2009年09月09日 13:30 [Edit]

非人と異人の違い - 書評 - 差別と日本人

そういえばこれの書評がまだだった。

これほど「日本人」が読んで不快になる本は稀である。日本人でなくとも読んで不快になることは確実である。日本人が「村民」のままでよいというのであれば、悪いことは言わない。「穢多」な本書からは「えんがちょ」しているべきだろう。

しかし「市民」であることを欲するのであれば、本書は避けてとおるわけには行かない。


本書「差別と日本人」は、「部落民」にして自民党幹事長にまでのぼりつめた野中広務と、「在日」にして人材育成コンサルタントである辛淑玉という、日本において有名な差別の対象である著者が日本の差別について語り合った一冊。

目次 - 差別をなくしたい人も差別したい人も本書を検証してはどうか?(『差別と日本人』) - どんなジレンマより
まえがき 野中広務
まえがき 辛淑玉
第一章 差別は何を生むか
昭和という時代と差別
部落出身の男とは
自民党という不思議な政党
日本人とは何なのか
第二章 差別といかに闘うか
関東大震災における虐殺
軍隊と差別
軍隊内差別
政治家を目指す
部落差別は地域差別ではない
結婚と部落差別
解放運動と地方政治
差別をめぐる事件
糾弾闘争とはなんだったのか
野中広務と共産党・解放同盟
町長から府議へ
第三章 国政と差別
阪神大震災と差別
オウム真理教事件と破防法
軍用性奴隷と国民基金
国旗国歌法案
部落民にとって、「天皇」とは
新井将敬の死は何を意味するのか?
女性の社会進出
アメリカにとって日本とは
第四章 これからの政治と差別
ハンセン病訴訟で国が控訴を断念
人権擁護法
重度障がい者の授産施設
石原慎太郎の暴言
麻生太郎の暴言
財閥、天皇制、被差別民
小泉純一郎の政治姿勢
オバマ大統領の存在意義
これからの時代に
最後の使命
あとがき 野中広務
あとがき 辛淑玉
参考文献

差別という現象そのものは、世界の至る所にある。そこまでは日本の常識も世界の常識も変わらない。マジョリティとは異なるマイノリティをいじめるというのは、人類の悲しい習性であるようだ。

ところが日本の場合、わざわざ差別の対象を作り出したところが違う。「部落民」も「在日」も、見た目だけではわからない。黒人やユダヤ人のように、一目見て、あるいは一言聞いてわかるというものではない。「あいつはエタだ」「あいつはチョンだ」と人々が指差すのを見てはじめてそう認識できるし、それがなかったら全くわからない違いでもある。

そのことが、日本の被差別者のふるまいを、より難しいものとしている。「正解」が二つ出来てしまうのだ。「差別と戦う」に加えて、「一般人を装う」という。

被差別者が一目でわかる場合、差別そのものからは逃れる術はない。だから戦うしかない。その分迷いはない。迷いがない分戦いもまた熾烈なものとなる一方、差別者の側も選択を迫られる。彼らを殲滅するのか。それとも対等の相手として認めるのか。

ところが、日本の場合は正解が二つある。「戦う」代わりに「隠れる」ことも不可能であり、そしてたいていの場合、後者の方がより確実な手段でもある。そして時には、「隠れる」ために他の被差別者を差別する側に回ることさえある。

私が塾の講師だった時代、私は「部落民」と「在日」の生徒双方を受け持ったことがある。だから、彼らもまた被差別者であると同時に差別者でもあったことを知って、驚愕すると同時に納得した。その時自ら語る言葉を持たなかった私は、Martin Luther King, Jr.のスピーチのコピーを黙って渡した。今彼らはどうしているだろうか。

