2009年11月10日 17:30 [Edit]
世界は誰が変えるべきか - #書評_ - 世界を変えるデザイン
英治出版より献本御礼。
頭のてっぺんから爪の先まですばらしいデザインのオンパレードなのに、なぜか私はみじめな気持ちになった。しかし、なぜそういう気持ちになったのかがわからず、書評をかきあぐねていたところに、以下のtweetがとびこんできた。
ああ、やっとわかった。
なぜ私がみじめな気持ちになったのかが。
本書「世界を変えるデザイン」の原題は、"Design for the other 90%"、「他の九割の人々のためのデザイン」となる。「他の九割」とは、途上国の人々のことである。
目次- 序文
- Part 1 デザイン革命とその可能性 世界に広がるデザイン
- 貧困に終止符を
- 残りの90%のためのデザイン
- Part 2 デザイン・プロジェクトの現場から
- 畑から作られる燃料
- 収入を得るためのキックスタート
- ワン・ラップトップ・パー・チャイルド
- 安定的で再生可能な農村部エネルギー
- 水を転がすスラム地域のソーラー・キッチン
- 命を守るトウガラシ・フェンス
- リープフロッグを起こす??グローバル・イノベーションのためのデザイン戦略カトリーナ家具プロジェクト
- 取り残された人々から学ぶこと??真の公共建築のためのマニフェスト
- すべての人に聴覚を ポットインポット・クーラー
- Part 3 残りの90%のためのデザイン展
- 展示品の紹介
- 農業・食糧
- 水
- 保健・医療
- 輸送
- 住居・生活空間
- エネルギー
- 通信・教育
- 統計情報参考文献
- 関連・協力組織一覧
- 監訳者あとがき
世界の90%の人々は、私たちにとっては当たり前の商品やサービスにほとんど縁がない。その半分は、食糧や水、住居さえ満足に得られない。
この90%の人々の生活を良くするには、何が必要なのだろう。思いだけでは変わらない。お金だけでも変わらない。実際にライフスタイルを変えられる、具体的な「もの」が必要なのだ。
本書に登場するデザインは、まさにこの具体的な「もの」である。デザインのためのデザインは少しもない。OLPCもQ Drumも、まさに彼ら90%の人々のために存在し、そして私がその90%の一員だったら、間違いなく欲しがるだろう。
頭をガッーン!と叩かれたようなデザイン(アクションかな?)。発展途上国の女性や子供のからだへの負担を軽減する水運び器「Q DRUM」。 | wagonR35〜R35デザイナーに見えるものんな途上国の女性や子供のからだへの負担を軽減する役割を果たしそうなのがこのQ DRUM。構造は至ってシンプル、しかもローコストなので、すごく普及しそうに思えます。
しかし、これらのデザイン、よく見ると、残り90%の人々には作れない要素が必ずどこかにあるのだ。パソコンであるOLPCはもちろんのこと、ローテクな Q Drum でさえ、プラスティックというハイテク素材で出来ている。
だから私はみじめな気持ちになったのだ。
自らの生活を改善する道具を、自らの手でデザインできないこと、に。
別に私は、自給自足にこだわっているわけではない。「食糧自給率を上げろ」という声にうんざりしているものの一人だ。そういう声を上げるのは「「食糧危機」をあおってはいけない」を論破してからにしていただきたい。
しかし、他者から何かをいただくのは、「しかたがなく」ではなく「そうしなくてもなんとかなるけど、そうした方が(楽|楽しい)だから」でありたいのだ。
日本は実に長い時間をかけて、100%国産でH-IIロケットを開発したが、そのH-IIAではもう100%国産主義にこだわっていない。「いざとなれば自分たちで作れる」という自信ができたからこそ、他者からも安心して部品を買うことができるようになったのだ。
現代におけるデザインとは、アイデンティティでもある。現在のApple製品はほぼすべてAssembled in Chinaであるが、一つ残らず"Designed by Apple in California"と刻印してある。これが逆だったら我々はiPhoneを買うだろうか。そしてそれ以上に、AppleはiPhoneをデザインできただろうか。
Q Drum は確かに水運びを楽にする。しかし水運びそのものから人々を開放してくれるわけではない。「水運び」という「世界がその人に課したデザイン」は、相も変わらず。むしろ私には、これが「おまえにふさわしいのはこれだ」-- This is what you deserve -- という、デザインにおける無条件降伏宣言にすら感じられるのだ。
残り90%が必要としているのは、10%からデザインをもらうことではなく、10%に自らデザインしたものごとを買ってもらうことではないのだろうか。それともそう思うのは、10%の側にいるという余裕から生じる、慈悲に見せかけた傲慢にすぎないのだろうか...
Dan the One of 10%
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それができれば素晴らしいと思います。
が、両者は生活スタイルが違う上に、情報格差が厄介ですね。
10%の人は90%の人の生活スタイルやニーズなどを把握できるかもしれませんが、その逆は難しいでしょうね…。
逆にそこを埋める情報入手方法さえ提供してあげれば、常識にとらわれない自由な発想がでてくるかもしれませんね。
「だろうか」じゃなくて、傲慢なだけだろ。ボケ!
