2009年12月25日 21:00 [Edit]
ずるいとunfairの違い - 書評 - ずるい!? なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか
ディスカヴァーより献本御礼。
今年もあと余すところ一週間。仕事納めは28日のところが多いようだが、一日だけ出社するならいっそと事実上今日が今年の最終勤務日という人も少なくないのではないだろうか。ちなみに我が娘たちは本日が終業式。
そして来年始業式を迎える前に、必ず読んでおいて欲しいのが本書だ。来年、いや次の10年こそは「新たなルール」から逃れようのない(1|10)年になるのだから。
本書「ずるい!?なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか」は、ルールとは何のためにあるのかを説いた一冊。
目次 - Discover: ショッピングカートより- 目次
- 第1章 なぜ私たちはルール変更を「ずるい」と思うのか?
- (1)欧米列強はずるい!
- (2)私たちはなぜ「ずるい!」と感じるのか?
- (3)日本人が?ルールの利用?を好まない3つの理由
- 第2章 実際に「ずるい」を味わってみる
- (1)スポーツでの「ずるい」を味わってみる
- (2)ビジネスでの「ずるい」を味わってみる
- (3)ルールを理解するための3つの視点
- 第3章 ルールを変えれば本当に勝てるのか?
- (1)ルール変更の?その後?を検証する=スポーツ編=
- (2)ルール変更の?その後?を検証する=国際ビジネス編=
- (3)ルール変更の結果についての3つの結論
- 第4章 ルールがあってこそ成長する
- (1)ルールこそ成長の糧である
- (2)ルールは成長の糧になる
- 第5章 ルール作りのプリンシプル
- (1)ルール作りはお上だけの仕事ではない
- (2)ルール作り参画のプリンシプル
- (3)ルール作り参画の2つのキーワード
- (4)製品を作るようにルールを作る
- あとがき
それでは、ルールとは、何のために存在するのか。
ゲームを続けるために、存在するのである。
それが私が立命館大学で行った講義
の結論でもあり、本書の結論でもある。
なぜ、欧米人は平気でルールを変えるのでしょうか?
これからも日本人は理不尽をガマンしなければならないのでしょうか?
違うのである。そのままでは勝負の前から勝敗の決まっている出来ゲームのルールを変えることこそフェアであり、理不尽を「ルール」だからとガマンすることこそ理不尽なのだ。
本書では、具体的事例をつぶさにみていくことによって、あのときのこのルール変更は何のためで、その結果どうなったかを検証していく。それを見れば、ルールを作る、そして変えるというゲームにおいて、欧米人たちが必ずしもその理念にのっとってやっているわけでは決してないことがわかる。そして面白いことに、本当に「ずるい」ルール変更は、短期的にその変更者を利しても長期的にはそうでないことが確かにわかる。そのもっとも鮮やかな例は、「日米自動車戦争」だろう。たびたびのビッグ3に有利なルール変更も、彼らを救うことは決して出来なかった。それどころかそのルールにあぐらをかいた彼らは、まさにそのことによって自らの寿命を縮めたのだ。
その一方、適切なルール変更は、観客と選手の数を確実に増やす。その最も顕著な例がサッカーだろう。世界で最も多くの人が楽しむこのゲームを考案した、いや正確には世界各地でそれぞれ独自勝手なゲームとして遊ばれていたこれを「サッカー」というゲームにまとめなおしたイングランドは、今や数ある「列強」の一つにすぎない。そうなったからこそサッカーは英国人のゲームではなく人類のゲームとなった。もしイングランドが自分に有利なルールばかり提案していたらどうなっていただろうか?
ゲームがつまらかったら、ルールを変えるか、ゲームそのものをやめるかどちらかだ。
無理に続ける必要など、ないのである。
日本に限らず、世界中のムリ・ムダ・ムラは、「続ける」ことをそのものをゲームにしてはいないか?
