2009年01月09日 06:30 [Edit]

生きづらい = 否定すべき権威が見つけづらい

違うよ。全然違うよ。

権威の否定がいきづらさにつながる - たろの日記ページ,gooブログ版
まぁ別に宗教を信じましょうとか,学校の先生の言うことを聞きましょうというのがいいたいことじゃありません。ただ,何かを否定することが,結局は自分のいきづらさにつながってるのではないかな?と思うことがあるということです。

否定すべき権威が見えなくなっちゃったから、生きづらいんだよ。


否定するにしろ肯定するにしろ、権威に対して何か反応するというのは、権威という「用意された仕事」を「片付ける」ことだ。そしてそれを「仕事」と見なせば、否定の方が肯定よりもずっと「やるべきこと」が多い。少なくともこれだけある。

  1. 問題点の指摘。なぜ従えないかをきちんと説明できなくては、ただの愚痴に終わってしまう。
  2. 代案の作成。「ではどうするべきか」をきちんと提示できなくては、ただの批判に終わってしまう。
  3. 代案の証明。「それでうまう行くのか」をきちんと実証できなくては、「やはり権威が正しかった」ということになる。

これに対し、権威の肯定というのは、肯定した時点でやることがなくなってしまう。

どちらが得るものが豊かか、明らかであろう。

権威を最初から肯定するというのは、楽過ぎてつまらないのだ。

同じ肯定するにしても、はじめから肯定するより、否定を試みてそれに失敗した結果肯定する方が、遥かに納得感も強くなる。権威の立場から見ても、そうしてもらった方がありがたい。その方が正当性が高まるのだから。

そして権威の否定というのは、自らが権威となることで完成する。

Albert Einstein - Wikiquote
To punish me for my contempt of authority, Fate has made me an authority myself.
権威の侮蔑を懲らしめるべく、運命は私自身を権威にした。[拙訳]

「大人になる」というのは、これまで--そして今でも--「自らが自らの権威となる」ことを意味していた。権威の否定というのは、そのために欠くことの出来ない成長過程でもあったのではないか。親や教師を否定して行く過程を経て、人は親となり教師となっていくというわけだ。

そういえば,今は権威,特に精神的な権威というものが日本にはありません。宗教もそうですが,学校の先生の言うことにも親子共々従わない状況です。病気のことも専門家である医者の言うことも疑います。確かに裏を暴けば学校の先生もそんなにえらくはなく一人の人間です。医者も坊主もそうです。でも人は迷ったときに問答無用で「こうしなさい」という人がいたほうがいいのかもしれません。

権威というのは、あったりなかったりするものではない。

引き受けるか、否かなのである。

権威の否定という、挑戦を。

雨宮処凛・萱野稔人『「生きづらさ」について』
承認されたいんですよ。ぼくは。承認されなきゃ、無価値なんですよ。この世にぼくというものが生まれてきて、何も「名を成さず」、「ひっそりと片田舎で死んでいく」ということの耐えられなさ!

ところが、権威というのはまさに挑戦され、否定され続けるために存在するのである。

これではなり手が減るのも無理はない。

それでも、親だとか教師だとかといった職業は残る。それでどうなったかというと、職名はそのままに、彼らは権威を引き受けることをやめたのだ。「こうしなさい」というのをやめ、「あなたの思う通りにしなさい」と返事するようになったのだ。

それは、正しいようで正しくない。誰かが「いずれは間違っていたことが証明される」という立場を引き受けないと、何が正しいのかがわからなくなってしまう。

それがわからないから、「生きづらい」のではないか。

雨宮処凛・萱野稔人『「生きづらさ」について』
これは乱暴な仮説かもしれないのだが、家族をもち、子どもをもつということがあれば、苦しみの質が「生きづらさ」というものではなくなるのかもしれない。たとえば生活苦や子育ての大変さ、あるいは親の介護の不安とかいうものはあるのだろうが、それを「生きづらい」という言葉で表現することはなくなるんじゃないだろうか。

親になるというのは、否が応でも子供にとっての権威となることでもある。

それゆえに、私は娘たちにこう言っている。

「我が家では、どんな時でも弾が正しい」、と。

それは、私が無謬でないこととは矛盾しない。むしろその逆だ。弾はしょっちゅう間違える。本blog名物のtypoを見るまでもなく。しかし「弾が正しい」としておくことで、娘たちは弾が間違っている場合にどう間違っているのかを説明し、実際に正しいのは何なのかを証明することを強いられる。もし私が「君の思う通りにしなさい」と返事をしていたら、娘たちが「仕事」から学ぶ機会がなくなってしまうではないか。

