2009年08月15日 14:30 [Edit]
それを選んでしまわぬために - 書評 - それでも、日本人は「戦争」を選んだ
朝日出版社鈴木様より献本御礼。
これは、すごい。
はじめて「腑に落ちる」日本近代史を読ませていただいた。
なぜ、それでも日本人が、いや二十世紀人たちが戦争を選んだのかを、やっと納得することができた。
そして、わかった。
どうしたら戦争を選ばずにすむのかが。
本書「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」は、歴史学者である著者が、中高年ではなく中高生とともに、日清戦争から太平洋戦争に至る戦争の世紀を一緒に学んだ記録。
それでも、日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子 目次より- 序章 日本近現代史を考える
- 1章 日清戦争 - 「侵略・被侵略」では見えてこないもの
- 2章 日露戦争 - 朝鮮か満州か、それが問題
- 3章 第一次世界大戦 - 日本が抱いた主観的な挫折
- 4章 満州事変と日中戦争 - 日本切腹、中国介錯論
- 5章 太平洋戦争 - 戦死者の死に場所を教えられなかった国
それでは、なぜ「戦争」が選ばれたのか。
戦争を選んだ者たちにとって、それが経済的に合理的だったからだ。
念のために断っておくと、それが書いてあるのは本書の行間であって本書そのものではない。声高に結論を述べるのであれば、5日間、400ページにもわたって議論を重ねる必要はない。本書の特長は、情に走りがちな戦争という話題を、あくまで理詰めで解明していくところにある。理詰めということは、その理に至るまでの背景と道程を端折れないということである。だからこそ、私は情でも納得できた。理が放置された状態では、情も不快なのだ。
本書には、実に多くの数値とグラフが登場する。本書のサムネールだけみたら、きっとあなたは本書が歴史書ではなく経済書だと誤解することだろう。いや、それは誤解ではない。経済こそが、戦争を選んだ理由なのだから。
「戦争は政治の延長」だと言ったのはクラウゼヴィッツだったが、政治は経済の延長でもある。さすれば、戦争とは経済の延長であり、経済の理解なくして戦争は理解できないということでもある。
戦争とは、経済の一オプションに過ぎないのだ。
ご存知だっただろうか。
太平洋戦争中も、日本の株式市場が開いていたことを。
恥ずかしながら、私は知らなかった。9.11が米国の株式市場を止めた記憶がまだ新鮮であればなおのこと、このことは驚きに値する。
しかも、日本のライフはゼロだったようにしか見えない戦争末期にも、値上がりした銘柄があるのである。どんな銘柄がそうだったかは、ぜひ本書で確認していたきたい。
戦争は、経済である。
問題は、誰にとっての経済か、ということだ。経済には主体がある。あまりに当たり前のことであるが、これを理解してはじめて「戦争を選んだ」理由がわかる。
蒋介石の国民政府の駐米大使、胡適の「日本切腹 中国介錯論」の行間に、それがにじみ出ている。
P. 323中国は絶大な犠牲を決心しなければならない。この絶大な犠牲の限界を考えるにあたり、次の三つを覚悟しなければならない。第一に、中国沿岸の港湾や長江の下流地域がすべて占領される。そのためには、敵国は海軍を大動員しなければならない。第二に、河北、山東、チャハル、綏遠、山西、河南といった諸省は陥落し、占領される。そのためには、敵国は陸軍を大動員しなければならない。第三に、長江が封鎖され、財政が崩壊し、天津、上海も占領される。そのためには、日本は欧米と直接に衝突しなければいけない。我々はこのような困難な状況下におかれても、一切顧みないで苦戦を堅持していれば、二三年内に次の結果は期待できるだろう。
満州に駐在した日本軍が西方や西南に移動しなければならなくなり、ソ連はつけ込む機会が来たと判断する。世界中の人が中国に同情する。英米および香港、フィリピンが切迫した脅威を感じ、極東における慰留民の利益を守ろうと、英米は軍艦を派遣せざるを得なくなる。太平洋の海戦がそれによって迫ってくる。
著者も私も多いに感嘆したのだが、しかしあえてここに何が登場しないのかを考えて欲しい。行ではなく行間になにがあるのかを推察して欲しい。
それが、民である。
胡適にとって、民というのは客体(object)に過ぎないのである。「損して得とれ」の「損」でしかないのだ。英米参戦という「売上」を確保するのに必要な「投資」に過ぎないのである。
民という資本を投下して行う事業。
それが、戦争だ。
だから、戦争は非道なのだ。
