2009年04月09日 17:00 [Edit]
やる気出すより手足出せ
そろそろやる気について一言いっとくか。
この三者に共通した暗黙の了解は、何か。
それは、「まずやる気があって、やるのはそれから」、ということ。
これは、この三者だけではなくこの社会全体の暗黙の了解でもある。
でも、違うんだな、これが。
受動意識仮説というものがある。私個人はもはや「仮説」ではなく「論」まで昇格してもいいと考えているが、それはさておき、受動意識仮説とはこういうことである。
404 Blog Not Found:書評 - 脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?我々のほとんどは、何かをする時に、まず「何かをしよう」と意識し、それを行動に移すのだと考えている。これが、能動意識仮説。ところが、最近その逆と考えた方がつじつまがあうという研究成果が多く出されてきた。まず行動があり、意識はその後で「実はそうしたかったのだ」と思い込むというものだ。これが受動意識仮説である。
詳しくはこの「脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?」なり「進化しすぎた脳」なりを読んでもらうとして、深く考えていけば行くほど怖くなるこの受動意識仮説をあえて浅くとらえると、こうなる。
朝礼とかラジオ体操とかには、案外重要な意味があることになる。やる気はやらなきゃ出ないのだから、とりあえず体を動かしてしまうというわけだ。脳のリハビリで手足を動かすのも、然り。
「やる気」がある人というのは、実は例外なく「とりあえず手足を動かす」を実践しているようだ。レポーターはメモを取らずにいられない。絵描きはスケッチせずにはいられない。そしてプログラマーはエディタを起動せずにはいられない。
そうやって手足を動かしていくうちに、やる気なるものが出てくる。この「動作」が「意識」に変わるのにはある程度タイムラグがあって、このタイムラグの間に動く分の「余計な動作」というか「捨て動作」とでも言える動作が、実はやる気には欠かせない。たとえば私が perl で何か書くときには、実はコピペせずにちゃんと
#!/usr/local/bin/perl use strict; use warnings;
を手で打っている。「だからPerl 5はうざい」という意見も少なくないし、私もそれに頭は同意していたのだが、体が不同意だったのは、それが私にとっての「ラジオ体操」であるというのが私の最近の仮説だ。
やる気は、やらねば生じない。
おごちゃんの雑文 ? Blog Archive ? 要はやる気がないんだろうけどやる気がない奴をdisってもムダ
というのは、だから正しい。やる気以前にやらない人までやらせないとと回らない社会というのは、ムリ、ムダ、ムラだらけのやらせ社会と呼ぶべきだ。
努力厨がはびこれば2020年地球は滅びる。 - orangestarの日記ずっと頑張りっぱなしってのはできない。理想的なのは80%くらいの出力でのろのろと走り続けること。
80%というのはキツすぎる。20%で回せるようにしないと。というのは「「仕組み」進化論 」でさんざん書いたのだけど、しかしその20%というのは全体をならした結果であって、一人一人が常に20%でということではない。やる気以前にやらない人にやらせるのがムリなら、手足を動かさずにいられない人の手足を縛るのはムダである。
その意味で、やらずにいられない人に気持ちよくやってもらうための仕組みというは、やはり意味があることなのだ。それは、やりたい人のためだけではない。やりたくない人のためでもある。やりたい人がもっとやってくれれば、やりたくない人はもっとやらなくて済むのだから。
そのためには、まず「やらない奴を罰する」ルールから、「やりたい奴をほめる」ルールに移行する必要がある。しかし、「やらない奴を罰する」の呪縛がいかにきついかは、「やる気自重」と言っているその口が「適度」を80%にしていることからも伺える。そして「やらない奴を罰する」環境設定が、むしろやりたい奴のやる気を削いでいる。これじゃどっちも辛いだろう。
そのための近道として、やらないのに罰する奴をもっと罰するというのは、ありだろう。
直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。 - My Life Between Silicon Valley and Japanそれでもっと悪いのは、ダメな大人の真似をして、自分のことは棚に上げて、人の粗探しばかりする人がいることだ。そうすると利口に見えると思っているかもしれないけど、そんなことしている暇があったら自分で何かやれ。
