2009年09月22日 05:30 [Edit]

不自由意思の源 - 書評 - つぎはぎだらけの脳と心

インターシフトより献本御礼。

プルーストとイカ」、「脳の中の身体地図」に続く同社の「脳シリーズ」三作目は、「単純な脳、複雑な「私」」の池谷裕二をして、「同業者として"ネ神様"のような存在」と言わしめる著者による。

脳科学の本を通読している人には驚きは少ないかも知れないが、それだけに本書は脳科学の本として最良のまとめになっている。むしろ脳科学の本をほとんど読んでいない人がうらやましい。いきなり本書から始められるのだから。


本書「つぎはぎだらけの脳と心」の原題は、"The Accidental Mind"。表題どおり、脳と心がいかに Accidental = イキアタリバッタリに進化し、形作られてきたかを、脳研究の第一人者が「話をする時は、相手に知識はまったくなく、知性は無限にあると思って話せ」(P. 12)という心構えで書いた一冊。

目次
プロローグ - 「その場しのぎ」の脳が人間らしさを生んだ
1章 脳の設計は欠陥だらけ?
2章 非効率な旧式の部品で作られた脳
3章 脳を創る
4章 感覚と感情
5章 記憶と学習
6章 愛とセックス
7章 睡眠と夢
8章 脳と宗教
9章 脳に知的な設計者はいない
エピローグ - 「中間部分」の欠落
謝辞
解説
 

そのようなスタンスで書かれているので、予備知識は全く必要ない。それでいて、変に初心者におもねるあまり、言葉を選びすぎることもない。一般向け科学書というのはまさにこのように書かれるべきという一冊であり、脳科学を抜きにしてサイエンス・ライターであれば一読しておくべきだ。

脳以外の人体がいかに「つぎはぎだらけ」かは、すでにいくつもの好著が取り上げている。本blogでも「人体 失敗の進化史」や「「退化」の進化学」を取り上げているが、実はつぎはぎが一番多いのは、心の座である脳かも知れない。

いくら脳科学のノの字も知らない人でも、さすがに脳に限らず神経が電気信号で動いていることまではご存知だろう。ところがこの電気信号の扱いにしてからはつぎはぎもいいところだ。人間が設計した電気回路では信号は電気、すなわち光速度に近い速度で伝わるのに対し、神経のそれはその百万分の一でしかない。これでもヒトの神経はミエリン鞘のおかげで細いのに速い方で、ミエリンのないイカは何ミリもあるほどぶっとい神経を持つ羽目になった。スイッチ速度も最高で毎秒1200回。こんなCPUを与えられたら、私だって「こんなガラクタは勘弁してくれ」と言うだろう。

「素子」を見ただけでも脳のガラクタぶりにはorzとなりかけるが、「回路全体」だとさらにすさまじい。そのガラクタぶりは本書でたっぷり堪能していただくとして、私が思い出したのは「バーバレラ」という映画。そこに水上船が登場するのであるが、この船、プロベラと帆を持っている。プロペラで起こした風を、帆にぶつけて進むというトンデモな代物なのだが、脳の滑稽さはそれを軽く凌駕している。だからLoveなのかっ!?

ところが、そんな「ガラクタ」が、「まっとうに」設計されたCPUをプログラムするのである。その逆ではない。

そこにこそ、驚きがある。

本書の特徴、いや特長は、そんな脳の「ガラクタ」ぶりを、ハードウェアにとどまらず、その上で実行されるソフトウェア = 心にまで敷衍した点にあるだろう。「こういうCPUを与えられたら、その上でプログラムはどのようにふるまうか」。それがどれほど滑稽で、そして文字通り「人間的」なことか。

こんな Accidental なものから、 Intelligence が生まれる。

Intelligent に設計されたものからはまだ Intelligence は生まれていないのに。

世は「もっとIntelligentに!」「もっとEconomicalに!」の大合唱である。しかしかくいう脳と心たちがちっとも Intelligent にも Econimical にも出来ていない。それゆえ、我々は Intelligent で Econimical な世の中を実は望んでいないのではないか。少なくとも Intelligence と Economics において、どう見ても我々の方が進化のもう一方の最先端である昆虫の方がずっと上を行っているように思える。

