2009年01月21日 16:15 [Edit]

縁と円

これを読んでいて気がついた。

部族社会と大きな社会 - 池田信夫 blog
戦後しばらく日本社会の中核的な中間集団だった企業の求心力が弱まり、社会がモナド的個人に分解されることだ。

この一連の動きって、すべて単純な経済学で説明がついてしまうのではないか。


まず、以下の4つを仮定する。

  1. 共同体とは、決断を共有する人々の集まりである。
  2. 共同体に個人が所属する理由は、共同体に所属しないと入手できないものが存在するからである。
  3. 共同体に参加するには、入会費用が必要である。
  4. 共同体を抜け出すには、退会費用が必要である。

それだけで、以下の結論が導かれる。

  1. 構成員が豊かになればなるほど、共同体の結束は弱くなる。
  2. 入退会費用が下がれば下がるほど、共同体の結束は弱くなる。

仮定の2.から4.は半ば自明なので説明を後回しにして、1.について少し解説する。共同体の定義としては、むしろ「目的を共有する」となっている場合がほとんどであるが、実のところ共同体が共有しているのが決断である。GCP (Gross Community Product)が100万円で一人当たりGCPが1万円のコミュニティがあったとする。この共同体がクルマを買おうとすると、一台しか買えない。ということは、クルマを買うか買わないかという決断をするにせよ、どのクルマを買うかという決断をするにせよ、クルマに関する決断はコミュニティ全体が共有することになる。個々の構成員の願望は共有されていないのだ。

ところが、一人当たりGCPが100万円になると、この決断を共有する必要はなくなる。各自が勝手に決断すればよい。そうなると「クルマを買う」という「共通の目的」も消滅し、「共同体に所属しないと入手できないもの」が一つ消滅する。a.の結論が成立するわけだ。

ところで、共同体には入会費用と退会費用が必要だ。地縁の場合も血縁の場合もそうである。かつてのムラでは、入会費用がゼロだったのに対し、退会費用がべらぼうに高かった。たとえムラ自体が退会費用を徴収しなくても、引っ越し費用は自腹であり、そしてムラからムラへ移動する交通費は年収に匹敵していた。

ところが、産業革命がa.とb.を同時に推し進めた。マチに行けばムラよりずっと豊かになれる。そしてムラからマチへの引っ越しには、かつてほど費用がかからない。入会費用こそちょっと高いけど、マチで働けば何とかなりそう....

しかしマチは群体ではあるけど共同体ではない。決断を共有していないから。アキバになければシブヤに行けばいいじゃないか。

いや、一つだけある。共有すべき決断が。

それが、金。金は「手に入れたいもの」そのものではないけど、金があれば何でも手に入る、という決断を共有したのが、資本主義という現在世界最大の共同体。金は「もの」ではなく、「もの以前」である状態を維持することで、ワイルドカードとなった。正規表現すれば.。何にでもマッチする。なぜって?そういう約束を守るという決断を、あなたもわたしもしたから。

ハイエクが見抜いたように、大きな社会を維持するシステムとして唯一それなりに機能しているのが、価格メカニズムである。それは富を増大させるという点では人類の歴史に類をみない成功を収めたが、所得が増える代わりにストレスも増え、生活は不安定になり、そして人々は絶対的に孤独になった。

富を増大させる、は、結果。

「それが富である」という決断こそが、原因。

そしてストレスがかかるポイントは二つある。「それ」を金に変える時と、金を「それ」に変える時。金持ちは前者のストレスからは逃れているけど、後者のストレスはより重くのしかかる。

コンナハズジャナカッタ?

それでも、一ついいことがある。共同体の入会費用がべらぼうに下がったことで、かつてはありえなかった、複数共同体の同時加入が可能となったことだ。かつて構成員の属性というのは「誰の子」と「どこの子」ぐらいしかなかった。今あなたが持っている属性はどれだけあるだろうか。サイフの中の「会員証」のたぐいを数えてみるといい。私のそれは「診察券」だけでもパンクしている。

縁結びも縁切りもここまで安くなった。ゼロ円のものだって少なくない。「大きな一つの社会」は、その社会が駄目になったらどうしようもないけど、「小さな多くの社会」なら、一つの社会が駄目になっても全部駄目とはならない。

いいことも悪いこともあるけど、やはり縁切りと縁結びのハイパーデフレはいいことだったと思う。

しかし、職縁を「大きな一つの社会」から「小さな多くの社会」にすればいいじゃん、というのはなかなか耳を傾けてもらえない意見なのは、なぜなのだろう....

