2009年10月07日 23:00 [Edit]

数理は有利 - 書評 - 使える!経済学の考え方

筑摩書房松本様より献本御礼。

『使える!経済学の考え方』が出ましたよ - hiroyukikojimaの日記
待ちに待ったこのときがきた。なぜなら、やっと経済学と銘打つ本で、自分で納得いく本を出すことができたからだ。

この言葉に偽りはない。

経済学は何を教えてくれるのか--そして何を教えてくれないのか、経済学はなぜある問題は鮮やかに解いてみせるのに、ある問題にはとんちんかんな解答しか出せないのか。本書を読めばわかる。

「経済学って使えねえ」と嘆く前に、本当にそうかまずは本書で確認してみよう。


本書「使える!経済学の考え方」は、経済学者--そう、数学者でなく経済学者--である著者が、数学者でも経済学者でもない読者に、なぜ経済学者は数学を使うのか、そして数学を使うことによりなにがわかるのかを平易に、かつ読者を見下さずに、「話をする時は、相手に知識はまったくなく、知性は無限にあると思って話せ」という心構えで語り下ろした一冊。

目次 - mailにて
まえがき――よい社会ってどんな社会
序 章 幸福や平等や自由をどう考えたらいいか
人々の幸せを論じる難しさ/ミルの考え/「自由」と「分配」の衝突/「競争」の本当の意義/本書は、幸福の問題を、数学を使って考える/ブラウン神父から学ぶこと/数学の有効性を知る一例
第1章 幸福をどう考えるか――ピグーの理論
「幸福」を経済学ではどう考えるか/「幸福」は「効用」で測る/効用関数はこのように発見された/大事なのは、「最後の1単位」が与える効用/ピグーの厚生経済学/「最良の社会」は「完全平等の社会」である――ベンサム&ピグーの定理/ベンサム&ピグーの定理をどう評価するか/ピグーの論理の弱点/功利主義とはどんな主義か
第2章 公平をどう考えるか――ハルサーニの定理
人が完全に公平であるのはいつの時点か/ハルサーニの人となり/賭けについての数学者の基準/賭けについて、経済学者が導入した期待効用基準/期待効用はアンケートでわかる/期待効用基準を生み出す規則とは?/ハルサーニの発想/ベンサム&ピグーの定理が再現される/人間の幸せについての幾何学/ダイアモンドの強烈な批判/自由意志の行使の問題
第3章 自由をどう考えるか――センの理論
自由という魔物/民主主義と自由は両立しない/社会の選択基準を与える関数/パレート原理とリベラリズム原理/センの鮮やかな証明/原体験としてのベンガル飢饉/どんな選択肢から選ばれたのか/学校教育は義務か権利か/選択肢の広さこそが「自由」/障害者について深く考える/潜在能力アプローチ/潜在能力の国際比較
第4章 平等をどう考えるか――ギルボアの理論
平等と格差/平等度の計測/ジニ係数で世界と日本の不平等を見てみる/ジニ係数のいろいろな計算方法/ジニ係数で数学の威力を見る/ジニ係数の意味での平等社会を選好するとは?/公理をチェックしてみる/やはり、背後には不確実性についての認識/「自信のなさ」が関わる確率理論/別の期待値を定義する/ショケ期待値の公理系/ジニ係数とショケ期待値には深いつながりがある
第5章 正義をどう考えるか――ロールズの理論
公正な社会とは何だろう/正義の二原理/功利主義はどこがダメか/最も不遇な人たちとは誰か/原初状態と無知のヴェール/基本財を使ってマックスミン原理を論証する/センによるマックスミン原理への批判/マックスミン原理の公理化の問題/「自信のなさ」の不確実性理論を再び/公平無私の観察者によるマックスミン原理/マックスミン基準と不透明な未来
第6章 市場社会の安定をどう考えるか――ケインズの貨幣理論
資本主義の落とし穴/「欲望」と「安定」のトレードオフ/ケインズの豊かなアイデア/ケインズ理論における「不確実性」/再び、加法性を要請しない確率/貨幣こそが不況の原因/貨幣が購買力を吸収し尽くす/月への欲望/流動性選好が不況の元凶/「二股をかけていたい」という欲望/「曖昧な消費欲」を公理でとらえられる/不況とは協力が壊れてしまった状態/経済学の新たな地平へ
終 章 何が、幸福や平等や自由を阻むのか――社会統合と階級の固着性
幸福や平等や自由の実現を阻むもの/学校教育と平等/教育を投資と見る人的資本理論/階級は教育によって固着化される/対応原理とヒエラルキー分業/数学モデルの重要性を再論する/アカロフの「情報の非対称性理論」/忠誠心フィルター/貧乏人はなぜ金持ちに忠誠心を持つのか/階級に対する「経験」の影響
あとがき
参考文献
『使える!経済学の考え方』が出ましたよ - hiroyukikojimaの日記
この本のテーマは、一言で言えば、「幸福」や「自由」や「公正」や「平等」をどうやって、そして、なぜ、数理的に議論するか、それをわかっていただくこと。