権威というのは、実に損な役回りだ。正直私も娘たちにはとっとと私からは「卒業」して、別の権威を見つけるなり、あるいは自ら自らの権威となって欲しいと心のそこから願っている。だからこそ「おともだち」としては振る舞えない。それではいつまでたっても卒業してくれないのだから。

しかし彼女たちが卒業してもなお、自分自身に対しての権威という自らの役割は、一生残る。

それに気がついているから、もう私は生きづらくはない。「きつく」はあっても。

Dan the Authority of His Own


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SUPERMARKET FANTASY [初回限定盤:CD DVD]TOY'S FACTORY Inc.(VAP)このアイテムの詳細を見る 小飼弾氏のエントリー。 否定すべき権威が見えなくなっちゃったから、生きづらいんだよ。 小飼弾氏の言うことに納得。自分の大学時代には、権威がしっかりといたよ...
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違うよ。全然違うよ。(弾氏風) 社会がある意味成熟してしまったので、何が正しくて何が正しくないかがある程度明確化されてる状況下で理不尽なことを許容するのは大変難しいしまた折り合いをつけるのも難しい。だから、「生きづらい」んじゃないかなと思う。「僕は僕の...
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僕がアルファブロガーという言葉を知り、一番最初に知ったアルファブロガーが「404 Blog Not Found」を書かれている小飼弾氏だ。 時折、感銘を受ける氏の言葉だが、今回「子育て」に関しての言葉に感銘を受けたので紹介。 ちなみに、うちにも女の子が一人いる。 □404 B...
小飼弾氏に子育てを学ぶ【地方の中規模印刷会社で苦悩するWebデザイナー改めWebディレクターの日記】at 2009年01月10日 15:58
ロックン・ロールは「生きろ!生き続けろ!」というメッセージだ。 生きることに不安を抱える小学生でも、生き惑う高校生でも、うらぶれた40過ぎの中年男になっても、生きることだ。 気をつけ、礼。 作者: 重松清 出版社/メーカー: 新潮社 発売日: 2008/08 メディア: 単行
キープ・オンーローリング【HPO:機密日誌】at 2009年01月09日 15:23
danブログより 生きづらい = 否定すべき権威が見つけづらい そのなかでdan氏は 否定すべき権威が見えなくなっちゃったから、生きづらいんだよ。 でも、生きづらいのは、否定だけじゃなく、肯定できる権威まで無くなっちゃったからじゃないのかな。 danブログの引用先の記事
[雑感]単純に権威の喪失なんじゃないか?【だからぁ】at 2009年01月09日 13:59
Dan the Authority of His Own 404 Blog Not Found:生きづらい = 否定すべき権威が見つけづらい 各記事の最後には、必ず、記事を反映した自分いじりが書いてある。 これを問題にして、ブログの記事を当てるクイズ。 Dan the Authority of His Own は、どのエントリーでしょ
[作りたい]dan kogai maniax【oduesp】at 2009年01月09日 13:05
この記事へのコメント
権威の性質が
>権威というのはまさに挑戦され、否定され続けるために存在するのである。
であるならば
>これではなり手が減るのも無理はない。
は「権威が見つけづらい」状態になった経緯としては
無理筋な論法ではないか?

「権威が見つけづらい」から「生きづらい」はそうかもしれない、と思いました。

Posted by 否定者 at 2009年01月12日 17:14
いい夢見てるなおい。
Posted by マトリクス at 2009年01月12日 12:46
偶然このサイトを見たんですが、おもしろかったです。
この国は一人一人が「権力」を行使する自由民主主義国家ですよ。
Posted by 観客 at 2009年01月11日 11:53
コストはかかるが勇気は関係ないと思う。まさに保守。
Posted by 保守乙 at 2009年01月11日 09:26
権威を否定するほうが「やるべきこと」が多いって言うけど
実際、そこまで考えて権威の否定をしてる人なんていないでしょ。
体制や権威を否定する方が、シンポ的でカッコイイという程度のもんで。

むしろ権威や体制を肯定する方が、よっぽど勇気がいるし、「権力のイヌ」
「保守反動」「長い物に巻かれる権威主義」というような退屈で馬鹿な批判に
いちいち反論するだけのロジックを用意しなければいけないから
よっぽど面倒くさい。

