2009年01月06日 12:30 [Edit]
技術が上がれば労働需要が減る
3日あたりから熱が上がりっ放しなので、正しく読み書きしている自身はないのだけど....
第二次世界大戦後は、
賃金を下げれば失業率は下がる - 池田信夫 blog賃金が上がれば労働需要が減る
は事実でも、
賃金が下がれば労働需要は必ず増える
は事実でないような気がする。
どういうことかというと....
需要が増える ↓ 賃金が上がる ↓ 技術革新が起こる ↓ 雇用が増えぬまま、供給力が上がる
というサイクルがあるから。そう。技術革新という「詰め車」がそこにあって、需要増が雇用増に直結しなくなった。
それでも雇用減にそう簡単にはならなかったのは、それをも上回る需要増があって、そこで雇用が吸収されていたからだけれども、今回の世界バブル崩壊は、今度こそ
(労働需要が飽和した特殊な場合を除いて)
が顕在化したという実感がかなりある。
技術革新の詰め車効果というのは、かなり大きい。なぜならそれはたいてい単に「人を置き換える」だけではなくて「人には出来なかったこと」までできるようになるというおまけまでついてくるから。
たとえば自分で電子メールの読み書きしている人が、「時給100円でOK」だからといって秘書を雇うようになるかといえば、まずならない。
かつてジャンボジェットには、機長、副操縦士に加え、機関士という職がコクピットに用意されていたが、747-400になってから消滅してしまった。今時車掌がいるバスはあるのだろうか。エレベーターガールは?
理由は何でもいい。人間ほど器用である必要ですらない。しかし一度「もう機械でいいや」にユーザーが慣れてしまうと、そうして機械にわたった仕事が人の手に戻ってくることはまずない。
別に「ラッダイド運動2.0」というつもりはない。けれども、雇用の話をしている時に、技術革新の話が出ないのは、曲がりなりにも「人がやっていたことを機械にやらせる」ことで飯を食っていた(いや、今でも食っている)者の一人として不思議でならない。
技術革新を悪という人は、21世紀の今となっては労働組合どころかキューバや北朝鮮にもいなさそうだ。生産性の向上が善だというのは、資本主義より強いグローバル・スタンダードになった感がある。
それでも、生産性が上がれば、生産に必要な人の数が減るというのはうちの7歳の次女にもわかる理屈だ。
私は「人がやっていたことを機械にやらせる」立場なので、技術革新は善であり続けて欲しい。
しかし、それが誰かのやっていた仕事を、やっていた人も、そして私も気がつかないうちになくしてしまっていることは知っている。
あしたの発想学 - p. 227口の悪い友人が「岡野、お前のところは、ほかの会社がなくなるものばっかりつくっているじゃねえか」って言うから、「あたしのせいじゃねえ」と言い返すけど、心の中では"これを作るとあそこがなくなる。かわいそうに"って思うよ。
うちが何かを作ると工場が増えて、五十人も百人も雇用できるようになるなら、日本の将来はバラ色だけど、現実はそうじゃない。その反対だもの。こんなふうに先行きが見えると、本当に嫌になってしまうね。
しかし、岡野氏だの私だのがやらなければ、他のだれかが「やっちゃう」こともまた知っている。
どうすれば、いいんだろ。
そろそろ「無職」という職を社会的にきちんと認めなければならないところまで、生産性は上がっちゃったような気がするんだけど、熱のせいかな?
Dan the Automator
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今こそ食客の復活を!