なぜ数理的になのか。

それが一番公正かつ平等だからだ。

P. 19
日常言語(=自然言語)は、往々にして、感情を揺り動かしてしまう。伝えるべき概念の定義を超えて、心に訴えかけてしまう。時にそれは重要なことではあるが、「幸福」や「平等」といった概念を論じる際に私たちは、過度に感情論をふりかざす傾向がある。それに比べると、数学の持つ「非情緒性」という性格は、むしろ人の情動のようなものを適度に遮断して、冷静な思考を促すことを可能にする。

経済学者--に限らず、なぜ我々が数理を使うかといえば、感情が苦手だとか嫌いだからというわけではない。むしろ感情を大切にしたいからそうするのだ。感情には自己破壊性がある。あまりに強い感情は、情緒を粉々にしてしまうのである。

NED-WLT : 『弾言』 (小飼弾著)
僕にとって、小飼弾さん最大の魅力は「飛躍」にあります。実は、彼ほどロジカルに物事を思考できる人も少ないのですが、彼の思考が常識と照らしてあまりに斬新すぎて、それが僕のような凡人には「飛躍」と映るのです。

私事で恐縮なのだが、少なくとも私にとっての数理というのは、情緒の harness だ。そして著者も実はそうであることは、本書の行間からもびしばしと伝わってくる。著者の作品はいずれもそうなのであるが、対象が著者の本職でもある数理経済学ということもあって、本書ではそれが最も顕著となっている。

それでは一旦「理に落とす」と、何が分かるのか。

P. 20
「社会における最もよい富の分配方法は、どの人の取り分も自分以外の全員の取り分の平均値より多いようなものである」。
 一見するとうるわしい分配方法だが、これもはっきりと矛盾をはらんでいる。そして、数学使うならすぐ矛盾を指摘することが出来る。

小学校高学年レベルの問題である。が、このレベルの数学でも、実にいろいろなことが分かる。「年収10倍本」が本当は成り立たないこともこの問題の応用であるし、同様の論理を使って、「人との比較で幸せを推し量る限り、全員が幸福になる社会はありえない」こともすぐ分かる。

小学生でも数理を使えば納得できる問題であるが、感情に振っては大人でも、いや大人こそわからなくなる問題ではないか。

その一方、数理を経由するという方法は、常に三つの問題をはらんでいる。数理に落とし込む際、数理を駆使する際、そして数理から叡智を引き出す際である。経済学に限らず、数理科学が「使えなく」なる瞬間というはまさにこれらに該当する。そして経済人たちが経済学者を嗤うのもまた、現実と理論が矛盾している時に経済学者たちが理論に固執している時である。

どんな科学でも「学者バカ」はつきものであるが、経済学者にそれが多いと市井の人が感じるのは、いかに経済というものが数理化しにくいかの証でもある。しかしそこで開き直ってしまったらもはやそれは経済学者ではない。そういう「経済芸者」のなんと多いことか。著者はそれを承知しつつ、あくまで数理で経済現象を harness しようとしている。

その意味で、本書で物足りないのはまさに「感情論」であろう。「感情的な論」ではなく、「感情そのものを数理的に扱う論」のことである。本書のあちこちに登場する効用関数は、いずれもあまりにシンプルで、それにそって行動する者は「お人形さん」と言わざるをえない。しかしそれは本書の欠点ではもちろんない。そこまで踏み込むには紙幅がまるで足りない。そしてそういう不満を惹起するのもまた、本書の狙いの一つであろう。

人の行動関数を記述するにあたって、現在最も経済学に欠けている視点は、それが自己改変関数であるという認識ではないか。「男子三日会わざれば刮目して見よ」を、経済モデルはまだうまく扱えていない。そしてこのことは、幸福というものにとって決定的な役割がある。同じものを同じように与えて同じように幸福、あるいは不幸になる人などいないのだから。