無実の人が死ぬから、ではない。それは理由ではなく結果。無実の人が死ぬというイベントは戦争に限らない。平和な社会でも病死や事故死で人が死ぬことは避けられない。しかし、これらのほとんどにおいて、人は人として死ぬ。戦死は、戦争を選んだ者たちにとって、ヒトの死ではない。モノの死なのだ。犬死の方がまだ尊厳があるのだ。
だからこそ、国家は必死でそのことを隠蔽しようとする。なぜ靖国神社やアーリントン墓地が存在するかといえば、それに尽きるのだ。「ヒトの死」ということにしておかないと、モノがヒトに戻ってしまうのだ。
本書の凄みは、中高生にそのことを明かしたことにある。それも行間で。
金融日記:経済の相互依存だけが世界を真に平和にする誰も自分の子供が働いている国や、自分の商品をたくさん買ってくれるお得意様がある国に爆弾を落とそうとは思いません。
これが否、であることは、本書を読めばよくわかる。
「爆弾を落とせばもっと買ってくれる」という見込みがあれば、爆弾を落とすのが「合理的経済人」なのだ。アヘン戦争は、アヘン市場を守るためになされたことを忘れてはならない。そして、そうして奪われた香港とマカオを英国から取り戻した鄧小平にとっても、民はポーカーのチップに過ぎないことを。
そしてもちろん、一銭五厘で民を兵にした、かつてのこの国の為政者にとっても。
それを避けるにはどうしたらよいか。
民が、経済の主体となるしかないのではないか。
そのためには、貧困を克服しなければならない。
それも国単位ではなく、全世界単位で。
貧困とは、額の多寡ではない。
モノとしての価値しか認めてもらえないことだ。
そしてそれを一度確立してしまえば、他人(ヒト)がモノにしか見えない者たちでさえ、戦争というオプションを選択肢から抹消するしかなくなるはずだ。
404 Blog Not Found:古典x古典=斬新 - 書評 - 戦争の経済学世界政府というのは、何よりも経済学的に有利だという結果になりはしないか?
経済は人を戦争に追いやるばかりではない。うまく使えば戦争を根絶するのにだって役立つはずだ。
しかしそのための最低条件は、「何人たりともモノとして扱ってはならない」の確立である。
それがない限り、戦争という選択肢はなくならないのだ。
Dan the Economic Animal
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それも国単位ではなく、全世界単位で。
貧困とは、額の多寡ではない。
モノとしての価値しか認めてもらえないことだ。
<小飼さん、そういってしまうと、貧困とは、経済の問題ではなく、政治の問題、倫理の問題ということになってしまいます。確かに正論なのだろうけれど、こういう意見は、マルクス主義者たちの意見の蒸し返しになる危険性もあるんですよ。マルクス主義者たちも、経済の問題と政治の問題と倫理の問題を混同したところから多くの悲劇の原因を作り出したんです。もう少し、この点は整理して考え直したほうがよいのではないかと思われます。
切込隊長みたいな(?笑)保守主義者のenneagram
ロシアに勝ったのはいいけど、で、明治政府は、なぜ戦争を始めたかというと、江戸末期に外国と紛争起こしているし、さかのぼれば、関が原が原因でしょ。全部、戦争の連鎖だよ。
金は、なんにでも理由づけられる便利なもの。恋愛は経済である。人生は経済である。どれも、面白いといえば面白いけど、恋愛も人生も何も理解できるわけじゃないよ。戦争は、もっと複雑で、じゃぁ、人殺しも経済であるってことなのか?
終戦記念日だけど、日本が二度と戦争しないためには、経済の問題ではない。敗戦したことと、敗戦で死んだ人たちを心の支えにできるかだよ。生きている人間の都合でいいようにしないということだよ。敗戦で死んでいった人が、新たな戦争を望んでいないと強くコンセンサスをもてることが重要なんだよ。そこを忘れたら、戦争してしまう。経済の問題ではない。だいたい、借金して戦争しているんだから。ま、借金できないほど借金を積み重ねれば戦争はできないってのはあるけどね。
本って、困ったもんだね、心がないから。
早速、斜め読みしたけどグラフは後半に6枚だけじゃん。
The disabled japanese
貧困を減らすことで戦争が減るであろうことには同意します。
しかし、貧困がなくなっても戦争がなくなるかどうかは疑問です。
また、貧困をなくすとはどこのレベルまで引き上げればいいのでしょうか。
世界でも最も裕福な国(の一つ)であろうアメリカは世界でも最も戦争をしている国ではありませんか。
(アメリカに貧困がないわけではないですが)
そのすべてが貧困側がアメリカに仕掛けている戦争でしょうか?