それらは技術進歩によって物流、情報、管理等のコスト削減がなされたからだと思います。「国内の」もしくは「日本人の」労働需要の確保をどうすんべ?ってのが焦点なので、海外への工場移転や海外労働者の受け入れが十分考慮に値する状況であることは大きな要因で、それは技術革新がベースにあると思います。
まさにSF的未来
しかし働かざるもの=悪
というプロテスタンティズムをどうしますか
パソコンしか使ったことがないから、わからんのだろう。
それと、高所得の賃金が下がると雇用は増えるぞ。
池田理論は単純にプロ野球選手の雇用法を労働者にあてはめたらどうだと、いいたかったんだろ。
だいたい、工場労働者を放出しなければならないなんて、いかに効率が悪いかは、工場で労働したことがない弾君にはわかるまい。
http://www.pkarchive.org/theory/hotdog.html
今盛んに解雇されている工場労働者だって、全体の人件費をカット出来るなら雇用を維持したほうが当然良いわけで。作業工程の把握とノウハウがあるので。
昨春は中小企業が新規採用に困難を抱えていましたし。
ただ、日本の人口が減少しているというのは、長期的に見てもう生産人口の増加は必要ない水準まで来ているということかも知れないな、とか思います。
dan氏は、経済学を学ぶ気はないでしょうか?
鬼に金棒かと、思うのですが。
働けイデオロギーっていうのは元々共産主義=左翼のイデオロギーだったんだよね。
「いまは働けという圧力が強すぎる」とか言ってる湯浅クンは、彼が関わってる派遣村の主催団体が共産党系であることを知ってるのかな
常識ってよく覆るよね
特に経済学
こういうあんまりなトンデモ論を見ると
やはり簡単な経済の基礎程度は義務教育で教えるべきではないのかと思う
賃金の増加によって新たな市場が創出されるため、結果的に雇用は増えると思います。
よって、生産性の向上による「賃金の増加」は(今のところ)善で間違いないと思います。
先日読んだP・クルーグマンの本にも似たようなことが書いていたような気がします。
そりゃ気のせいでは?
サービス残業やら過労死やらが問題になる状況を鑑みれば、生産性の向上の一部は、人数が減った分ひとりひとりが余計に働くことでなりたってるのだろうと思うのです。
所謂単純作業は機械にどんどん代替されていくでしょうね。
昔はラインにびっしり配置されていた作業員が→オペレータだけ→ほぼ無人になってきている業種も増えているので。
グーグルなんかまさに、Webという特殊な中とは言え人がやらなくていい世界を作り出してしまいましたから。
だからこそ産業も製造業からサービス業に比重が移り変わっているのでしょう。
ただデザインとかコンテンツ生産とか職人レベルの技とかそう簡単に機械に出来そうにないものは長い間残るでしょう。
また、人間は本能的にコミュニティを欲するので接客とかも。
なによりもその技術革新自体が人間にしかできないだろうし。
逆に言うと技術革新に追いつかれないように新しい業態を生み出し続けなければ言うとおり雇用のパイは失われていくのだろうなと思います。
しかし首を切られたハケンの人に、そんな仕事をさせて大丈夫なんだろうか?それで効率があがるのだろうか?
年金問題の問い合わせの受付に外国人を使っているってことで大さわぎしていたのに。
明らかに技術革新は進んでいるのは事実だし、今後も進むでしょう。
人間の裁量が必要なものを除き、システム化できる作業は機械のほうがパフォーマンスは格段に上であって、人間の労働はそれを支える為のものに凝縮していくので労働需要の絶対量が細るのは避けられませんよ。
雇用というよりも幸せを確保することを考えれば、労働=幸福の演繹を外すというのは正しいと思う。
私も技術革新(善)を止めて欲しくはないし、止まらないものだと思うので、ではどうするかという事を勝手に提議するとベーシックインカムが最有力かと。
>そりゃ気のせいでは?
>サービス残業やら過労死やらが問題になる状況を鑑みれば、生産性の向上の一部は、人数が減った分ひとりひとりが余計に働くことでなりたってるのだろうと思うのです。
そうではないと思う…
高度成長時代に働いていたウチの親父は、子供(自分だけど)が起きる朝 7 時にはすでに仕事に行き、子供が寝てしまっている午後 10 時過ぎに帰ってくるという生活をしていました。
日本全体として、そうやって苦労して生産したモノを海外に売っていたから国内が豊かになったんではないかと思っています。
自分も朝 10 時から深夜 1 時まで働いていて、遊びもしないで、仕事を覚えて、そこそこの給料をもらうことができた。残念ながらバブルははじけていたから残業代は月 20 時間しかつかなかったけど。
苦労しないと(もしくは才能がないと)絶対に豊かな生活を遅れるようにはならないと思っています。
尊敬するドラッカーの著書のどれかに、「日本の製造業の比率はまだ高すぎる」との記述があったように記憶しています。
発展する社会から、成熟してしまった社会、そして後退するかも(?)の社会において、技術革新に伴い、社会構造が自然的に再構築されようとしている時代に突入したのではないかと思うのですが、穿った見方でしょうか?
