2009年08月05日 16:00 [Edit]

事実は小説より喜なり - 書評 - 夏への扉 [新訳版]

早川書房高橋様より、まさかの献本御礼。

全く同じ作品なのに、これほど印象が変わるとは。

1988年にこの宇宙を去った著者に、見せて上げたい。

我々が、どれほど遠くに来たのかを。

そして、開けるべき扉が、どれほど残っているかを。


本作「夏への扉」は、日本で最も人気のあるSF小説の一つ。それだけに、献本者の高橋氏も指摘する通り、「(SF)業界の人には飽きられた」作品でもある。私自身、本作より「異星の客(Stranger in a Strange Land)」の方が好きだ。別に本作の主人公の名前がダンだからではない。Heinleinなのにエロがないから?それはちょっとあるかもwww。

しかし、それはSFとして本作を読んだ場合だ。今回の新訳で、別の読み方もあることに気がついた。

歴史小説としての、読み方である。

もちろん、本作はいまもなお「古典的」な読み方をしても充分以上に面白い話である。本作のヒロイン、リッキーは妹属性と姉属性を同時に充足するという意味で本書は萌小説の嚆矢でもあるし、万能フランク改めばんのうフランクは今もなお知能ロボットの一つの目標でもある。

しかし本作は、1957年に書かれた、1970年の主人公が人工冬眠で2000年に行く話でもあるのだ。我々は、本作よりもさらに未来に生きているのだ。実のところ本作に限らず、古典SFは多かれ少なかれそういう読み方が出来る。その当時、作家達が思い描いていた、今や過去となった未来と現代を比べることによって。

しかし本作ほど、それがくっきりと出る小説はない。そして新訳により、そのことがさらにはっきりした。福島訳と、今回の小尾訳の一番の違いは、本作が「未来の話」なのか、「過去の話」なのかという視点の違いにあると感じた。福島訳は、本作よりずっと「訳度」が高い。どういうことかというと、日本語を読んで元の英文が想起しにくい代わりに、当時一般的でなかった概念を丁寧に説明していた。本作は逆に、原文の味をそのまま残す代わりに今や一般的となった概念は説明ぬきで使っている。

たとえば、株式会社という仕組み。本作ではこれが重要な役割を果たすが、どうしてああするとこうなるかという説明は本作にはない。読者はすでにそれを現実で目の当たりにしているからだ。福島訳が出た往事、日本ではそうではなかったのだ。

とはいうものの、本作を「過去のもの」にしないための努力を、訳者は最大限払っている。「文化女中機」は「おそうじガール」となった。これ、原文の Hired Girl ですら死後化したといっていい。こんなセクシストな表現は、今やフィクションでも使えない。「万能フランク」も「ばんのうフランク」に。「アルジャーノンに花束を」の訳者の面目躍如である。

しかしそれでも、本作の世界が過去になってしまったことからは逃れられない。確かに我々は「ばんのうフランク」を実現するソフトウェアを持っていない。その代わりに Google や iPhone を持っている。反重力やタイムマシンは実現のしかたすら見当がついていないけれども、パソコンもケータイもインターネットも実現した。本作で電話帳をたぐる主人公に再会したときには、申し訳ないけど大笑いしてしまった。「ググレカス」ならぬ「ググレダン」、と。

そして、夏への扉を開けるのに、コールドスリープもタイムマシンも必要ないということを、ダンではなくてスティーブが証明してしまった。

自分が作った会社を、自分が手がけた製品ごと追い出された、そしてカムバックするというのは、実は本作のあらすじではないか。彼はばんのうフランクを作らなかった。その代わり Apple II と Mac と iPod と iPhone を作った。小説よりも喜な事実で、これはないだろうか。

事実は、小説より喜となりうる。

小説が、事実より貴となりうるのと同様に。

そして、本書の「未来」が今や過去となってしまったことを、作者は誰よりも喜んでいることだろう。それこそが、作者が信じたことなのだから。

Heinlein Society - This I believe
And finally, I believe in my whole race. Yellow, white, black, red, brown --in the honesty, courage, intelligence, durability....and goodness.....of the overwhelming majority of my brothers and sisters everywhere on this planet. I am proud to be a human being. I believe that we have come this far by the skin of our teeth, that we always make it just by the skin of our teeth --but that we will always make it....survive....endure. I believe that this hairless embryo with the aching, oversize brain case and the opposable thumb, this animal barely up from the apes, will endure --will endure longer than his home planet, will spread out to the other planets, to the stars, and beyond, carrying with him his honesty, his insatiable curiosity, his unlimited courage --and his noble essential decency.
404 Blog Not Found:惰訳 - Barack Obama's acceptance speech in full
America, we have come so far. We have seen so much. But there is so much more to do.

And so many doors to open.

そしてこのことは、今も昔も変わらない。あなたにしか開けられない、あなただけの夏への扉が、必ずあるのだ。

いつか、どこかに。

Dan the Door Opener


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 久しぶりにSFを読んだ。ロバート・A.ハインラインの「夏への扉」である。学生時代はよくSFを読んでいたのだが、最近はあまり読まない。しかしよく読んでいた学生時代でさえ、ハインラインのものは読んだことがなかった。ハインラインと言えば、SF好きには知らぬ...
夏への扉【時空の流離人(さすらいびと) (風と雲の郷本館)】at 2009年08月05日 21:54
この記事へのコメント
>原文の Hired Girl ですら死後化したとい
「死語化」かな?
Posted by Sekizuka at 2009年08月05日 17:57
新訳がでるとはつゆ知らず、紹介して下さりありがとうございます。
前回読んだときは高校生、当時はまだポケベル・・・もしくは初期のPHS・・・ピッチを無許可で持ってる人が何人かいたぐらい・・・インターネットしてる人は周りにいなかったような、まだまだ、ITは未来のツールだったこともあり、おっしゃっておられるギャップを楽しめるギリギリの世代だと思います。
古典SFの定義ではないとはいえ、ITの発達していない世界を書いた世界は古典と言いたくなります。
人類が情報文明をやや放り投げだした時代や、さらに人類がいなくなった世界を描く作品が増えていくのも、SFの方向性としては生まれるべくして生まれだしたものなのでしょうね。
Posted by 通りすがり at 2009年08月05日 18:29
私にとっての「夏への扉」は福島正実訳以外、有り得ないなぁ。
新訳が出るということは、旧訳は廃刊になってしまうのかな?
今のうちに、旧訳を買っておこう。
あの固っ苦しい文体が好きなんですよ。
個人的に「文化女中器」は名訳(迷訳?)だと思っています。
Posted by KKMM at 2009年08月05日 22:35