「基準から外れてしまった」人をどうするか - Tech Mom from Silicon Valley
日本は、全体として「規範意識」の強い社会であると思う。それがいいほうに作用すれば、「犯罪が少ない」「電車も宅配便も時間通り来る」「約束を守る」「信頼できる」ということにもなるし、それは日本人のいいところだと思う。でもそれは、規範から外れてしまった人にとっては厳しい社会であるために、そうならないように皆必死になっている、という言い方もできる。

そうなるのは、正解が二つあることに証ともなっている。規範になんとかしがみつくことが報われるからこそ、彼らは規範にすがりつく。それが不可能なら、開き直るしかない。

それが、本書の著者の二人の違いでもある。辛が開き直ったのに対し、野中は居直ったのだ。

P. 177
 野中氏のアメリカ感は、戦中派のアメリカ感の一つのパターンだと思う。野中氏は、結果平等派といえる。
 アメリカ式平等とは、資源を配分するとき、公正な原理を決めて分配する。しかし、その結果、不平等が生じてもかまわないということで、つまり、機会の平等。
 他方、野中式平等とは、結果の平等を求めること。資源配分の過程では、談合したり、裏取り引きしたり、いろいろ画策する。しかし、結果として、みんながそれなりに潤う。

極論してしまえば、差別されても、結果平等ならいいじゃないかというのが野中イズムとも言えよう。もし世界が日本だけだとしたら、これはうまく行ったかもしれない。

しかし今、世界はフラット化した。フラット化した世界では、フラットであるからこそ差が価値であり、差が勝ちを決める世界である。そこにおいて求められるのは、小さな違いを大きく育てることであり、小さな違いを平にするのとは真逆である。

野中イズムが差別の痛みを減らす一方、差別を延命したのは確かだろう。野中をそう糾弾するのは簡単で、実際そうされてきた。それでも引退までそれが支持されたのは、差別の傷みがどれほど大きかったかの証である。闘争して敗死するのと、逃走して稗史を先送りするのと、どちらが「正しい」のだろうか。それは差別される者でなければわからない。

そしてその痛さから逃れるのに、野中という「与党総会屋」は存分に力を発揮した。単純に善悪で切るにには、野中はあまりに大きな存在であった。

一つ言えるのは、今後の世界は非人であることを隠すより、異人であることを主張する方が報われる世界にますますなっていくということ。私は「在日」でも「部落民」でもないが、「異人」と認定されいじめを受けてきた。そして「同和」はうまく行かず、うまく行くようになったのは「異人」であることを積極的みに認めるようになってからだ。

野中は、実にいいタイミングで政治から降りたのではないか。あれ以上続けていては老害で、しかしそれより早く辞めてしまってしまったら、「異人」になれない人の多くが助からなかった。これでよかったのだ。多分。

