2009年04月16日 23:00 [Edit]
ある種のネト充やオタクたちが決して「リア充」にはなれない理由
一般名詞としての「ネト充」や「オタク」たちはとにかく、これを書いた君が「リア充」になれないのはあまりにも明らか。
ある種のネト充やオタクたちは決して「リア充」にはなれない|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記ある種のネト充やオタクたちは決して「リア充」にはなれない
発想が、貧困だから。
現実が、じゃないよ。
で、なんで発想が貧困なのか。
現実を、真摯に見つめていないから。
何しろ現実を真摯に見つめれば見つめるほど、大抵、充実からは遠ざかってしまう。
言葉はきちんと使おうぜ。君が言いたいのは
何しろ自分に都合がいい現実を探せば探すほど、大抵、充実からは遠ざかってしまう。
ってことだろ?
一方で、巨乳を見れば揉みしだきたい衝動に駆られ、木陰で放尿する幼女の姿に興奮する。満たされぬ欲望はどこまでも尽きることがないように思える。幼くして全能感を打ち砕かれ、若くして生きる意味に思いを馳せてしまうような人ほど、そんな絶望的な虚無感と限りない欲望との間で苦しむことになる。
これ、ずいぶんと「本当の」ネト充やおたくをなめた発言だというのは後で再考察として、
君の想像力ってその程度なの。「巨乳を見れば揉みしだきたい」で終わっちゃうの?「木陰で放尿する幼女の姿」で終わっちゃうの?「全能」っていうなら、次には揉みしだれる方の気持ちにもなってみたくない?放尿を覗かれる幼女の気持ちにもなってみたくない?つーか、見たつもりになって、おしまい?
確かに現実は自分の都合通りには行かない。自分の都合というのは自分の想像力の範囲内でしか設定できないけど、現実はそれより遥かに芳醇だからだ。自分の想像力なんて、ほんとたかが知れている。いかにたかが知れているかは、昆虫図鑑が一冊あればいい。あの虫々の中に、君が思いついたの、ある?「巨乳」や「幼女」だって、たかが現実の延長じゃん。我が家にすら前者が一人、後者が二人もいるよ。
そして彼女たちの行動は、私にはほぼ全く予測不可能で、そしてほとんどの場合、私の想像より遥かに面白い。最もそうなのが7歳の次女。彼女の作る話は、本当に予測不可能でこの世のものとは思えないほど面白い。これが10歳の長女になると話がわかりやすく、筋が通るようになった分、ちょっと面白さが減じる。しかし彼女も今の次女ぐらいの頃には、おなじぐらいシュールリアルな物語を私に聞かしてくれた。そして一番「都合がよくて」その分「つまらない」はずの妻ですら、何を言い出すか予測不可能。
そしてそういう彼女たちには、私が予測不可能。
全部予測可能だったら、お互い脳内で済ますんじゃない?
計算可能なはずなプログラムにさえ、毎日驚かされている。ほんと、想像力なんてたかが知れている。そして無知の知が知であるように、想像力の欠如の自覚こそが想像力なんじゃないか?
