2009年04月29日 18:00 [Edit]
ケータイとネットブックがそれでもヤバい理由
そう来ると思った。
Dan Kogai氏がやばいと思うただ二つの理由 - Keep Crazy;shi3zの日記ケータイサイトは約10年も前からケータイだけで作れる。
魔法のiらんども知らないのか。
では、「魔法のiらんど」はどこで動いているのか。
ケータイの中ではない。あなたも私も知らない、ドコモのサイトのどこかである。
その意味において、ケータイサイトをケータイで作るというのは、vt100でVAXのプログラムを書いていた30年前と本質的に変わらない。そこには確かに「作った」がある。が、「作ったもの」がどう扱われるべきかを決めるのは、「作った人」ではなく「場を用意した人」に最終的な決定権がある。いくらVAXの中にあるプログラムが「あなたのもの」でも、VAXの電源を落とされたらあなたには手も足も出ない。
Doblogに書いたblogがいくら「あなたの作品」であろうとも、
Doblogのサービス終了のお知らせ | お知らせ | NTTデータ復旧作業の終了を受け、今後のDoblogについて検討した結果、Doblog開設時の目的である、ブログシステムを構築するための技術的知見、およびコミュニティサービスを運用・運営するためのノウハウの蓄積については十分に達成できたものと考え、サービスを終了するという判断をいたしました。
と言われてしまえばどうしようもないのと一緒だ。
ケータイとネットブックのやばさが、そこにある。
ケータイとネットブックで「作る」というのは、小作農であることを受け入れることなのだ。
かくいう私も、「小作農」の一人でもある。本blogにしてから livedoor blog というブログサービスを使っているし、そこから収益を上げているのは、Amazonをはじめとするアフィリエイトプログラムだ。ほとんどの場合において、「小作農」と「地主」の利害が一致しているので長らく続いているが、地主の胸先三寸で農地を取り上げられることも私は承知している。実際本blogにはかつてGoogle AdSenseも貼ってあったのだが、Googleにより一方的に破棄された。理由は今に至るもわからない。Doblogのサービス終了は確かに身勝手ではあるが、それでも理由が説明されているだけましに感じる。
小作農を受け入れるのは、確かに楽なことである。大昔のようにいきなり荒れ地に放り出されるわけではなく、それどころか完全に整備された圃場を貸し与えてくれるのが当世の地主だ。自分のしょぼい畑に比べて、なんとまぶしいことか。私は自分のメールサーバーを自ら管理しているが、gmailにしてしまえればどれだけよいことだろう。
それでも、地主は地主であり、小作は小作であることは変わらない。いざとなったらいつでも土地から追い出されるということは、1000年前も今も変わらない。
私が小作を続けている理由は、小さくとも自分の「土地」を持っているからである。いざとなったらそれでしのげるという安心感があるからこそ、普段は小作で楽をしているのである。
現状を肯定することで、人は安心できるが、それと同時に進歩をやめてしまう。
現状の肯定は未来の否定に繋がり、やってきた未来に対するアレルギーへ変わる。
その通り。そして未来だと思っていた明日が、時には過去の繰り返しになってしまうということも。性能面、そして利用者の心情において確かにケータイ/ネットブック+クラウドというのは過去の繰り返しではない。しかしその本質において、それは端末から汎用機を使うという、今年で40になろうという私にとってすら歴史である大昔と空恐ろしいほど似ているのだ。
だとしたらエンドユーザコンピューティングの未来像を氏がどのように思い描いているのか、とても興味がある。
そのエンドユーザーという奴である。パーソナルコンピューターのユーザーは、本来「エンド」ではないのだ。時に「使う人」であると同時に、時に「作る人」であるというのが、パーソナルコンピューターがもたらした革命であった。特別な資格や技能を持たずとも、そして誰かに許可を得なくとも、誰でも「作る側」にも回ることができる。それこそが、パソコンがもたらしたものなのだ。
しかし自由というのは、行き渡った途端に面倒で厄介なものとして受け止められるものでもあるようだ。土地は解放され再集約される。会社は起業され併合される。そしてコンピューティングは....