Dan the Stranger in a Strange Land


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野中広務 差別と権力 (講談社文庫) 「部落」という差別をはねのけて政権の中枢まで駆け上った遅咲きの政治家の半生を通じ、日本の政治の転換点を書いた作品です。佐藤優氏に「この作品は本来、野中さんから告訴されてしかるべきです。」と言わしめるほど、綿密な取材で、「
野中氏の半生を通して見る日本は必見(『野中広務 差別と権力』)【どんなジレンマ】at 2009年09月11日 19:00
この記事へのコメント
そりゃ、差別好きでしょ誰だって。
とか、
差別なんてどこにでもあるのもの。それをアレコレいう奴はアホでしょうね。
とか言う人、
何の為に差別するかというと、必要もないのに優越感を感じたいためで、↑そういう人に分かりやすく言い換えれば他人を殺してすっきりしたいからです。
私だって差別したいすね。きれいさっぱり皆殺ししたいです。
いいんじゃないすか。皆さん殺し合いましょう。
Posted by https://me.yahoo.co.jp/a/XXTPKR5ySbNlRrCPJV9y8BtlW6wZF7gK289ZF4gQ5A--#1a0f0 at 2009年12月11日 23:11
日本の部落民は、かつては客体視されて物体として扱われた存在だったかもしれない点で差別問題を語れると思うが、在日問題は民族性が絡んでいると思う。
朝鮮韓国人は、自分の内面的真実に固執する性質が強くて、自国民同士でさえうまくやっていけない。まして、日本のような社会では社会的資質が欠けた人として扱われるのは間違いない。
これを差別だと言い張れるのは、日本のような優しい社会だけだろう。
Posted by PK at 2009年09月22日 09:24
日本における人権の問題は、政治思想と絡んでいるので、バイアスを取り除かないといけない。
この被差別民のご両者にせよ、もう考えて発言できる立場にあり、完全に客体化されて見られる存在である差別民と違うのではないか?
基本的に、日本語の構造は話者の視点を共有できるようにできているので、辛にしろ野中にしろ、話して出版して読まれた時点で、差別は終わっている。
これは彼らの愚痴だと思う。
Posted by PK at 2009年09月22日 09:14
s/単純に善悪で切るにには、/単純に善悪で切るには、/
Posted by masa at 2009年09月15日 09:12
ユダヤ人を以て一目で分かる、と言うなら部落民もバブル前くらいまでは”見て分かり”ましたよ。そもそも彼らは壁のないゲットーに住んでたようなものなので、地元にいれば100%分かります。関西の田舎出身者なら常識のはずですが…

あと違いを認める社会云々の定番の話題を振っていますが、異人ならなんでもOKの世界には断じてなっていないことは頭の隅に置いておくべきかと。(例えばイスラム原理主義者の扱いが良くなるとは思えません。)
Posted by t at 2009年09月13日 01:53
差別なんてどこにでもあるのもの。それをアレコレいう奴はアホでしょうね。
Posted by jjishii at 2009年09月13日 00:50
>部落とか在日とか、好きだもんね差別

そりゃ、差別好きでしょ誰だって。

自分の気に食わない思想を持った人間に対して
「ネットウヨク」とかレッテルを貼ったり、ね。
中国人も韓国人も西洋人も、差別大好きでしょ?
それが人間というものですよ。
あくまでもそれは「人間」の属性であって
「日本人」の属性じゃない。

すべての差別の根底には「独断」と「偏見」があるわけだけど
この辛淑玉という人ほど、「独断」と「偏見」を持った人を
見たことが無い(笑)
やっぱり差別が好きなんですよ、辛さんも。
「差別と日本人」というタイトルそのものが差別だとも・・・。
今度は是非「差別と朝鮮人」という本も作ってほしいなあ。
Posted by もっくん at 2009年09月11日 02:37
>ユダヤ人を一発で見抜く方法

パンツ脱がせれば一発なんじゃないの?(男限定)
Posted by masa at 2009年09月10日 15:56
コメント欄の大半がどうでもいいところに言及していて、
やっぱり日本人は触れられたくないんだなーって思ったよ。
部落とか在日とか、好きだもんね差別
Posted by 123 at 2009年09月10日 12:53
>「部落民」も「在日」も、見た目だけではわからない。黒人やユダヤ人のように、一目見て、あるいは一言聞いてわかるというものではない。

とりあえず、ナチスが「ユダヤ人」を定義するのにどう「苦心」したか、そのあたりを調べましょう。
内田樹氏のユダヤ関連の著作を読まれるのもいいと思います。
Posted by シスミ at 2009年09月10日 11:07
誤)差別の傷みがどれほど大きかったかの証である。
正)差別の痛みがどれほど大きかったかの証である。
Posted by naomim at 2009年09月10日 08:37
あ、あと補足で一発で見抜く方法としては、ユダヤ人向けの特別なファミリーネームが付けられてるってのがあったな。鉱物とか花の名前とかだったかな?これが本文中の「一言聞いてわかる」に該当すると思われ。
Posted by ぽぽん at 2009年09月09日 17:22
>ユダヤ人を一発で見抜く方法