いつもの弾言はどうした?
「慈悲に見せかけた傲慢だ」と言い切れよ。
疑問形で終らせている表現のほうが逃げ道を用意していて、断言する表現よりもあざとくていやだ。
これだけ単純なものであれば、木や皮を使って似たものを作ることもできるでしょう。
そして自分たちにもできるということがわかれば、次の段階にも進めるのではないでしょうか。
残り90%は、デザインされたものも必要としています。数十年先にはデザインして売ることもできるかもしれませんが、いきなりは無理です。
Apple製品の例えは、確かにアメリカ組立品よりも中国組立品の方が信頼性があるかもしれませんね。
それより価格が倍ぐらいになるのかな。
友愛政治と題しまして、友愛デザイン。
愛を与えたということさえも忘れ、さらにまた与える愛のことです。
愛に生きることこそが真の幸福があり、真の平和がある。
この世で最も力強いものが愛であり、一番恐ろしいのは精神統一です。
自然を愛し、人を愛することのできる心を備えておくべきです。
自然も、人も愛せない人は、神を愛することはできません。
私の志 必ず民族を救い、神様の平和をこの地に成し遂げます。
夫婦は平和の中心にならなければなりません。家庭は、神が創造した最高の組織です。
また、人類がたがいに愛し、平和に暮らすことを学ぶ愛の学校であります。
最強の愛の本質とは、人に何かをしてもらおうとする思いを捨てて、人のために、全体のために先に与え
て、ために生きることです。
結婚は、自分のためではなく相手のためにするものです。
家庭が平和であってこそ、社会が平和になり、国家間の葛藤が消え、それがあってこそ世界平和への道が
開かれます。
人を善にするもの、争いを好む人間の悪の本性をなくしてくれるもの、それが宗教です。
宗教の目的は、神様の理想世界を成し遂げることです。より多くの人を宗教の世界に伝道しようと努力す
る理由は、より多くの人を神様の民にするためです。すべての人が神様の民になれば、世の中はもはや戦
争と混乱のない平和世界になります。究極的に宗教が行く道は平和です。
神様は愛と平和の世界を願ってこの世をつくられました。
宗教にとっての最終的な目標は、愛と平和に満ちた世の中を現実世界に成就することです。
私は、世界のために、世界は神のために生きなければなりません。
昼12時のように影のない人生を生きる。 汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流して
いきます。神の下の人類一家族と意識します
殺虫剤を塗った蚊帳が広まっているっていう話を
どっかで読みました。
日本の中小企業の社長さんがやってる事業だとかで
蚊帳の製造も現地の工場でやってるので
現地の雇用にもつながって一石何鳥にもなっているとか
そういう目的でQDRUMを大量生産して、
配れば良いと思います。
もらった人の中には、それをコピーしようとする動機が
生まれるでしょうし、樹脂というものが世の中に
あることを実感します。
そういう外部の刺激によって文明が発達していくでしょう。
羨望というエネルギーをもってして。
ただ、行き着く先が幸せかどうかまでは分かりませんけど。
書物やメモパッドの価格をさらに低価格化する。テレビ、ラジオ、パソコン、ケータイをどんどん低価格化する。子供を学校に通わせて識字率を高める。学校で、児童たちに徹底的に四則演算をたたきこむ。
先進国でも発展途上国でも、ましな生活を可能にする方法の基本は、まず、医療と教育から。
善意のデザインは悪くないけれど、対象に即したものの考え方とは思えません。
自分たちの生活を向上するものを他人からもらう…言うならば、ローコストであっても「途上国⇒先進国」というお金の流れは変わっていないわけです。根本的な解決というよりも、搾取の程度が下がったと言うレベルで捉えられるとも言えます。
結局はおっしゃるとおり、自分たちの生活を良くする術を自分たちで開発できるレベルまで持っていくことが重要なのでしょう。
この点、結構日本のNPOや社会起業家はそのあたりを意識して動いているので個人的には安心しています。
弾さん弾さん。
アフリカの少年、7年かけ独学で風力発電に成功→バカにしてた村人らが携帯の充電に訪れる
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1321696.html
↓
水運びそのものから人々を解放
自分もよく間違えます。
そのデザインを、自らの力で変えていくためには、長い時間をかけた改良の積み重ねか、天才の出現か、どちらかが必要だと思います。短い時間でそれを行うには、外にある技術なり物なりを(最初は)持ち込んで、自分たちの生活をデザインし直していくことになるのだと思います。(歴史を見ても)
QDRUMは、その取っ掛かりに過ぎないと思います。まずこれによって、「水運び」が楽になることによって、その先の「水運び」をしなくてよいデザインを目指せるのでは?
個人的には、「その先のデザイン」が、自分たちの生活にとって本当に良いことなのかどうか(単に「生活が豊かになる」という物指しだけではなく)、考えることができるように、さまざまな情報を渡してあげることが、10%側のやるべきことではないかと思います。