作るものと使うものの二極分化がそうして進んでいく。ローマ帝国から21世紀まで、歴史は繰り返すばかりなのだろうか....
Dan the Sharecropped
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確かに画期的ではあったけど、作らないといけないというのはめんどくさい。使うだけで十分な人も多い。
僕はクルマの改造とかしません。乗るだけ。
システムを使って新たな何かを作るのとは
同じ「作る」でも大きく違うってことかな。
道具を使って何かを作る人と
道具自体を作る人との違いというか。
というより、昔から二極分化したままでしょう。
ウォズとスティーブの売っていた愉快な箱が売れたのは、ビジカルクが作れるからじゃなくて、ビジカルクが使えるからで。
ねぇ。
>ケータイやネットブックは、「使えても」「作れない」から。
ここが論破されてる事は認めるのだろうか。
http://codezine.jp/article/detail/3863
携帯はその点まだ無理かな?でもプログラムはできなくても携帯小説は作れますよね。地主マシンがなくても。
しかしchikirinの
>もちろん、ここで書いているのは「普通の人の話」なんで、IT系の仕事をする人がプログラム書いたり、アート系の人がグラフィック作品を制作したり、という用途のパソコンはもちろん残るでしょう。サーバーも全く別の話。
という前提を単純に読み飛ばしている気がしてならない。
いや、ただ単に持論を述べたいからchikirinの記事に便乗して、あえて目をつむっているのか。
いずれにせよ批判のズレが重なりすぎてて意味がわからない。
これも飛躍なのだろうか
マックブック等の「パーソナルコンピュータ」は不要ですね。
→インターフェイスとしてのPCがなくなるかもって話
Dan Kogai
→PCじゃないとできないこともあるだろうという話
PCじゃないとできないことが減ったらPCの需要は減る(当たり前)
話が飛んで「データをどこで持つか」ということになってるが
そんな何十年も答えの出ていない話に飛躍させても意味がない。
それこそDan Kogai氏の歴史は繰り返すのであって
データを向こうで持った時代もこっちで持った時代もあった。
メインフレームやオフコンが主役の座を降りてもまだ存在するように
PCがケータイに主役の座を譲ってもPCという分野は残る。
一番困るのは個人需要を狙ってPC生産に設備投資した企業だけ。
しかし、PCは結局電子部品の寄せ集めなので次の主役の部品に変わるだけ。
否だけでなく相手の言いたいことを汲み取った返事を返しましょうよ。
売り言葉に買い言葉で手抜き返事をすると自分の価値を下げますよ。
サラリーマンはみんな搾取されている。その程度の意味で使っていますか?だったらよくわかります。
これはない(笑)
自分の感覚だけでコメントしないようにw
ゲーム、グラフィックデザイン、CAD、ワープロ、プレゼン資料、IDE、マルチモニタ、etc...
今の携帯電話やネットブックで作れるものは限定的という意味ではPCは当面必要でしょ。
いくらMacBookの中にあるプログラムが「あなたのもの」でも、MacBookの生産を落とされたらあなたには手も足も出ない。
非難も意見も言わなくていいよ。
ケータイがダメな理由はわかったことにしても、NetbookがダメなんだったらPCでおkな理由はどこにもない。
自前でメールサーバー立てても、回線はたぶん借り物だよね?
たとえば突然perlのライセンスが変わったらどうするの?
PC使ってれば大丈夫?
そこまで強迫観念的に自立したいなら、脳内で全部間に合わせたほうがいいかも。宇宙空間で光合成でもしてたらいいんじゃないの?
じゃだめなの?