梅田望夫は、その意味において正しい。やっている奴が「おれがやってないとでも言うのか」と誤解してしまうのが玉にきずではあるが。
Dan the Lazy, Impatient, Hubristic
この記事へのトラックバックURL
何もしない状態で湧いてくるものではないです。
数学者が証明を思いつくのも、芸術家が作品の構想を固めるのも、手足を動かしている内に閃く瞬間が訪れるのです。
やる気も同様で、アイディアやインスピレーションが湧いてくれば自然とやる気も出てくるものでしょう。
始めからフルスロットルの人なんていません。スピードは徐々に上げていくものです。
行動があって、側坐核が作用して、やる気が起きる。と。
頭でいくら考えてもダメなら、とりあえず行動してみよう的な。
実は頭でいくら考えても〜という過程は最初から無駄で、とりあえず行動してみないとそもそも何も始まらない、って感じでしょうか。興味深いです
蟻の理論とかでも、結局上位の人が底上げできちゃうぐらいに働くのが一番で、少数精鋭ががんばって、しかも仕組み化で合理化していく、しかも周りがほめるからたのしい。
そんな状況でできたら、働くこともつらいや束縛から、楽しいに変わりそう。
そんなレベルだと、やる気が低い人でもやってみたくはなるし、やったらしめたもんだし、やらない人はいても国民全体の負荷が減っていいような。
で、成長率は1%程度でもいいや、ぐらいのゆとりができたらすごいかも。
政治とかはさすがに、そうもいかないけれど。
私もとりあえずエディタを開きます。
すぐやる気がでるよ、とかいいますし、実際そうですもんね。
それが快感だったのでくせになってしまって
同じ悪事を繰り返すようになってしまうのも同じ理屈かもしれません。
そうかんがえるとちょっと恐いところもありますね。
何もしないでゴロゴロしていると何もしないのが
天職に思えてくる場合はどうしたらいいでしょうか?
ニートになりたいですッ!
働かないで生活できたらどんなにかいいだろう。
どうもすみませんッ!
やったからやる気が出る、そうかもしれませんね。
やらないやつを罰するというのもそうですが、もう一つ「やったけどうまくいかなかった」人に対する批判も出来る限りやってほしくないですね。チャレンジしにくくなります。とりあえずまずやる、ことをなるべく賞賛できる社会であればと思います。
やらないヤツを罰するのはだめ、というのは理解できるんだけどやらないヤツが一定割合以上の社会になってしまうと「やらないのが普通」になってしまい、数の圧力で「やるヤツ」が異端扱い&排斥されてしまう。
「やらないヤツを罰する」必要はないけれど「やってるヤツが排斥される」のは社会として全体労働力が下がってマズイでしょう。
多分自分は、外部やる気があるように見える側なんだけど。やる気がある、動くってのは、ずいぶん脆いなぁ、とも最近思う。
自分は出版系なんだけど、仕事が楽しい、やる気高い。というよりは、おそらく「何もしていないことに耐えられない」とか「無為に耐えられない」っていう弱さが=真面目に見えてるんじゃ無かろうかという思いがします。「締め切りを破ると言うことに耐えられない」というのは、たとえていうならば「掃除が好きなわけではなく、汚れた部屋に耐えられない」という文脈に近い。
この脆さってのが、数の圧力にさらされると、全体がダウンストリームに灰って行ってしまうと思うんですよ。
さらに突っ込んで考えると我々の「意識」はそういった行動によって受動的、連続的に形成されるらしくて、それを受動意識仮説と呼んでいるのでしょうか。
>深く考えていけば行くほど怖くなる
確かにそうですね・・・・・
でも頑張るぞ!!
上手く書き込めないのかな??
焦点の定まらない目線、何かが憑依したかのように繰り出される「♪ヒットエンドラ〜ン」のフレーズ、そして過激なネタでブレイクした鳥居みゆき。
http://toriimiyukii.blogspot.com/
本日発売の写真週刊誌フラッシュで、ピン芸人鳥居みゆきの過去が暴露される!しかもネットで過去に発売したDVDが8万5千円で取引されているという仰天情報まで!
確かにキャラに似合わずキレイだが・・・8万5千円の価値が・・・?
あの夫婦の評判は?新婚カップル裏話!鳥居みゆきは甘えた!?
http://toriimiyukii.blogspot.com/
http://gfd5rd.blogspot.com/
離 婚騒動に隠された空前の真 相!
http://gfd5rd.blogspot.com/
あまりにも似ている容姿や声...。
どう判断するかはア ナタ次第だが誰もが目を疑うだろう衝 撃の映 像!!
ではとくとご覧アレ・・・。