ならどうすればいいか、ということまでは本書には書いていない。とりあえず知っておくべきことは、「脳に知的な設計者はいない」ことだろう。よって、我々の心にも。

Dan the Accidental Mind


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単純な脳、複雑な私、はとてもおもしろかった。ということはやっぱりこれも読みたいと思う。こんなことを言われては読みたくなって普通だと??..
単純な脳、複雑な私【どらどらテレビ】at 2009年09月25日 00:02
この記事へのコメント
βαКαどもよ!
Posted by   at 2009年09月22日 14:43
プロ"ベ"ラ・・・
Posted by U D at 2009年09月22日 13:52
>脳と心がいかに Accidental = イキアタリバッタリに進化し、形作られてきたか


見ようによってはイキアタリバッタリなのでしょう。
でも、これだけの成果を出せているんだから、「試行錯誤しつつ模索してきた」位の言い方もできるのでは?
発生過程では、脳も心もどんどん分化して進化しているはずで、最初から本決まりでできていたわけではないはずです。

この点も言い添えさせていただきます。
Posted by enneagram at 2009年09月22日 13:36
> 「脳に知的な設計者はいない」
こういうのはある宗教の人にはなんとなく驚きがあるのかもしれないけど、
日本人の大多数に取っては「あーそかもね」ぐらいの感想しかないのでは、
と思う。
Posted by 通りすがり at 2009年09月22日 13:09
つまり、人間は神が作ったのではない、あるいは、神は知的ではない、ということでよろしいでしょうか。

>Intelligent に設計されたものからはまだ Intelligence は生まれていないのに。
そして、人間が神を作ったのならば、神はIntelligenceではないと。
Posted by zzz at 2009年09月22日 12:49
つまり、弾さんなら「あらたな生命体を知的に設計できる」という宣言だと受け止めてよいのでしょうか?
Posted by ハレルヤ at 2009年09月22日 12:17
"ネ神様"って・・・・
Posted by ネカマ様 at 2009年09月22日 11:48
s/不自由意思の源 /不自由意志の源/
Posted by S.K. at 2009年09月22日 10:15
>昆虫というのはどういった点で最先端なのでしょうか?

比較発生学的な見地からの説明をすると専門的過ぎるのでやめますが、哺乳動物も高度な社会性を獲得することに成功しておりますが、ミツバチ、アリ、シロアリなど、主として膜翅目の昆虫は、生物種としてのヒトにつぐくらい分化度の高い社会生活を成立させているので、動物進化の一方の頂点が哺乳動物の霊長類で、もう一方の頂点が昆虫類の膜翅目ということになっています。あくまで、現在までの生物学の知見での話です。
Posted by enneagram at 2009年09月22日 09:42
>脳と心がいかに Accidental = イキアタリバッタリに進化し、形作られてきたか

>少なくとも Intelligence と Economics において、どう見ても我々の方が(よりも?)進化のもう一方の最先端である昆虫の方がずっと上を行っているように思える。


イキアッタリバッタリに進化できたということは、それだけヒトが自由だったということだと思います。いくつもの選択肢なければ、イキアッタリバッタリは不可能だったと思います。

昆虫と真菌類は、たぶん、地球環境に適応過剰なのだろうと思います。過剰適応してしまったがために、節足動物や担子菌は、哺乳動物や被子植物ほどの自由度を獲得できる進化ができなかったのでしょう。

結局、小利口なのはかえって損で、大賢は大愚に似たりというところでしょうか。科学の最先端は、ここでも老荘思想?禅の説く真理は案外普遍?
Posted by enneagram at 2009年09月22日 09:37
"ネ神様"とは新しいネットの表現なのか。
進化が早すぎてついていけんよわしは。

http://bluebell.exblog.jp/2209290/
Posted by 雲水 at 2009年09月22日 09:12
自分の案も出そうよ>d
Posted by せっかくだから at 2009年09月22日 07:58
>どう見ても我々の方が進化のもう一方の最先端である昆虫の方がずっと上を行っているように思える。


昆虫というのはどういった点で最先端なのでしょうか?
Posted by d at 2009年09月22日 06:19
s/どう見ても我々の方が/どう見ても我々の方より/ ?
Posted by ynakajima at 2009年09月22日 05:52