2009年04月07日 23:30 [Edit]

「コピーの天才」が天才になれない理由

半分、正解。

すなわち、0点。


天才も秀才も、コピーが上手でコピーしまくるが、一つだけ違いがある。

秀才は、それによって生じた「内なる違和感」を無視して、コピーし続けることが出来る。

天才には、それが出来ない。

天才は、その「内なる違和感」を得るがためにコピーして、そして内なる違和感と全面対決の末に今までなかったものを生み出す -- 生き残ることが、出来た場合は。

Thomas Edison - Wikiquote
Genius is one percent inspiration, ninety-nine percent perspiration.
トーマス・エジソン - Wikiquote
天才は1%のひらめきと99%の努力からなる。

洋の東西を問わず、このあまりにも有名な台詞は、「いかに努力が大切か」、あるいは「いかにコピーが大切か」を説くのに用いられることが99%以上だが、残念ながら、あるいは幸運なことにそれでは天才にならない。

天才を天才たらしめるのは、1%の方なのだ。

その1%とは、コピー元に対する「これじゃない」感なのだ。

「内なる違和感」、あるいは「これじゃない」感を放置できないのが天才である。

だから天才は不幸になる。地雷を見ると踏まずにいられないのだから。

私は、実は天才というのは意外に多い確率で存在するのではないかという感を年々強くしている。かつては「100万人に一人」だとか「1億人に一人」だとかと思っていたが、実は100人に1人ぐらいの高確率で存在するのではないかと感じるようになってきた。blogを読み書きするようになってから、その思いはますます強くなっている。

しかし天才として生きたまま認められるのは、あいもかわらず100万人に1人といったところ。別のいい方をすると、天才として生き残る確率は、「万が一」ということになる。残りの九千九百九十九人は、地雷に吹き飛ばされてしまうのだ。ほとんどの場合は「内なる天才人格」が死ぬだけで済むが、人格だけではなく心身ともに死んでしまう例も実はかなりあるのだろう。

そう考えていけば、天才が天災であることは疑いようがない。

違和感を、違和感ごとコピーできる方が、長生きできることも確かだ。

天才のほとんどは、ノーベル賞ではなくダーウィン賞 を受賞する羽目になる。そのことを思えば「天才だけはやめておけ」というのが善男善女のたしなみというものであろう。

なのに、なぜこれほど惹かれてしまうのだろう。

天才という、天災に。

Dan the Survivor


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この記事へのコメント
天才と、naiveと、まぬけは、
お断りです。

罪の意識なく、罪作りですから。
Posted by higekuma3 at 2009年04月09日 00:19

あんたがここでいう違和感についてわかってないだけ
Posted by 名前 at 2009年04月08日 21:14
自分の中の違和感を無視できないというのは単に神経質なだけかと。
神経質な人がみんな天才かと言うとそうは思えないので間違いだと思います。
Posted by あ at 2009年04月08日 16:54
「コピーの天才」という観点から天才と秀才を比較するなら、

・コピーの天才→秀才

・コピーの天才を超え、そこから自分のオリジナリティを創ることができる人→天才

と思うなぁ。
Posted by tek at 2009年04月08日 13:02
弾さんこのエントリはアホ丸出しだぜ。元エントリを読み直してくれ。
>内なる違和感と全面対決の末に今までなかったものを生み出
したのものも緒戦はコピーの組み合わせだ。がっかりだよ
Posted by shou at 2009年04月08日 11:58
週刊モーニング連載中の「かぶく者」が今その最中の話題ですね、コピーにいたる理由は違いますが。

学ぶはまねると語源を同じにしていると聞きます。
しつけはおしつけるから来ているとも。

最初はコピーで、完璧なコピーの「向こう側」に次の段階があるのですが、その「向こう側」に到達できる人が少ない。
この少数の人間に天賦の才があると考えて「天才」と呼ぶわけです。

コピーすらできないのは単なる逸脱者ですが、ゆとり教育で日本は大量の逸脱者を産出してしまいました。
天才になるべき人間すら単なる逸脱者にしてしまったと思います。
Posted by Jadee at 2009年04月08日 10:42
なんで秀才と天才の両方について断定できるんだろう?

もし秀才であるならば、天才について(想像して)語る事はできても断定はできないよね?
もし天才であるならば、秀才について(想像して)語る事はできても断定はできないよね?。
もし秀才でも天才でもないならば、どちらについても(想像して)語る事はできても断定はできないよね?天才は秀才から進化したものだから、両方についてわかってるとか?または秀才は天才から退化したものだから両方についてわかってるとか?ん?秀才と天才の違いは一つだけ。「無視できるかできないか」の違いだけ。いわば性格の違い(気づいていても無理矢理無視抑えられる人もいれば抑えられない人もいる)。性格の問題だから両方について断定できる・・・のかな?

ま、わからないなんて言ってこんな疑問を抱いてるのは、わたしが秀才でも天才でもないからなんだろうけど。
Posted by うーんと at 2009年04月08日 10:12
ところで弾氏は自分を天才だと思いますか?
Posted by Rossomacer at 2009年04月08日 10:09
ニュートンが言ってたっていう

「私が他の人より遠くを見ることができたとすれば、
それは巨人の肩に乗ったからだ」


これって当時流行ってたセリフらしいよ。
Posted by イルカ at 2009年04月08日 02:15