2009年12月10日 18:30 [Edit]
ペア書評 - やればできる/無頼化する女たち
「やればできる」は編者より、「無頼化する女たち」は著者と編者の双方より献本御礼。
この二冊、両方読まねばならない。
なぜならば、「やればできる」が「失敗」作だからだ。
そしてその「失敗」を見事にとりつくろってくれるのが、「無頼化する女たち」だからだ。
誤解しないで欲しい。「やればできる」は、自己啓発本としては充分以上な品質であり、その点では以前の著書より著者はさらに成長してている。だから買っても損はしない。「元が取れる」という点において、著者の評価は本書で上がりこそすれ、下がることはない。
「やればできる」目次- プロローグ
- 「やればできる」、本当の自己啓発は助けあいにあった!
- 第1章 「しなやか力」
- まわりに貢献できるような自分の“長所の種”を見つける
- 第2章 「したたか力」
- 自分の長所を伸ばすことにひたすら集中する
- 第3章 「へんか力」
- 絶え間なく変わり続ける
- 第4章 「とんがり力」
- 自分が力の中心になる世界に行く
- エピローグ
- 『やればできる』を書いた理由
それでは、なぜ「やればできる」は「失敗」作なのか。
オビより香山リカさんの『しがみつかない生き方』を読み、正直迷ってしまているあなたに読んでほしい、という気持ちでこの本を書きました。
という「あなた」が知りたいことを、見事に外しているからだ。
もう、「やればできる」というタイトルからして外している。
違うだよ勝間さん。「あなた」が知りたいのは「やればできる」かどうかじゃないんだよ。
「やらなきゃいけない」のかどうか、なんだよ。
それに見事に答えてくれるのが、「無頼化する女たち」である。
「無頼化する女たち」目次- はじめに ニッポン女子はなぜやさぐれてきたのか
- 第1章 ニッポン女子のハッピーリスクと「第一次無頼化」の到来
- 第2章 社会のゆがみとニッポン女子の「第二次無頼化」
- 第3章 女のパロディとしての「第三次無頼化」
- 第4章 サバイバル・エリートと婚活現象
- 第5章 『おひとりさまの老後』革命
- 第6章 ニッポン女子無頼化現象が示す真実
私は前作をこう評している
404 Blog Not Found:希望は、ユーモア - 書評 - 黒山もこもこ、抜けたら荒野以来、どうしても量産型キャラに妙なシンパシーを覚えてしまう。「スター・ウォーズ」を見ると自分はドロイド兵のような気がしたし、「機動戦士ガンダム」を見ると、自分はアムロでもシャアでもなく、連邦軍にいたならばジムかボール、ジオン軍ならザク(もちろん専用機を任されたキャラではない)のパイロットのような気がした。この著者の「普通」さが実に絶妙で、本書は弱すぎても強すぎても書けない。
それでいて、著者の筆致は、普通の反対側にある。本書は明らかに日頃よく読み、そしてよく書く人の手によるものであることは隠しようがない。著者がボールのパイロットなら、ゲルググでも仕留められるだろう。
しかし、著者の願いはゲルググを仕留めることなんかじゃない。
戦争しなきゃならないの?なのである。
その答えは、著者自身が「無頼化する女たち」で明らかにしている。いや、タイトルを見れば答えはもうおわかりだろう。
答えは、Yes、なのである。
なぜ、「戦争」は避けられないのか?
なぜ、「平和」はないのか。
なぜ、「普通」でいられないのか。
普通の人が、普通の人に対して冷たいから、なのである。
私も、自著でこう書いた。添え状によると著者も読んで下さったようだ。この場を借りてお礼申し上げる。
「働かざるもの、飢えるべからず。」みんなが、お金持ちをより裕福にしている
だれも予想していなかったのは、ここまで一般の人の目が肥えるということです。みんなが「良い」「悪い」ということを気にし出すと、富はより一極集中しやすくなります。それがものすごい勢いで進んでいます。
つまり、特定のお金持ちがよりお金持ちになるのは、みんなが「安くて良いもの」を欲しがった結果です。ですから、お金持ちをもっとお金持ちにしているのは、「みんな」であるということなんです。お金持ちがよりお金持ちになっているのは、貧乏な人を含めた「みんな」の総意です。特定の人への富の集中は、お金持ちの仕業ではありません。
そう。普通の人が普通に満足できなくなった結果、普通であることに「しがみつけなく」なったのである。この「普通のパラドックス」の悲哀を、著者はこう詩にしたためている。
ライフ・ヒストリー - 「音速平和」収録私は生まれた
大量生産された希望と
大量生産された生活誌と
大量破棄された死体の上に
私はうまれた
とりたてて これといって
特徴のない、生
私 は
特徴とは、「しがみつく」手がかりである。普通であるということは、この手がかりがないことなのである。しがみついてもらえず、それゆえにしがみつくことが許されない。
だから、無頼なのである。
無頼は、いやか?
