2009年04月28日 18:30 [Edit]
無銭は貧困にあらず - 佐々木秀嶺師との邂逅
あの「男一代菩薩道」の佐々井秀嶺師が、実に44年ぶりに日本にいらっしゃった。それに生きて立ち会うことが出来ただけでも信じられない良縁なのに、直に話ができるとは。機会を設けて下さったアスペクトに改めて感謝。
佐々井秀嶺氏の伝記としては、さらに「破天」がある。その著者である山際素男氏は、今回不在だった。今年三月に逝去されたのだ。「佐々井秀嶺師を囲む会」の席でそのことを知り、自らの縁のよさを改めて噛み締めた。
囲む会で、インドと日本の違いについての質問が出ることは当然とも言えよう。その質問に、師はこう答えられた。
日本では、お金がなければ何も出来ないようだ。インドでは無一文の人でも托鉢に応じてくれる。
実に師らしい。拝金主義を糾弾するのでもなく、豊かさを賞賛するのでもなく、金というものの「回りくどさ」をさらっと述べられたのだ。「金がなければ与えるものがない」。これこそ、貨幣経済につま先から頭の先までどっぷり浸かった者の、一番の誤解なのではなかろうか。
貧乏から学んだこと - コトリコ僕は貧乏を止めるに当って、自分が得たノウハウをみなさんに伝えることが出来たので、本当に嬉しくなりました。
こういうのも何だけど、私はid:kotorikotorikoを見ても、無銭は感じても貧困は感じない。彼には与えるべきものがいくらでもあり、そして彼は金を通さずとも与える術を知っているからだ。
金融日記:途上国が貧しいのは先進国が搾取しているからではないし、貧乏人が貧しいのも金持ちが搾取しているわけではないしかし、貧困問題の矛先を金持ちや大企業に向けることは全くもって何も問題を解決しないのです。
元イギリス首相のサッチャーが言ったように、金持ちをいじめて貧乏にしても、もともとの貧乏人はもっと貧乏になるだけなのです。
その一方で、藤沢さんには、無銭は感じなくても貧困を感じる。藤沢が言うところの金持ちたちが、ちっとも豊かに感じられないのだ。なぜ感じられないかというと、与えざることの言い訳に終始しているから。金持ちたちが搾取しているかどうかというのは、実はたいした問題じゃない。問題は、金持ちたちが自らの貧困に気がついていないことにある。発想の貧困という名の、貧困に。
もしそうでないのだとしたら、トリクルダウンが実現したはずなのに、そうなっていない。金持ちをいじめて貧乏にしても、貧乏人はますます貧乏になるというのは事実だが、金持ちをちやほやしたところで貧乏人が豊かになったわけではない。その意味において、金持ちが良いか悪いかという問いには、貧困からの脱出の答えはないのだ。
結局のところ、貧困問題の答えは、貧困者にしか出せないのだ。
それでは、貧困とは何か。
持たざることでは、ない。
与えざることなのだ。
与えるものが何もないと、思い込むことなのだ。
カースト制度というのは、思い込みの連鎖で成り立っている。バラモンだと思い込んだ者が、「おまえは不可触民だ」と思い込ませる。ここにおいて、確かにバラモンは有罪だ。しかしバラモンの罪をいくら断じても、それだけでは不可触民は不可触民であることから解放されない。シュードラをハリジャンと言い換えただけでは、駄目なのだ。
アンベードカル師と、その意思を継いだ佐々木師のすごさが、そこにある。彼らは、与えざる者たちに、彼らにも与える力があるという知恵を与えたのだ。
「小飼弾のアルファギークに逢ってきた」 P. 44(私は)金持ちです。どれだけ持っているかではなく、どれだけ与えることができるかというのが金持ちの定義なら。
正確には「金持ち」(wealthy)ではなく「豊か」(rich)なのであるが、人の豊かというのは、どれだけ持っているかではなくどれだけ与えたかで推し量られるべきなのだとしたら、金持ちは実はちっとも豊かではなく、そして貧乏が貧困を意味するとは限らないことを、真に豊かな人々は教えてくれる。
私はどこまで豊かになれるだろうか。
もっと豊かになれるのは、確かだ。
あなたも、きっとそうであるに違いない。
Dan the Richer than Ever
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とつくづく感じています。
弾さんは「衣食住」足りてると思います。
絶対とは言いませんが、たいがいは「衣食住足りて礼節を知る」と思います。
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●高知白バイ事件についてお知らせ
高知白バイ事件について「説明会」があります。
5月3日 日曜日 13:30〜16:30
場所:自由民権記念館 高知市通り
参加費:入場無料
主催:片岡晴彦さんを支援する会
http://littlemonky737.blog90.fc2.com/blog-entry-141.html
http://d.hatena.ne.jp/pha/20090427/1240833329
藤沢さんは、これと似た話を自分の言葉されているだけでは?
与えざることの言い訳に終始しているなんていうのは、あまりにも豪快すぎる誤読のような。。。
そもそも金持ちという言葉からは持つことが称賛されるイメージを抱きますが、「金使い」とか新しい言葉が定着したらちょっとは意識に変化もうまれるのかなと考えたりします。
同時に、消費しきれないほどの報酬を得ることに果たして意味があるのか、という事もあるでしょう。なお、ここでは資産運用は資産の付け替えに過ぎないので消費ではないと定義しましょうか。
「金使い」が荒いに対して抱くイメージは‥‥。
金持ちは貧乏人から搾取してますよ家賃とか
耕さず喰らい、汗水流さず金を手にできる
それが資本家
なんてうらまやしいんでしょう
精神論ですかそうですか本当にありがとうございました。
皮肉言いたくなっちゃうなあ。