いずれにせよ「神は死んだ」のだから、そういう「反体制オヤジの
ノスタルジー」みたいなことを話したってしょうがない。
Posted by うも at 2009年01月11日 02:08
権威がないと生きづらいということは
この世の支配者が一番生きづらいということですか?
ではなぜ支配者であることを止めないんでしょう?
Posted by nisi at 2009年01月10日 23:00
神は死んだ。
Posted by 超人 at 2009年01月10日 09:35
権威や父権といったものとの取り組み方や付き合い方は、昔から様変わり
したものではないと再確認した感じです。
刃向かう先の権威がないのも辛いですが、数十年生きてきただけで「私
は正しい」と権威づくのもしんどそうですね。
「私は正しい、間違っていない」と言い続けなければならない心理状況
は、追い込まれているような息苦しさがあります。
そういう状況は排除できないにせよ、なるべく少ない方がラクですね。
Posted by 俗人 at 2009年01月09日 17:26
自分は全然生き辛くないので、否定すべき権威を見つけたんでしょうかね。
確かに全部糞食らえって思ってますね。
Posted by azt at 2009年01月09日 17:01
そうですね。
因果応報というべきか、僕もそれで苦しい思いをしています。
Posted by sakurada at 2009年01月09日 16:11
権威の肯定=権威の承認ではないと思うけど。
保留の一手でありマッチョ的に考えれば後退かも知れないが。
まぁ、肯定には承認も入っている、と言われればそれまでだが。
皆も聞いたこと無いかい――「理屈では分かる。だが、納得はしない」。
Posted by 奥平剛士 at 2009年01月09日 15:20
権威にストレスを感じるけど権威の否定も面倒なんですよね。親子の関係で悩んでいる者なのですが、(私の父と)初めの権威の否定は親子な気がします。
ストレスを感じて生きていることは、実は体に良いことなのではないかと思えてきました。父から(私の場合は上司でもあるのですが)相当なストレスを受けています。笑
色々なストレス=生きづらさがあるのでしょうけど、「指摘、代案の作成、代案の証明」というのが面倒だ!と思えば従えばいいのだし、しかし、否定を父に(上司に)してあげることが恩返しだったりすると思えてきました。
これは父になってからこそ思えるのかもしれません。まだ娘は1歳半ですが、いつか父を否定することでしょう(やだな〜)私の目標は娘が正しい答えを持ってくることになりそうです。ぐぅ〜の音も出ないほど完璧にやられたらきっと嬉しいような気がします。でも、否定の仕方もあるからね。上手に否定してね。相手が間違っているのがわかっているのだから。
Posted by deit男 at 2009年01月09日 14:20
ほんとうに生きづらい人、
それこそ生死の狭間で毎日喘いでいる人が
このような記事を読んでどう受け止めるのか、
影響力のあるブログなのだから
弾さんはもう少し考えたほうが良いと思う。

筋違いだというのは十分承知。
Posted by nap at 2009年01月09日 12:28
正当性を見つけられない世界で、あるものを懸命に否定することと、あるものを懸命に肯定することとの間に、どれほどの違いがあるのだろうか? しかして、このような懐疑は、「否定的であることが最も得るものが大きい」という前提に対して否定的であると考えると、クレタ人のパラドックスとなるのか。
Posted by う at 2009年01月09日 12:04
結論が、
弾が間違っていても、それはおまえらに学ぶ機会を与えてやっているんだ
というところへ持っていき、失言を攻撃されないようにしているあたり
うまいなぁと思います。

仮想敵国として自分を犠牲にしているようにみせかけるのは、大阪の橋本知事と同じパターンですね。
あるとおもいます。

そして、こういう理論に喜んで食いつくのは、学力の低い人達。
「橋下氏の強い地域、学力低い」と判明 - kei999の日記http://d.hatena.ne.jp/kei999/20081228
Posted by い at 2009年01月09日 11:42
大昔読んだ、エーリッヒ・フロムだったかの『自由からの逃走』を思い出した。まったくの「自由」の中では、人間は生きていけないというようなことが書いてありました。
全部、自分の頭で考えるのってたいへんなのですよね。
何かを否定する、反抗するというのは、ある意味、楽です。
(そうやって学んで生きていく必要があるということなのでしょうね)

ところで、「田舎の片隅で名もなく死んで行くのがいやだから」「承認されたい」っていうのはずうずうしくないですか?
私は「名もなく、都会の片隅で死んでいく」だろうけど、
これは自分の責任と、
それから、これは認めるのがほんとうにつらいけど、才能がないなあと。
だって、自分では、ブログすら書けないものなあ。めんどくさくで。
Posted by あ at 2009年01月09日 11:08
↑ 弾さん(有名人だからある意味権威)を否定できてよかったね。
Posted by お at 2009年01月09日 11:01
>生きづらい = 否定すべき権威が見つけづらい

弾さんみたいなひねくれものにとっては
確かにそうなのだろうということは、分かります。
Posted by 素直に生きて年収2千万 at 2009年01月09日 08:11