金融日記:政治さえまともになれば日本は圧倒的にアジアで独り勝ちできるこれからの世界の成長センターはアジアなので、そこの先頭ということは、また世界でもっとも豊かな国になれるということです。
だからだめなんだよ。独り勝ちなんて言っているから。
独り勝ちになるゲームほどつまらないゲームはないじゃないか。
かつて今の米国以上に「独り勝ち」していた英国は、今や一人当たりGDPでその元植民地に軒並み抜かれつつある。それでいいのだし、それを認めたからこそ英国の今がある。大英帝国時代より、英国は今の方がずっと魅力的なプレイヤーではないか。
今後10年で最重要なのは、一等賞になることではない。
一番面白いゲームのルールを描くことなのだ。
働かざるもの、飢えるべからずというのは、つまるところそういうことなのだ。
Fair enough?
Dan the Player of the Game
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単なるゲームならば止めればすむでしょうけど、経済競争は止めるわけにはいかないでしょう。例え、つまらなくても。
ルールを変えるか、ルールにしたがい無理しながらやっていくしかありません。スマートじゃなくても。
独り勝ちがつまらないというのは、独り勝ちしているものが言えば贅沢な悩みですし、負けているものが言っても負け犬の遠吠えです。
zzz
昔の講道館四天王の一人で姿三四郎のモデルとなった西郷四郎は、小兵ながら、必殺の山嵐で、驚異的な強さを誇っていた。
国際化によって、失ってしまったものも多いのではないかと思う。
これは久々にすごい考えに出会ったものだ(良い意味で)
ほんと、この発想はなかった
とは言うものの、では今の日本ではどういう風にルール変更すれば良いんだろ?
賃金格差、資産格差が広がって、かつ固定化しそうな勢いではあるが、かといって安易に持てる者から取り上げると競争心・向上心が失われる怖さもあるし
「重要なのは一番面白いゲームのルールを描くこと」、これは執筆中に欲しかったフレーズ。挑み甲斐ある面白いルールの存在は、人類を豊かにする製品を生み続けるはずです。
すでに「欧米列強」は ’Non Market Strategy ’(「外郭市場戦略」といったニュアンス)と称する研究分野を設定、ルールメーカーも含めたビジネス戦略の策定を体系化し始めている様子。次の10年間を考えると、日本は「ルールついてもっと考えねば!」と深慮する次第。
しかし・・・、正月酒のサカナが「ルール作り」ではマズいか。
ルール変えるには、戦争に勝つ必要があるかなー。
ルールを作るのは才能とかが必要で、世界でできる人達は限られてるね
世界で最も競技人口が多いのはバスケでは?
スポーツ愛好者として圧倒的に多いのは、ジョギングでは?
それが機能していないのはなぜか?それは国民が、完璧なルールこそ「よいルール」と考えているからだろう。ルールを変えることに対して抜きがたい抵抗感がる。
これはアジア共通の問題かもしれない。結局、我々の法律(=ルール)に対する認識は唐の「律令」に対するそれから、あまり変わっていないように思う。「天子様」が作るものという認識。
今までずっとこれこれこうだった、したがって、そうあり続けるのが自然である。その中でどう生きるかが問題であって、今まで続いてきた自然のシステムを書き換えて乗り越えてしまうのは、不自然であり、ずるである。そんなことをしたら世界が駄目になる、的な。
その『自然』は人工物である『ルール』になっても同じ。
そういや中島らもが、学校の校則が理不尽なものばかりなのは、たとえ理不尽であってもルールを変えようとせずに、ルールがルールであるからそれに従い続ける人間を選ぶため、みたいなことを書いてて、凄く納得した覚えがある。
小学校〜高校までの教育システムって、もともと兵士を育てるシステムをそのまま流用して、今になるまで使ってるから、こうなるんだよなぁ。
戦略を考える将校や、政治を考える王様じゃない。兵士。
だからルール変更という、メタレベルのことが出来ないようにみんな育てられる。
これに、日本の自然論というか運命論というかがぴったり嵌ってしまったせいで、ずぶずぶとそこから抜けられなくなってしまった。
みんな居心地良かったんだろうね。