ならば、やってできるようにするしかない。
ここまで来て、やっと「やればできる」のである。
「やる」ということは、「とんがり力」、すなわち「普通からはかけ離れたものを得る力」を持つ必要がある。それをどうやるのかは本書を参照していただきたい。
実は、「やればできる」の主語は、「あなた」ではない。
「われわれ」、である。
著者が目指しているのは、「無頼」ではなく「共頼」である。本人も告白しているように、ネットがない状態における著者は実に非力だ。もし何もかも自分でやらねばならぬのだとしたら、「やればできる」はウソである。
しかし、「やれない」ことをやってもらえるのであれば、「やれる」とをやれば「できる」のである。
ところが、自分が「やれない」ことをやってもらうためには、他者が「やれない」何かを「やってできる」だけでに留まらず、「やればできる」ことを広報しなければならない。
「やればできる」人ほど、やらないことを人にやってもらえるようになる。
だから「やればできる」人になりましょう、というわけである。
ゆえに私は、水無田に同情しつつ、勝間に同意せざるを得ず、そして両者の落としどころとして「働かざるもの、飢えるべからず。」を著した。
やれば、できる。
必要以上に、できる。
それならば、皆がやらなければならないのだろうか。
それでも、わたしはやるだろう。
人生の楽しみとは、わからぬことがわかり、できぬことができるようになることなのだから。
しかし、その過程は、痛い。
だから、私はあえてラクツマラナイを選ぶ人にまで「やればできる」とは言わない。
しかしそれを選んだ以上は、「つまらない」という泣き言は言うな、とは言う。
つまらないんだったら、やればいいのだから。
やりたくないなら、無頼化せよ。
ラクオモシロイなんて、ないんだから。
Dan the Extraordinary
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流石です。
「やればできる」の主語は、「あなた」ではない。
「われわれ」、である。
には同感。いたしました。
私も素人ながら、弾さんのようなコメントを書くまでにはいたりませんが
日々こつこつやっていきたいと思っています。
弾さんの文章は論理的なのはそうなんだけど、それ以上に
「生きた理」を感じるんだよなぁ
好きにやればいいが、言動不一致である。カツマー(という言葉もウザイが)はどう考えているのだろうか。
自己啓発の手段として政治へのかかわりを考えているのなら、たまった物ではない。
固定相場を提唱するなど、最近の彼女の言動は明らかにおかしい。現実を認めずに自身の理想の形へと世の中をゆがめるのが彼女の社会の変革なのか。
これは自己変革と社会の変革を混同しているがゆえの常軌を逸した発想ではないのか。
彼女は本当に経済学を学んでいるのだろうか。
本書に関して、努力は実ることを前提にしているし、結果が出なくとも努力自体が認められることも結構な事だ。
しかし、彼女の視点で決定的に欠けているのは「努力しても実らない人」も居ると言う事や、そもそも努力できるだけの下地がない人も居ると言う事。
過去の成功体験の無さや環境など、十人十色であり、自分が出来たのだから人にも出来るなどというのは理論の飛躍でしかない。
やれば出来るはすばらしい発想ではあるが、それはやっても出来ない人の存在を認めたうえでの事である。
それが無ければ、結果の出ない人は努力をしていない人、怠けている人、サボっている人、というとんでも無い独善・誤解がまかり通る。
彼女が社会の変革を望むのなら、努力をする人が足を引っ張られずにノビノビ活躍できると同時に、ふつうに生活する一般人が努力していないなどと罵倒されない社会を目指して欲しい。
まぁ人気者を持ち上げて、そのおこぼれに預かるという戦略は有りかも知れないが。
自分に合うものと合わないものを慎重に切り分けろという話ですね?
なぜならば「十人十色」だから。(笑
社会が社会としての機能を果たしていない。
だから、一人ひとりが何かについての専門家となり、
相互に補完し合える「社会」を目指そうということですね?
あ、ブログ引っ越しました、水無田です。
「普通の人が、普通の人に対して冷たいから」のご意見、卓見ですね。
ご高評は、第4章のところでしょうか。
そこでは、今の日本の問題は「しがみつかざるを得ないが、<勝間和代>にはなれない人が多くいること」と書きました。
徹底的なサバイバルゲームへの参加と現状の全面肯定か、あるいはそこからリタイアすることか。
その2択しかない状況自体の問題点を指摘し、同時に勝間和代VS香山リカの論争はなぜ起こったのか、を検討してみました。
もっと言えば、旧来のセーフティネットや相互扶助機能を果たしてきたものが、軒並み代替なき縮小をみていることで、不安が広がり、いつの間にか「幸福」が「成功」に置き換えられていること、このため「普通の幸福」が値上がりしていること。
そしてそれらが、幸福に貪欲な女性たちの間で、どのように作用しているのか、を書いてみた次第です。
勝間さんに関しては、いっぺん女性カルチャーの趨勢から解読してみたかったんですが〜。
でも、『無頼化〜』発刊したのと同時期に『やればできる』が出たのを見て、ちょっと吹きました(笑)。
それもまた、結果的に金持ちをより裕福にしていく
ロジックですよ。
「やっても絶対無駄 俺様に絶対勝てる訳ネ〜」 思ってるもんね 得意分野で勝負すればの話だな
「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。」マタイ伝25章14〜30節
解説: http://stonepillow.dee.cc/kurosaki_frame.cgi?40+25+9-5-1
これは、「持っている者」たちが作っているロジックではなく、もう自然法則(principal)のようなものなんですよ。
これが解からない、認められないというのは、まさにこの譬えの三人目の僕(しもべ)のようなものです。すでに2000年も前にこれを明確に語っておられるイエス様には脱帽!ですね。
不特定多数の人、弾さんのいう「われわれ」に「やらなきゃいけない」なんて本を書いても全く誰にも相手にされない事は自明の理なんじゃないでしょうか。
弾さんの「外している」の批判は的を外しているのでは。
そこは間違えちゃ行けないとこだろ。底が見えたよ。
principal ⇒ principle
第三者同士が「ああだこうだ」言っているのは
いかにも徒労に思える。
Dan
ご指摘ありがとうございます。思いっきり間違えてました。
Stephen Coveyが言うところのPrincipleです。
ムギ畑のころからウェブ上で拝見していましたが、私は勝間さんの持続的な努力は偉いと思っています。ただ、やはりその男性観・結婚観はどうなのかと疑問に思うことはありますが...