資本主義じゃねえもんな帝国主義だもんな
あほらしい。まるで中国共産党の言うとおりの論理ですね。
日本の一部軍国主義者たちが、日本人を戦争へと駆り立てた。
殺されたのは一銭五厘の貧しい庶民であり、
天皇は贅沢な暮らしをしているぞとね。
これは悪であり、日本人は過ちを繰り返してはならない。とね。
かれらは決して真実を語らない。
私はあなたに聞きたい。
日本が彼らの国と戦わなかったら、果たして今の日本はあったのでしょうか?
日本人は、開国に際して不平等条約を押し付けられてからずっと、明治、
戦中、戦後においてもなお、ずっと戦ってきた。
日本人は、かれらの言うように日本の支配者と戦うべきだったのでしょうか?そうしたら、日本はどうなっていたのでしょう?
だれだって死ぬのはいやです。ではなぜ、われわれの先祖は戦争に行ったのでしょう?
戦争に行った私たちの祖父や先祖は、彼らの主張するように愚か者で、日本の支配者の利益のために従容と殺されたのでしょうか?
戦前の人、戦中の人はみな戦う理由がわかっていた。
だから、いきたくもない戦争であっても、負けることがわかっていても、
戦ったのではないのですか?
もし戦争が起こったら、戦争で利益を上げる日本の支配者層を殺して共産主義革命を起こせば、戦争は起こらなくなりますか?
革命により支配者のいない、人民主体の経済ができれば、戦争はなくなるのでしょうか?
誰がそれを願うのでしょうか?
日本人は戦時中、天皇のために戦わず、民が、経済の主体となる主体思想を確立するべきだったのでしょうか?そうすれば幸せになれたのですか?
皆が豊かになれば、戦争がなくなるというのは幻想に過ぎません。
その幻想を広めたいと願っているのは誰でしょうね?
回りくどい。
文章が重い。
この方には致命的なまでに欠けているものがある。
内容はともかくとして藤沢数希さんには分かりやすさが感じられたよ。
本当に頭の悪い人間が増えた気がする……
おそらく、19世紀後半に出現した諸産業とマーシャル・プランとEECの出現だけではこれは不可能だったでしょう。やはり、ENIAC以来のコンピュータを用いた情報産業が20世紀後半の奇跡的現象を可能にしたのだろうと思います。
1995年のインターネットの完全商用化とWindows95の出現で、IT革命は新たな段階を迎えたのだけれど、おそらく、2050年は、2001年の現実からは想像のつかないほどの技術変化と経済変化と社会変化とが起こっていると思われます。大戦争や大恐慌や世界的な疫病の蔓延がない限り破局的な事態はまずなかろうと思います。
ただ、2050年に貧困は世界からなくなっているか?と問うと、たしかに経済的な貧困は定義を改めていると思いますが、貧困を人間の尊厳の問題にしてしまうと、2050年の社会の世界の貧困問題は、現在の貧困問題より事態がずっと厄介かもしれません。
戦争は政治問題、主として政治的意思決定の問題だと思われます(例:イラク戦争)。これを、経済問題に還元して、経済事象の政治問題の解決が倫理問題、人間の尊厳の問題の解決にもつながるとするのは、思考法があまりにも「近代科学」的なのではないかと、くどくいえばそういうことです。
人間の尊厳の問題は、経済問題からいったん少し遠ざけておいたほうが、事態を紛糾させないですむと思います。田中角栄首相の経済政策は、国民を豊かにはしたけれど、人間の尊厳の問題の最終解決は導けなかったのです。それは、わが国で、立場の弱い女性たちと立場の強すぎる女性たちがどう扱われているかを調べればよくわかることのはずです。
非戦論者の人は「外交手段としての戦争をなしにしよう」ということなのでしょうが、経済的な「利」を重んじる人は戦争を選ぶんでしょうね。
かといって貧困をなくすと戦争がなくなるか、といえば否だと思います。どんなに豊かになっても差は生まれるものだし、隣と自分を見て「あっちがよさそう」と思ったら、それを手に入れる手段として戦争を選ぶ人は必ず出てくると思うので。