私は常々、経済学 = 物理学 + 心理学 と唱えてきた。本書を読めば、経済学が第一項に関しては多大な成果を上げてきたことがわかるはずだ。数理は物理と相性がいい以上、それは当然のことと言える。そしてまだ果たされていない貧困の克服にあたって、この視点は今なお大きな価値を持つ。

その一方で、物理学で扱える経済では足りないことも、先進国ではますます明らかになっている。いくら経済成長しても幸福度は上がってくれない。経済において心理学が占める割合がますます大きくなり、そして今後も大きくなっていく以上、心理、そう感情そのものを数理の俎上に乗せずにはいられないというのは確かではないか。その意味で、本書の終章が「物理学的経済学」から「心理学的経済学」への移行を予感させる点は実によかった。アカロフの「忠誠心フィルター」に対する著者の反論は、まさに人が変わる動物、自己改変関数であることに立脚しているのだから。

ただし、その自己改変関数は、自分が変わることを恐れる関数でもある。なるべくなら変わりたくない。過去の経験で演繹できる程度の未来が欲しい....それが「貧乏人はなぜ金持ちに忠誠心を持つ」、著者なりの解答ということになる。

ならば、それを変えてしまえばいい。

学ぶ、というのは結局そういうことなのではないか。

幸せは一つとして同じ形をしていない。しかし、それがどのような形であれ、そこに学びがない幸せというのはあり得ないのではないか。

それが、私が本書で改めて学んだことである。

Dan the Economic Animal


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タイトルを見た時に、「経済学の考え方が使えるようになる本」だと勘違いした。 いや、もしかしたら使えるようになるという特殊な人もいるかもしれないけれど、ほとんどの読者はそのような勘違いをせずに本書を読んでもらいたい。 自分で「使える」ようになれる本ではなく...
【書評】使える!経済学の考え方【ビジネス書で「知」のトレーニングを! ?? 知磨き倶楽部】at 2009年11月25日 14:02
使える!経済学の考え方―みんなをより幸せにするための論理 (ちくま新書 807)著者:小島 寛之販売元:筑摩書房発売日:2009-10おすすめ度:クチコミを見る 404 Blog Not Foundで紹介されていた本。 数理は有利 - 書評 - 使える!経済学の考え方 本書は、数学を通して「...
使える!経済学の考え方―みんなをより幸せにするための論理【本を読んで成長しよう!】at 2009年11月05日 22:57
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書評 経済学の考え方【文理両道】at 2009年10月08日 18:22
この記事へのコメント
ちょっとくどいけど、すこし訂正。

>論理を駆使して分析すると、飛躍的な予想外なものが見出せるというのが弁証法の論理。

              ↓
形式論理、あるいは演繹推論を駆使して分析すると、論理的判断の想定を超える飛躍的な予想外なものが見出せるというのが、弁証法の論法。

こんな風にしたほうが、より正しい表現にはなりますかね。あんまりこだわらなくてもいいこととは思いますが、少し気になったので。
Posted by enneagram at 2009年10月15日 10:15
ある人の講義を受けているがひしひし伝わってくる
Posted by た at 2009年10月09日 02:22
単に、哲学者のベルクソンが言っているだけのことですが、数理化、数学化、数学的処理をしてしまうと、あらゆるものが、空間(3次元とは限らない)の表象でしか表現できなくなって、(心的内的)時間を取りこぼすのだそうです。

単に、国語学者の時枝誠記(ときえだもとき)先生が言っているだけのことですが、言語というのは、心的過程の表現で、本質的に(心的内的)時間的なものなんだそうです。

数理の才も詩魂も持ち合わせるに越したことはないけど、なかなかそうはいかないもの。

ただ、論理を駆使して分析すると、飛躍的な予想外なものが見出せるというのが弁証法の論理。

物理学も、経済学も、そういう意味では弁証法的に発展しているといえるのでしょう。マルクス経済学は、情報技術の発展に乗り越えられてしまったけれど、マルクスの哲学・社会学・歴史学の洞察はまだまだ鉱脈を掘りつくされてはいないかもしれません。
Posted by enneagram at 2009年10月08日 07:33
ええと、どんなに経済学を駆使しても、理屈の上では全員が満足できないけれども、
実際には価値観の多様性がこの世の中の格差や不均衡を緩和していると言うことで良いですか?
Posted by ななし at 2009年10月08日 01:58
目次を見る限り、大変面白そうです。
いかにもスルーしてくれと言わんばかりのタイトルですが、書店で見かけたら手に取ってみようかなと思います。
Posted by zzz at 2009年10月07日 23:41