人というのは、数ある叛徒のうちの一つに過ぎず、反乱を弾圧したけれども、民族浄化のたぐいは行わなかった。
カルタゴと、違って。
もしローマがカルタゴに対して行ったことを、ユダヤの地で行っていたら一体どうなっていたのだろうか。歴史のifとしてそれを考察するのはあまりに冒涜的なことなのだろうか。しかし私はディズニーの"Prince of Egypt"を見ている間、考え続けずにはいられなかった。もしモーゼを「取り逃がして」いなければ世界はどうなったのだろうか、と。
しかし、過去は過去である。それから2000年。一神教は少なくとも世界の半分を支配している。
そのままで、我々に次の2000年はあるのだろうか。
極めて難しいというのが、著者の結論であり私の結論でもある。
一神教は、滅ぼされるべきである。いや、「滅ぼされる」のはあまりに一神教的な考えだ。弱毒化の後、風化していくべきである。
しかしそのためには、一神教が何なのか。それがなぜまずいのかをきちんと知っておくべきである。「なんとなくやばそう」では、自分が一神教から距離を取るのには充分でも、友人が「改宗」するのを防ぐのには不十分である。
しかしそれ以上に大事なのは、唯一神を持たずとも、うまく生きていくことが出来るのだという実例を示し続けることなのだと私は「信じて」いる。この国の一番の存在意義は、そこにあるのではないだろうか。
P. 254次世代の宗教は、実感のともなわない救いや、心理的な負担になるような罪を説くのではなく、刻々と終焉に近づきつつある人類に「今」という時をいかに生き、そしていかに死をむかえるか、なんのてらいもなく、ストレートに語る宗教であってほしい。
私としてはそれを「宗教」と呼ぶのははばかられるけど、我々が必要としているのはそういう「教え」だということには同意する。
そのためにも、人類はみずからの妄想集合体となっている「宗教」に、勇気をもって勝利をおさめなければならないのだ。
局所的な勝利がありえることを、この国は証明している。
それを人類的な勝利に持っていくためには何が必要なのだろうか...
Dan the Atheist
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ローマは三食程度のパンは無料支給だったな。
つか、答えが書いてなくて幻滅って、信者かw
仮に少数が達観できても、社会を変えるまでには至りません。
Ignorance is blissはけだし名言です。知って不幸になるより、知らずして無に帰するエレガンスも有り得るのです。
読んでいないうちに言うのはなんですが「報われぬまま生き、死んでいくことを受け入れる」ためには、やはりなんらかの信仰が必要だと思うのです。
だから言いたい放題。DISりまくり。煽りまくり。
心理学も社会学も批評家も経済学者も経営学者も
エコノミストもコメンテーターもカウンセラーも
アーティストもデザイナーもクリエーターも
宗教家も知識人も占い師もある種の脳の専門家も
厳密なこと言わなくていいのをいいとこに凄く口が達者。
言いたい放題の人間が出版業・マスコミと結託して好きなこと言いまくり。
昔からそう。これからもそう。全部倒産すればいいのに。
主張が曖昧だから、当たってるとも外れてるともいえる。
完全なフリーダム。アナーキー。人に自殺を唆したりもする。
結論 文系は全員消えればいいのに
出版・マスコミは全部倒産すればいいのに
宗教のいう「教え」ではなく、常識のように連綿と伝えられている「道」ですので
宗教というくくりとは少々違います。
「教え」は請うもの、いわば「ちょうだい!」というスタンツです
「道」は成すもの、答えを内に持つものです。
宗教としての神社神道を「信心」する必要はありません。
いや、いい悪いじゃなくてさ。一神教否定の流れが出る度に、何となくそう思う。“契約”っていう概念の誕生とかさ。
いろんな小説や、聖書やコーランなどを読み込んだり、自分の周囲の信心深く暮らしている人たちの話など・・・・。
そういうところから、ある程度自分なりの答えが出ませんか?
「ローマ人の物語」に答えを求めている辺りでもう唖然呆然でした。
それとも、呆れかえる私の方が、他の人々に呆れかえらる存在なのか???
あと「ローマ人の物語」に答えを求めているのではなく、宗教に頼ることなく巨大な帝國を築いた「ローマ人」に答えを求めているのだと思います。
この記事をざっと読んでいて感じたのは、単純にアンチ・キリスト教なだけじゃないですかね。著者が仏教をどのように捉えているか、その辺が明確じゃなかったら、羊頭狗肉な感じがします。まあこう感じるのも、私が明確な信仰をもっている仏教徒だからなのかもしれませんが。
それを人類的な勝利に持っていくためには何が必要なのだろうか...
