2009年06月03日 18:00 [Edit]

か弱きもの、汝の名は芸術 - 書評 - 芸術起業論

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TABLOG:「ゲームのルール」を理解するということ。【書評】芸術起業論 by 村上隆 - livedoor Blog(ブログ)
この「芸術起業論」は、つまりは、純度100%のビジネス書である。 芸術というニッチ・マーケットにおいて起業し、先頭にたって組織を引っ張り続けてきた人間の血肉からひねり出るような言葉と経験が詰まった本である。

そう読める本でもある。そして、その時点で本書の元は取れる。

しかし、それは本書を半分しか読んだことにならない。


本書「芸術起業論」は、芸術家村上隆による芸術論。起業論では、実はない。にも関わらず起業論としても読めてしまうのは、それが著者の芸術のために必要だったからである。

目次 - Amazon
第1章 芸術で起業するということ
第2章 芸術には開国が必要である
第3章 芸術の価値を生みだす訓練
第4章 才能を限界まで引きだす方法

それではなぜ起業という手段が著者の芸術に必要だったか。

金で買えないものはあるが、金がかからぬものはない。

という極めて非芸術的な、それであるが故に覆しがたい現実の中で、それこそが著者なりの芸術を貫くたった一つの冴えたやり方だったからだ。勘違いしてはならない。著者にとって起業はあくまで手段であり、目的は芸術なのだ。

それでは、芸術とは何だろうか。

私にとって、それは「100%おまけで出来ている何か」だ。

その「何か」のことをたいていは「美」と呼んでいるようだ。それでは、私にとって美しいものとはなんだろうか。数学。宇宙。物理。生物。社会....おおまかに「美しい順」に並べてみた。そしてこの「美しい順」は、皮肉なことに、「美というおまけなしでも、価値が損なわれない順」でもある。

ダ・ヴィンチのスケッチは美しい。が、人体そのものはさらに美しい。そしてその美しさは、人体が果たさなければならない機能の結果ついてきたものだ。女性の尻があれほど美しい、いや美しく感じられるかといえば、骨盤が子宮を受け止めなければならないからだ。吊り橋も美しい。が、これまたあの形は美を追求した結果ではなく、機能を追求した結果だ。

私にとって、美というのはArtそのものではなく、ArtistのSignatureのようなものだ。Apple製品のリンゴマークのようなものだ。それなしでも私はそれを選ぶだろう。しかしそこにあのマークがあることで、おまけを得たような気分になる。

それを逆手にとったのが、高級ブランドだろう。ブランドの元々の意味は、「烙印」。高級ブランドにおいては、「中味」と「おまけ」の価値が逆転している。それが直感的ではなく金額面でも事実で、そしてそれを過剰に追求したことがブランドの危機を招いていることを指摘したのが、献本いただいた「堕落する高級ブランド」だ。本書と一緒に読むとさらに面白さが増す。本当は単独書評すべき一冊なのだろうが、むしょうに本書と組み合わせたくなったのでここで紹介させていただく。

その「堕落する高級ブランド」にも、著者は登場する。著者はルイ・ヴィトンとのコラボレーションも手がけているのだ。このルイ・ヴィトンの村上隆は、著者の作品の美しさが皆目わからない私にとって、数少ない「あ、悪くないかも」という作品であった。

それがなぜかといえば、もうお分かりいただけるであろう。ルイ・ヴィトンの製品には、芸術品ではない機能があるからだとしかいいようがない。ロゴを全て塗りつぶしてしまったとしても、バッグならバッグの、スカーフならスカーフとしての機能は残る。

皮肉なことに、芸術作品というものは、芸術としての純粋性を追及すればするほど機能が損なわれる。芸術においては、美しさは手段ではなく目的そのものなのだから。それゆえに、純粋性の高い芸術ほど理解者は少なくなるのはやむ得ない。芸術の世界を牛耳っているのが金持ちたちであるのは当然のこととも言える。「ただの」美しさに金銭を投じられるのは彼らしかいないのだから。

だからこそ、芸術はか弱いのだ。金持ちたちの気まぐれに翻弄されるしかないのだ。芸術は弱く、芸術家はさらに弱い。著者はこの芸術の脆さと、芸術家の儚さをを骨の髄まで知っている。それだから、起業、なのである。「強くなければ芸術をやれない。美しくなければ、芸術をやる資格がない」というわけだ。

世のゲージュツ家たちは、その前段すらクリアーしていないどころか、その前段すら美の邪魔だと思っている節がある。申し訳ないが、彼らは美というものをかいかぶり過ぎている。美なんかただの飾りです。ビダイセーにはそれがわからんのです、ってか。

美というものの耐えられない軽さを直視しつつ、それでも美のために魂でも作品でも売り飛ばす。

そんな著者は、私にとっては美しさはさておき実にかっこいい存在だ。

芸術も芸術論もわからない原始人である私にも、それは理解できるのだ。

Dan the Primitive Artist


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革新的なこと。突飛なこと。言葉で言うのは簡単だけど難しいんですよ。それこそ努力じゃ解決できない問題。努力して時間をかけてりゃ解決することはまだ軟いモンさ。 ...
ぶっとんだこと【Island blog】at 2009年06月07日 12:42
「美術の世界の価値は、「その作品から、歴史が展開するかどうか」で決まります」 村上隆の著書芸術起業論の抜粋。 小飼さんの404 Blog Not Found内の書評で気になり読んでみたが、芸術だ...
kaniya Fine Arts【Surely You're Joking, Mr.KUTAI!】at 2009年06月07日 01:59
自分のアイデアと才覚だけで、世界を向こうに回して、カネを稼ぎ続けるにはどうすればよいか? 言語化することが困難な「仕事の芯」のような部分を、自分の後輩・部下たちに伝えるにはどうすればよいか? このようなことについて、「イヤな奴」村上隆が凡百のビジネス....
「ゲームのルール」を理解するということ。【書評】芸術起業論 by 村上隆【TABLOG】at 2009年06月04日 14:32
この記事へのコメント
『金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか』出版社:grambooks
ハンス アビング (著), 山本和弘 (翻訳)

村上さんのようになれないアーティスト自体の脆さも書かれていておもしろい本です。
Posted by AKAIKE at 2009年06月08日 13:51
最近はデザインとかアート方面に興味向いてるね
弾さん
Posted by ぽこにゃん at 2009年06月05日 21:26
日本人の脳は、おそらく、外界と脳との間に漢字が割り込んだ形になってしまっている。三次元を二次元で捉えてしまう現象は、そこに理由ある。

日本人の地震や災害時に危機における平静さや不敵さの根もそこにある。

宮崎駿は、日本人の脳が外界を二次元化処理しきれずにマヒする瞬間の感覚を知っている。その瞬間を描写し続けたことが、宮崎駿を日本人漫画家の中でも特別な存在にしている。
東京大空襲の下で、人々が意外にも生き生きとして見えた理由もそこにある。

村上隆のフラット化理論を土台に、宮崎駿を批評することが可能になる。
Posted by PK at 2009年06月04日 23:07
お子さまの描いた絵を飾ってらっしゃいますか。
弾さんにとって何よりの芸術品ではないでしょうか。
Posted by zzz at 2009年06月03日 22:03
ただの飾りであって、脆く儚いはずなのに、千年以上も生き残る奴がいるところが引き付けられる部分ではある。
Posted by hip at 2009年06月03日 20:21