ネト充やおたく、というのを繰り返すのもめんどいので、「想像力が充実した人々」という意味で「イメ充」な人々は、それ以前にリア充。だってリアルの中にしか「元ネタ」がないんだもの。
コンパにたくさん参加することは楽しい。異性とたくさん付き合ってセックスすることはすばらしい。やり甲斐を感じられる仕事に巡り合うことは幸せだ。頑張った分だけ報酬が貰える社会は正しい。他人を幸せにできる人生こそ有意義というべきだ。誰かと理解し合える歓びは至上である。そんな共同幻想を「リアル」なものとして無邪気に信じられる人でなければ「リア充」にはなれない。
だから、それはリア貧なんだってば。現実には共同幻想しかない、って時点でもうリアルでもなんでもないじゃん。自分に都合がいい現実だけ現実として認識するのがリア貧なら、自分に都合がいい想像だけど想像しているのがイメ貧。どっちも貧相すぎるぜよ。
「リア充」は夢想家でなければならない。
ここだけは、偶然にも正しく見える。でも本当に正しくは、こう。
夢想家は、「リア充」でなければならない。
そこにしか、夢の材料はないんだから。
Dan the Imaginative
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そこまで言うのなら、この記事の結論はほとんど事実の確認にすぎず、話も広がりそうにないのだけども。
身勝手なので、
人に理解させるためのツールである
フレームワークを持たない。
なので、
シナプスの自由リンク。
それを、
妄想と言いたければ、言えばよい。
文法や、論理的帰結、フレームワークを
取得していく過程で、
「わたしブスだから、スターになれんわ」とか
ちょっとずつ、現実的な事実を、
積み上げていく。
ただ、人とコミュニケーションとれず、
ゲームプロデューサの枠内で、
or
ネットの非現実な世界のみで、
非常識で、奇妙なフレームワークだけを、
ほんもののフレームワークと勘違いしたままで、
積み上げた人間は、
結構、いい年こいて、
「わたし、スターになれるわ」を
言い続けたり、するもんなのかもね。
NOTリア充(イメ充というのであろうか)がNOTリア充であるがゆえんは、現実を見ているからこそだ。現実を見て、いわゆる「空想」と比較することができている。自分の理想郷と現状の差異に不満を抱いてる点において、「リア充」より、リアルにいるだろう。充実しているだろう。
と思いますね。
リア充の露骨な説教が嫌いな人はそっちをお薦めします。
「毎日が驚きの連続!」というほどのことではない。
その程度で充足感を得てしまえる精神こそが「妄信」なんじゃない?
まあ、自分がその人生を歩むと決まった以上、
いま目の前にあるものを「素晴らしいもの」と妄信してかかるのは
合理的ではあるけど。
可能な限り、自分にとって都合のいい状況に囲まれているほうがいいに決まっている。
自分にとって都合のよくない現実を
「素晴らしい」と妄信するか、「想像のほうがいいわ」と諦めるかの違いでしかない。
自分がブサイクという事実に対して
「人間顔じゃない」と妄信するか「2次元でいいわ」と諦めるかの差でしかない。
どちらも同じくらい合理的ではあると思うが、
自分がブサイクという絶対的な事実は変わらない。
〜
>「全能」っていうなら、次には揉みしだれる方の気持ちにもなってみたくない?
>放尿を覗かれる幼女の気持ちにもなってみたくない?
>つーか、見たつもりになって、おしまい?
このへんはオタクならば当然身に着けているべきパッシヴスキルだと思うんだけどな。
脳内幼女を作るのならば、脳内幼女に好かれるお兄ちゃんであると同時に、
お兄ちゃんを大好きな脳内幼女にもなる必要がある。
それができなければ薄っぺらい妄想にしかならない。
LV1.さくらたんハァハァ
LV2.さくらたんになりたい
LV3.さくらたんになった!さくらたんと同化した!
このLV3まで来てやっとオタクとしてはスタートラインに立った状態。
ただ、最近は柄つき抱き枕という妄想における自分の立ち位置を
固定してしまう補助器具のせいで、LV1から進めないオタも増えてきているらしい。この本文の例のように。
※あ、だから冒頭でリンク先の人が「オタク」と切り離されてるのか。納得。
私にとっては家で一人でネットを見てる時間も含めて全てがリアルで充実した時間なんですが・・・・
シニシズム?
いやアンチ猪木イズム
大脳(皮質)の暴走とか
教えて黒い人
B.W.HのBが大きい=巨乳という罠
( ) :B
( ):W
( ) :H
とどのつまりこれも巨乳
ええのお、チチはええのおぉ。
お釈迦さまはいいました。
どんな巨乳でもいつかはのびのびしわしわ垂れおっぱいとなる。
勝間さんもです。
幼女も大仏パーマのオバサンとなりデロンデロンに
酔っ払って駐車場の陰で放尿するが
見たくないし近寄りたくない。しかも、こっそり見たらおしっこついでに
野グソもしてた!!
人とくらべたり
自分を強くみせたりどうしてぼくらはこーんなに
いきぐるしい考え方しかできないのでしょうか
巨乳でも幼女でも同じで、カテゴライズされたステレオタイプな嗜好なんて「無」と同じ。
弾じじいの言っている「面白い」のは実は自分自身が「面白い」といっているのと等しいわけで(ほんまに爺さんはあなたのなかのあなたを見つけてないなw)、そういう意味で じん の言っていることはすんごく良い問題提起であり、同時にくだらない循環論法の出発点のように思える。