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難しく色々思考しないことかな。
日本を創った12人という本があります。堺屋太一さんの本です。
この中で日本が一神教に染まらなかった理由が書いてあります。
もし、未読でしたらご参考にしてください。
結局、彼が作った仏教と神道を統一する「習合思想」があったので、その後も一神教に染まらなかった理由に関する記述があります。
で、その後、日本も一神教に染まった時期があるんですよね。
それが明治の廃仏毀釈から昭和の敗戦までの時代です。
天皇を中心とした一神教の国になり、人々のコミュニティと天皇=神がひとつになった時代がありました。
今もその名残はあると思いますが、国をひとつの方向性に向かって一気に動かすには、一神教はいいシステムだったのでしょうね。
ただ一神教が他の一神教と最後まで殺し合うような性格を持つ以上は、世界を統一の一神教にするか、日本の習合思想を広めるかしかないと思います。
彼=聖徳太子 です。
この著者はいってることめちゃくちゃですね。
自分が勉強してきた範囲、考えた範囲でしか述べていない。
人類が、歴史の中でどれだけ宗教的知性で救われてきたか、
進歩してきたか、知らないんですかね。
この問題は、どの人間も納得する確固たる答えはないと思うんです。
それと、ローマはある意味、宗教を使って帝国を築いてます。
「信仰の自由を認める」という方法で。
私は、一神教にしろ何にしろ、宗教はなくならないと考えます。
政治的にもいろいろ利用できるし、「神になりたい人間」は多いですから。
それと、今よりも遙か昔、過酷な環境で暮らしていた人々が生きていられたのも宗教という心のよりどころがあったから。
特にヨーロッパ中世は酷い時代だったものね・・・・・。
現代だって、飢えに苦しまずにすんでいる人々は、地球の中のほんの一部の人たちだけだし。
dankogaiさんは、本当に答えを求めてるのかなあ?
『ゲノムと聖書 科学者、〈神〉について考える』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4757160194/
ぜひ読んで書評を書いていただきたいです。
わせています。私は母が好きですが、このままでは彼女は地獄に落ちてしまいます。」
に対する反応と大差ない反応が予想できると思います
「ぽかーん」って感じですね
そんなにまじになられても・・・というのが観想ですね
私も町田さんの本を読んだ者の一人ですが、宗教に対する彼の批判は、基本的には正しいと思います。しかし私は、宗教というものは人類にとって、不可欠とまでは言えないものの、その有用性はけっしてゼロではないと考えています。
宗教は、人間の思考や行動に対して指針を与えるための道具にすぎません。よくできた道具は有用性が高く、できの悪い道具は副作用を生みます。町田さんのみならず、多くの人が指摘しているとおり、一神教というのは副作用が多くて使い物にならないにもかかわらず、地球上に広く蔓延してしまったことは、人類にとって不幸以外の何物でもありません。
しかし、道具というものは改良することが可能です。一神教も、これまでに何度もバージョンアップが試みられ、そのたびに道具としての洗練度を向上させてきました。これから先、何世紀かかるかは分かりませんが、いつの日か、一神教も、副作用のない安全快適な宗教となることでしょう。
最後に、我田引水ながら言わせていただきますと、私どもが布教いたしております共存型一神教という宗教も、一神教から派生した枝バージョンの一つです。アブラハム宗教のようなメジャーなバージョンに比べると知名度は今一つですが、宗教としてはそれらよりも遥かに洗練されたものだと自負いたしております。
G8とかも関係ないと思います。日本が神を持ち出さなくても政治ができる
のではなく、政治の進め方は「多様だ」という事にすぎません。
事実日本の政治や社会倫理は底辺では崩壊しているではないですか。
断じてこんな政治を世界中に広めたくはありません。
神は一でも多でもないし、現れる事も消える事もありません。
存在から概念を差し引いた「●」を言い表すのに神という名前を便宜上
つけているにすぎません。
神は人間同士で解決できる諸問題にわざわざ首を突っ込んだり
救ったりはしません。
「非宗教という思想」を人間社会に流布するとします。
それは自分以外の人間に少なからず影響を与え、共鳴する人が出てくる
でしょう。
この状態こそが宗教の本質であり原点です。
個体ではわずか80年余りしか地球上に存在できない人間が、
この宗教を否定できますか。
本当の仏教は心の動きを精査に分析した科学です、日本の多くの仏教と呼ばれているものは釈迦の教えを忠実には守っていないようです。

