2009年10月08日 07:00 [Edit]

「満画」 - 書評 - 幻覚ピカソ

すごい。

今まで変化球しか投げてこなかったこの作者が、ついに直球を投げ始めた。

[才能の無駄遣い]タグが最も似合うこの作者が、ついに[才能の有効活用]を始めた。

  1. 良い漫画とは
    1. 自分にしか描けないことを
    2. だれが見てもわかるように描いた漫画

のだとしたら、本作こそ、現時点における最良の漫画ではないか。


古屋兎丸といえば、「Palepoli」を最初に見たときの感動が忘れられない。「無駄遣い出来るほどの画力とは、このことか」、と。何が凄かったかと言えば、その圧倒的な画力を、実にくだらなく使っていたこと。なんと、画力を無駄遣いすることそのものをギャグにしていたのだ。ギャグの威力というのが「落差」にある以上、これは実に強力で、しかも画力があってこそ成立するギャグなので他の追随を許さない。まさに[才能の無駄遣い]だ。

現実にあるもの、あるいはそれを組み合わせたものを写実的に描ける漫画家は、今では少なくない。大友克洋以来、漫画家に求められる写実力はインフレの一途をたどっている。こういっては何だが、何ならトレースしたっていいのである。

作者の画力は、そんなレベルではない。作者は超現実を絵に出来るのである。「絵にも書けない○×」を描いてしまうのである。こればかりは文章では語りようがない。現物を見て欲しい。Palepoliが新品で手に入らないのが実に残念だ。

だからこそ、「Palepoli」以降、作者はそのありあまる画力を持て余していたように見える。なんというか、金持ちが「ほら浄罪」とばかりに放蕩の限りを尽くすというか。まるで作者自身が描き直している最中の「人間失格」の主人公のように。作者オリジナルの作品よりも、原作別の作品の評価の方が高めだったのもそのためだろう。自分自身の画力を受け止めるだけの物語を作者は懸命に追い求めていたのだ。

本作「幻覚ピカソ」こそ、まさにその答えだ。

幻覚ピカソ - Wikipedia
本作の主人公。暁月(あかつき)学園高等学校2年の17歳。身長155cm。通称「ピカソ」。山本千晶が名前を「ヒカソ」と読み間違えたことが始まりで、クラスメイトからもそう呼ばれている。いじめられっ子でもあるがゆえに偏屈な性格で、考え事をするときに爪を噛む癖がある。絵を描くことが好きで、いつも一人で絵を描いている。また、尊敬する人物はレオナルド・ダ・ヴィンチ。
河原で絵を描く部活動・河原部を立ち上げ、いつも通り千晶とともに河原で過ごしていたところヘリコプターが墜落し、奇跡的に助かる。千晶がその事故の犠牲で亡くなり気落ちしていたところ、その死んだはずの千晶が現れる。自身の腕を見ると腐敗しており、千晶が言うには人助けをすることでその腐敗を食い止められるのだというが、周囲と関わりを持たないピカソにとって容易なことではなく、悪戦苦闘しながらも人を助けていく。
事故以来、人の心の闇を見ることが出来る能力が備わり、本人はこの能力を快く思っていないが、その心の闇を絵にしなくては気が済まないらしく、闇が見えた瞬間、2B鉛筆でスケッチブックに描き込む。そのスケッチブックと自身の顔とが衝突、ダイブすることでその絵の中へ入ることが可能になり、ダイブ中は意識だけが絵の中へ入り込むために体は気絶状態になる。

なんとこれは、作者そのものではないか。

あまりに強烈な絵心を受け止めることが出来る物語は、絵を描くことそのものを物語にすることだったのだ。

本作の心理描写は、本当に「絵」である。漫画における心理描写は、実は絵ではなく、効果線、擬音、そして漫符といった記号でなされている。記号化されたゆえに、漫画家たちは「絵に心を煩わされることなく」物語を書いて行けるのであるが、本作では本当に絵でやっているのだ。まさしくピカソ。

絵心のない私は、ただ刮目するしかない。

あとは各自自分の目で確認していただくしかない。百聞は一見にしかずどころではない。一見するしかない作品というのがまさに本作なのだから。

Dan the Fan Thereof


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この記事へのコメント
私が呉智英先生のお名前をたびたび出させていただくのは、呉先生が拙劣だからではなく、優れていて、取り上げるに値するからで、この点では、西尾幹二先生に対する態度と同じです。

呉先生が大きく取り上げた作家さんたちはほとんどが優れた文学者タイプで、マンガにおける画力の問題をそれほど重視されなかったと思われます。ただ、それならば、呉先生でなくても、ほかのマンガ書評家さんたちでもそれなりに取り扱えたし、系譜的な整理作業も進められただろうと思っています。

マンガにおける画力の話だと、出発点は萩尾望都先生からなのかなあ。私は、原哲夫先生の「北斗の拳」から説き起こすのが一番よいのではないかと考える者だけれど。

画力というより、場面革命というと、やっぱり、おおの藻梨以先生が少女マンガの画面に一升瓶や麻雀牌を描き込んだのが印象に強いけれど。私としては、藻梨以先生が少女マンガにおけるウィクリフかフスで、いずれ、少女マンガ界のマルチン・ルター的「宗教改革者」に出現してほしいところだけれど。少女マンガ界は今でもまだ、「近代的精神の自由」の実現には遠いと思いますね。
Posted by enneagram at 2009年10月08日 07:50
Wikipediaの引用で、最初の

> 葉村 ヒカリ(はむら ひかり)

を省略してしまってるから、引用内容の文章がさっぱり分からなくなってます。
Posted by ひ at 2009年10月08日 08:52
Palepoli電子書籍
http://www.ebookjapan.jp/ebj/book/60035166.html
Posted by su at 2009年10月08日 12:02
娯楽作品である漫画には、その「良い漫画」の定義は当てはまらないでしょう。

他の人にも描けて、一部の人にしかわからない漫画でも、面白ければ良い漫画です。
Posted by zzz at 2009年10月08日 17:43
私は、1日に1個マインドマップを描く努力をしています。小飼様はどうでしょうか?
レオナルド・ダ・ヴィンチの睡眠時間は、1時間30分だったようです。。
これはあり得ない数字だと思います。
もっと睡眠をとれば、素晴らしい芸術が描くことができたかもしれません。
Posted by mituhataakihiro at 2009年10月08日 23:20
私も「Palepoli」を最初に見たときの衝撃が忘れられずにいた一人ですが、その後の古屋作品には常に疑問符しか残らず、いつも残念な思いをしていました。しかし、「幻覚ピカソ」連載開始の一話目を読んで確信しました、天才的画力の持ち主がついに語るべき物語を手に入れたのだと。
それと同時に私が思うのは、長い紆余曲折は『才能の無駄使い』などではなく、「必要な経験」だったのではないかと。
Posted by 日ノ宮 at 2009年10月09日 23:41
お前が画力を語るなよと。
Posted by   at 2009年10月10日 04:52
古屋さんのファンです。
「漫画における心理描写を絵そのものでやっている」というコメントに本当に目から鱗でした。確かに通常の漫画は、絵以外のいろんな説明で溢れていますものね...。すごい分析だわ。
Posted by nzg at 2009年10月19日 02:07