「環境」手元に置くメリットはわかる...てか職業柄そうなって欲しいってのありますけどね。
まぁ面白い応酬でした。ごちそうさま。
余談だけど昔テレビは発明されたときラジオが無くなるって言ってた人がいたらしい。昔トランジスタが発明されたとき豆粒大の真空管を作ろうとした人がいたらしい。
もったいないですね。Danさんのブログならアマゾン以上にアドセンスで稼げるのではないかと思います。
アドセンスに連絡して、アカウントを再開してもらったらいかがでしょうか(もし連絡を取られていないなら)。
全くそうなんですよね。
そうするとクラウド・ベンダーの抱えるリスク、たとえば過剰投資とその調整、なんかも昔が参考になるはずなんですが、こちらUSでもあまりそういうことは言われてないように思います。
(本筋と異なる話ですみません。)
ネットブックと最低価格帯のパソコンって、サイズ以外に何の違いがあるの?
>ケータイとネットブックで「作る」というのは、小作農であることを受け入れることなのだ。
これって「魔法のiらんど」が終了して、「作った」ものが消えてなくなっても受け入れるなら、「作る」という定義に入る気がするが・・・
>そう来ると思った。
とかちょっと残念な感じ。
他キャリア含め。
「小作農」と「地主」については、どっちもどっちだと思います。
売れない土地ってありますよね。
私は、属性は関係なく、作る向こうに何があるかだと思います。
第一、ネット回線自体は何処まで行っても借り物でしょ?
GMailを使っている人は多いと思うけど、googleがパッタリ手を引く事を想定しなくなっていませんかね。
Googleが無くなっちゃいけない会社という事を肯定する同じ文脈でDoblogにも適用しているのだろうか。
でも、それって退行していないか?と思ってしまいます。
小飼弾のアルファギークに逢いたい#5 (株)ライブドア 池邉智洋/谷口公一/ma.la
http://gihyo.jp/dev/serial/01/alpha-geek/0013
>弾:こういうと世の中の人は怒るかもしれないけれど,なくなっちゃダメな会社なんてないんだよね。
>ま:逆になくなっちゃダメな会社があるっていうことがリスキーで,グーグルがなくなっても…。
あとNTTデータの撤退作法としてはYahooブリーフケースと五十歩百歩だと思った。
Yahoo!ブリーフケースが静かに有料化、無料ユーザーのデータは一斉削除
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20090407/1013956/
となると、「知見を得た」という上から目線の言葉が悪かったのだなと言うことでしょう。
非ユーザーがイチャモンつけるのに、それじゃ格好つかないから色々難癖つけてるだけで。
自分のことを『スーパークリエーター』というのってなんか変でねぇー?
↑
によると、自分のことを天才プログラマーといっている。
なんか変ですぅー
長いものには巻かれろ主義なのですか?
私が弾さんなら相手がいくらGoogleでも最後の一文が尽きるまで法廷闘争するのですが。
とても残念です。
(それともとても怠け者なのですか?
だとすると、何を語ってもそこに正義は感じられなくなります。)
「何を語ってもそこに正義は感じられなくなります。」と言っても、それは結局「君だったらする事を弾氏がしなかった」事が気に入らないと言ってるに過ぎないのです。
「何を語ってもそこに正義は感じられなくなります。」といってサマになるのは、弾氏が実行しなかった事が不正と非難される合意が社会的常識として浸透している場合のみです。
「私が弾さんなら」程度の正義感ってのは、正義と言う社会的正当性の後ろ盾を暗示するのはおこがましい、ただの自己中ルールでしかありませんよ。
そもそも、それをどうして肯定したかは文章を読めば解ることだけど、善か悪かの二元論を土台にしていない上に、個人的な正義論の出る幕じゃないです。
AdSenceシステムのGoogleにとっての顧客は広告費用を出す広告主であり、広告タグを貼るコンテンツ作成者じゃありません。
だから、広告主にとって不利益が生じている兆候があれば遮断されるというだけの事なんです。
Googleに利用料を支払っている訳でもない、Googleが頼み込んで表示している訳でもないサービスである。
という事を考えれば、合理的な対抗手段は「法廷闘争」ではありません。
ご参考
http://www.openspc2.org/Google/AdSense/016/index.html
#まあ弾氏のケースの場合、警告文が来なかった事を争う余地はあるかもしれませんが、
#その時点の利用規約で「予告無く対応」と書いてあって同意していた可能性があります。