しかし、仕事や産業の種類は、時代によって大きく変わって来たわけだし、これからもそうだろう。バスの車掌や秘書が必要なくなったからと言って、世の中全体の仕事の種類や量が減っていることにはならない。
ある種類の仕事をとっても、例えば、企業の管理職がやることは、固定的なもの、ある定まった量というものがあるわけではない。例えば、電子メールが使えるようになったからと言って、仕事が減るだろうか。むしろ、できることが増え、さらに仕事が増えるのではないだろうか。
製品の需要も固定的な需要量というものがあるわけでもないし、製品の種類も時代によって様々。車にしても、いまあるようなタイプの車の生産が固定的にあって、技術革新のせいで、車を生産する仕事の絶対量が減り続けるということもありえない。いずれ、今とは全く異なった車が生産されるだろう。パソコンも同様。新しいタイプの製品によって異なった需要が生み出されるだろう。そして、それは新しいマーケットを生み出すだろう。
いまあるような製品が永遠に作られ、仕事の種類も量も固定的、そして製品の生産のための技術革新だけが進むという無理な前提をたてたときに限り、仕事量が減って行くだけということが言える。
ゼロの発明みたいですネ。ラマヌジャンもびっくり。
そこの話は真実だと思うが、別に今回の404の記事とも矛盾しないと思われ。
404の記事はホットドッグが生み出されないという意味じゃないだろ。どちらかと言うとソーセージを作る速度が前より速すぎやしないかって意味だろ。ホットドッグを考案するより早くソーセージが飽和する状態も別にクルーグマンは否定してない。
全体としては需要が減っていなくても、新興国の生産性の向上の方が早ければ、日本国内の労働需要は必ずしも増えない。全体として労働需要が飽和ってのはそういう意味だろ。そうすると日本国内で生活するコストを賄えないから国内では需要として成立しないと思われ。
ベーシックインカム
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50907051.html
有名な話ですがschoolの語源はギリシャ語の「σχολή〔skholê〕スコレー」です。これは端的に言うと「暇」という意味です。学者という意味の「スカラー」は「暇人」という意味です。ギリシャでは奴隷に労働させることで暇になった暇人たちがギリシャ哲学を生み出しました。
現代においても機械奴隷に労働させることによって多くの暇人が生じています。この暇人たちに無理に労働させる必要はありません。修道院のような施設を作り最低限の生活を保障し、そこで思索的な日々を送って頂き創造的な行為をして貰えばいいのです。すでにNEETや引き籠りたちの中には修道院に入ってはいませんがそのような生活を送り始めている人々がいます。
今後機械奴隷の質と頭脳が向上するにつれて暇人たちの数はますます増えて行くでしょう。yamaさんが仰るように仕事の量も増えるでしょうが、そのほとんどはコンピューターで処理出来る雑事であり、人間を必要とする仕事の量は確実に減ります。これは文明の必然です。ではどうしたらいいか?
文明の維持に必要な仕事量には上限がありますが文化の維持と発展に必要な仕事量には上限がありません。現代の暇人たちには伝統工芸を始めとした文化を維持しそして発展させることに取り組んで貰うのがいいでしょう。
飢えているのでしょう?
飢えと食料生産はあまり関係がないよ。
食料を飢えないだけ生産する能力が在っても飢餓は起きる
団地の
ばばぁとかで、
組織を組んで、「当番制の団地の掃除」
とかを、共働きがために、できない夫婦から
現金(領収書なし)で
かわりに掃除してたりしますね。
税金は、当然、払ってなくって、こずかい扱いですね。
団地の
ばばぁとかで、
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かわりに掃除してたりしますね。
税金は、当然、払ってなくって、こずかい扱いですね。