でも「損か得か」の図式を入れるのは賛成です。「戦争が損」という概念が広がれば、誰もやりたくなくなるでしょう。そのために経済的な損失に留まらないいろんな「損」を訴えかける必要があると思います。
つまる所、効率に生きる糧を得る行為が社会と経済であり、その手段が社会であり外交とその手段たる戦争です。
理想論を現実に持ち込むのは、思考停止した宗教家と50歩100歩。
その他にも平和と過度の繁栄には致命的な問題が有ります。
戦争をしない方が、効率的で利益になるという状況は作り得ない訳ではないですが、だがそのような状況下では「間引き」効果がますます低下し人類という種と人類に必要な生存環境、すなわち地球という資源が枯渇する時期が早まり結果として皆で破滅することになります。
戦争は個人や社会にとっては災厄だが種と遺伝子にとっては、あるいは福音かもしれません?(全面核戦争を除き)
ヒトとは何か、ヒトが住むこの世界の成り立ちと仕組みはどう造られているか、これに基づいたヒトの生き方の原理の解明が先にないままでは、本当の話は始まりません。
一般法則論者
あまりにもアホらしすぎる論理だよ。
「世界でも最も裕福な国(の一つ)であろうアメリカは世界でも最も戦争をしている国ではありませんか。」
世界でも最も戦争をしているからこそ、もっとも豊かでいることが出来ているのかも知れません。
少なくとも太平洋戦争の場合は選ばされた形になるね。より経済的に強いアメリカによって。
領土の半分諦めるなら見逃してやってもいいんだよ?とか言われて
はいそうですかなんてやった日にはどんどん削り取られていくのは明らかだし。ゲーム理論的に考えて。
つまり最初はただのしっぺ返し戦略だったわけだ。
しかし「しっぺの返し方」を誤ったせいでアメリカ以外の国まで巻き込んで
ズタボロにされた挙句未だに領土を占領されてるんだね。
まぁ、それは置いといて。
世界中が豊かになることは、やっぱり難しいし、
戦争は経済なのだから
戦争をなくす最も効率的な方法は
戦争をしないことが最も効率的な方法だと世界に示すことだと思う。
だから「今の日本」が経済的にアメリカに勝てたのなら
それにはかなりの効果があると思ってる。個人的に。
> それも国単位ではなく、全世界単位で。
みなさんほど頭が良くないので、言葉遣いが間違っているかもしれませんが、誤解を恐れずに言うと、
「貧困」って、「持っている資源が少ないこと」ではないですよね。銀行口座に100万円が入っていて、それで喜ぶ人もいれば、将来が不安でたまらなくなる人もいます。ここでは絶対的な金額は関係なく、持っているものを相対的にどう認識するか(多い?少ない?)が、裕福/貧困を決めるんだと思います。
どんなに豊かでも、自分のもの、他人のもの、という区分をする視点を持っていては、比較することから逃げられません。そして、どんなに多くのお金・資源を持っていても、他者と比べる視点を持っていては、本当の充足・安息は得られません。
国単位ではなく世界単位で貧困を克服する唯一の手段は、国という枠組みを無くすことでしょう。僕たちが世界市民の一人であるとの認識を持ち、自分の所有物に対する執着を無くすことがもし本当に可能なら、きっと世界から貧困は消えてしまうと思います。
とはいえ、すべてがフラットでは競争によるイノベーションも生まれないと思うので、なんらかの競争原理はあってもいいのでしょうけれど。たとえば大前研一氏が提唱する道州制では、日本を数個(約10)の道州という単位に分け、それぞれが工夫・切磋琢磨することを期待しているようですが、この道州間でいまさら紛争・戦争は起きないでしょう。戦国時代や明治維新中ならいざしらず。
なお、これは貧困ゼロ・紛争ゼロの世界を作るにはという問いに対して、理論的に考えてこうすればよいのではないかという答えを述べているだけで、もちろん僕は自分の財産、家族という枠組みから抜け出すことはできていないことを、予め述べておきます。
/佑里發里魘奪したい
△海譴呂任るか
L詰でした
い修譴討發笋辰討靴泙辰
グかった
本来なら,悪いのを子供に教えるべきなのに、
無理のことしたから悪いのように教える
教育者や学者の資格に疑わしい。