たぶん「キリスト教の教会に来ない」「金融業で金回りが良い」あたりじゃないかな?
「あの野郎教会にも来ないクセに(共同体の外に居る)妙にいい暮らししやがって(妬み)」ってカンジで差別が増幅していったのかもね。

サウスパークでユダヤ人のカイルが、クリスマスをみんなと祝えなくて寂しそうにしてるのが可哀相だったり。それを見たカートマンが「ハハハ、ユダヤ人がけちなコマ(ドレイドル)廻してるぞ〜。ファッキンジューめ!」とか言うんですよ。
それを聞いて「なんだとこのくそデブカートマンめ!」とか言ってケンカが始まるわけです。
差別なくすのは難しいけど、まずは差別を笑い飛ばせるようになれば、少し人生が楽になるかもね。
Posted by ぽぽん at 2009年09月09日 17:15
ユダヤ人を一発で見抜く方法があるとは、寡聞にして知りませんでした。
Posted by jin at 2009年09月09日 16:51
つけたし。

いまのところは「天皇陛下の臣民」と申し上げるのも恥ずかしいけれど、胸を張って生きられるような立場に立てるようになったら、古典的に「天下の朝臣」という表現を使いますよ。今の日本には本当いないよね。「市民」の中にも「村民」のなかにも、「天下の朝臣」が。まるっきり。
Posted by enneagram at 2009年09月09日 15:08
たぶん、日本人の大半は、あと千年たっても、「村民」のままでしょう。残念ながら。

「破戒」も読んだし、韓国語も多少は勉強している私は、自分は、自身を省みれば恥ずかしながらも「天皇陛下の臣民」であると思いたがっている「村民」。在日や部落を差別しないけれど、奈良の南都六宗と天台宗と自分の宗派の臨済宗妙心寺派みたいな勅許により開宗した宗派は、浄土系と日蓮系の鎌倉新仏教と曹洞宗みたいに、いつの間にか新しい宗派ができていて信者がたくさんいるから事後承認するほかなくなった、というような宗派より、絶対に上位にあって、優れた宗門であると信じて疑っておりません。神社だって、伊勢神宮とそれ以外は、別格の扱いをすべきであると思っておるものです。朱子学を重んじて、日本の成年男子はできるかぎり四書を読むべきだとも思っているし。

まあ、私なんかは、浅田彰氏なんかに言わせれば、あわれな「蛮族の土民」なんだろうけれど、日本人の多くは、多かれ少なかれ、私みたいな「村民」たちでしょう。

まあ、哀れな「村民」でしかないことを自覚しながら、気がついたときは極力、中国語や韓国語やベトナム語を勉強して、シンガポールのシングリッシュの流行歌なんかもCDを入手して、これからの東アジアの漢字文化圏の連帯を模索したいと思っています。

まあ、小飼さんが「それは立派な市民だ」と承認してくだされば、たぶん、「村民」と「市民」の過渡的存在ですよ。そんなところ。
Posted by enneagram at 2009年09月09日 15:01
> ところが日本の場合、わざわざ差別の対象を作り出したところが違う。「部落民」も「在日」も、見た目だけではわからない。黒人やユダヤ人のように、一目見て、あるいは一言聞いてわかるというものではない。

別に日本だけじゃ無いと思うが。
ヨーロッパの宗教差別は有名だし、アメリカでの何台も続くアイルランド移民やイタリア移民の差別の例もある。

ネイティブアメリカンやインディオ、アフリカ諸民族だって、差別しあっていた。
良い意味悪い意味を問わず、日本だけが特別だという意識から抜け出す必要がある。
Posted by gingin1234 at 2009年09月09日 14:00
いつも興味深いエントリありがとうございます。細かいところですが、以下にタイポがあるようですので指摘しておきますね。

s/「戦う」代わりに「隠れる」ことも不可能であり/「戦う」代わりに「隠れる」ことも可能であり/
Posted by nippondanji at 2009年09月09日 13:51