Dan the Man with too Many Communities to Belong


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 残念というか当然ながら<共同性>というものはそれ自体として存在し得ない、あるい
すべては<代入される空間性>【独解、吉本さん】at 2009年01月24日 16:34
日本というコミュへの参加資格はやはり日本語が使えることだ。 それでも、一ついいことがある。共同体の入会費用がべらぼうに下がったことで、かつてはありえなかった、複数共同体の同時加入が可能となったことだ。かつて構成員の属性というのは「誰の子」と「どこの子」ぐ
だからこそ日本語が大事【HPO:機密日誌】at 2009年01月23日 18:45
この記事へのコメント
>職縁を「大きな一つの社会」から「小さな多くの社会」にすればいいじゃん、というのはなかなか耳を傾けてもらえない意見なのは、なぜなのだろう....

複数共同体に重複して所属するのがフツーになってきましたが、以然として国家が最強で、次には会社をはじめ仕事を通じた共同体の影響がありますよね。カンタンにこの2つを考えると…国家はアンタッチャブルゆえに最強、職縁は働くという身体活動をとおして関与してるので、これも強い、と考えられます。

ところで思考は論理的なので論理的に確定できないコトは不確実性が高まり不安(定)になります。ゲーデルの定理とかで表現できるところだと思いますが。で、この非確定領域はブラックホールみたいなもので、何でもココに代入できます。論理的(心理的)には安定させる(不安感を取り除く)ことが目的なので、この作動は自動的に行なわれてます。無意識以上に根源的な観念の作動原理ですね。代入の目的は安定させることなのでより強固なもの大きなものが代入されるんだと思います。ココに生じるのが<共同体への意識>だという「共同幻想論」などをもうちょっとカンタンに論理的に説明するとこんな風になるかなと思います。
Posted by sheep5 at 2009年01月24日 13:17
”モナド的”、なんて一般的にも使うんですねぇ。
Posted by 通りすがり at 2009年01月24日 04:19
30年以上前だと、
平社員の給料は
びっくりするくらい低く、
昇格すると、手当が
相当ついて、
その金で部下を飲みにつれて行き、
組織が円滑に動いていて。

ただ飲み食いをさせてくれる上司に
逆らうわけがなくて。

飲み食いさせないで、
言う事だけ聞かせようったって
そうは、ならんでしょ。

芸人の世界とか、
職業スポーツ選手とかの世界は、
まだ、そんな感じでねえの?
Posted by higekuma3 at 2009年01月22日 02:39
池田氏の、人々が幸福になるかどうか分からない変化が不可避で不可逆だ、という主張には同意しかねる。
世の中にはランダムに政治的天才が登場するし、有権者はいつも気まぐれだ。このふたつの要素が、どんな変化であれ「不可避で不可逆」とみなすことを非常に難しくしている。ただし有権者の選好により、人々が幸福になるような変化はそうでない変化よりも少しだけ起こりやすいだろう、とは期待できる。
Posted by Kei at 2009年01月22日 00:37
お金と言うのは、決断しない・評価しない・決めない権利でもあって
だから、経済問題の根源でもあるのです。
豊かな社会の大きな問題とは、不確実性と保険に関係することで、
本当は、これを社会で共有することが望ましい。
個々人に個別に販売することがなかなか難しい。
それをやろうとすると、米国のように無保険で人間が野ざらしにされる社会になる。
かといって日本のように社会保険庁が記録も取らず、あるいは改竄し、あるいは使い込む。
ここが難しい
Posted by PK at 2009年01月21日 20:52
>しかし、職縁を「大きな一つの社会」から「小さな多くの社会」にすればいいじゃん、というのはなかなか耳を傾けてもらえない意見なのは、なぜなのだろう....

メンテナンスするために必要な心理的リソースが、半端なくかかるからじゃないですか?
人間の身体的構造上アテンションは一点、それを効率的に多点に利用するとすると、各点に対してある程度固定のコストがかかるはず。なので接点を多くすればリニアに疲れちゃうんです。

たぶんですけど。

Posted by Dursan at 2009年01月21日 16:46