2010年02月04日 23:30 [Edit]
真の「普通」 - 書評 - 未来思考 10年先を読む「統計力」
出版社より献本御礼。
今回も素晴らしい出来。本書が普通に読まれるのであれば、この国の未来は、よい意味で著者を裏切ることとなるだろう。すなわち明るい。
裏を返すと、本書のあり方が普通にならない場合、この国は著者が読んだ通りとなるだろう。
そう、普通。
「ふつう」とは似てて異なる「普通」とは一体なんなのだろうか。本書を片手に考えてみたい。
前著「不透明な時代を見抜く「統計思考力」」が「統計で何が見えるか」を説いたのに対し、本書「未来思考 10年先を読む「統計力」」は「それで日本を見てみるとどう見えるのか」を著した一冊。
目次 - Masahiro Kaminaga's Weblog: 未来思考より
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「少子化と結婚」、「都市と高齢化」、そして「仕事と経済」。今の日本人が最も興味を持ちつつ、しかし最も目を背けたくなるこの三つ課題を、著者は普通に解いていく。これが編集者なら「統計力を駆使して」などと言うところであろうが、統計力は魔法でもなんでもない。いや、ぶっちゃけてしまえばそんな「力」は存在しない。力を持つのはあくまで我々であって統計ではないのだから。
普通とは何か。
よく字を見て欲しい。
普遍的に、通じるという意味ではないのか。
http://twitter.com/dankogai/status/6727019340.@medtoolz 結局「普通」がなんで困るかといえば、「普遍的に通用する」という本来の意味ではなく、「平凡」の意味に取られてしまうからなのではないか。非凡な人ほど実は普通なのにね。普通でないと非凡さがわからないじゃないか
著者の筆致は、まさにこの意味において普通なのだ。
佐々木俊尚は、まさにこの「普通」が「ふつう」になることを願って本書のオビにこう寄せている。
根拠を提示できない情緒的議論の時代は、もう終わった。
もちろん、まだ終わっちゃいないことはテレビを30秒も見ればわかる。本書がそんな情緒的議論の時代の終わりのはじまりのきっかけとなってくれればよいのだが。
勘違いしないでほしい。著者は極めて情緒的な人である。本書が絶妙なのは、普通、すなわち根拠を提示して議論しても情緒を捨てる必要は全くないことを示しているところにある。根拠を提示した文書は実は少なくない。論文というのはまさにそういう文書で、リジェクトの最大の理由は根拠の不足にある。そして情緒的議論はさらに多いことは、誰よりも読者たるあなたがご存知であろう。
しかし根拠を提示しつつ、情緒がある文書というのはまれである。
そしてそういう文書こそが、人を動かすのだ。
Technology と Liberal Arts の交差点。本書もまさにそこにいる。
P. 271本書を書きながら思ったことは「みんなが問題と言っていることは、本当に問題なのだろうか?」ということです。
ライト兄弟は、鶏のように羽ばたく機会を作ったから、空を飛べたわけではありません。そして、自動車のように車輪で走る生き物は、おそらく自然界にはいないでしょう。
鶏と同じように飛ぶことではなく、「飛ぶこと」を目的にしたから飛べるようになり、馬のように走ることではなく、「速く移動する」を目的にしたから、速く走る乗り物が作れるようになったのです。
エンジニアたちは、本来の目的を追求することによって、問題を解決しています。何でも直線的に解決すればいい、ということはないのです。
本書が提示する分析と、それに対する解決作は、手前味噌になってしまうが本blogの主張にあまりによく一致する。特に第二部は日本はヤバくても、東京はヤバくないかもを「ノヴェライズ」してもらった気分にすらなった。しかしそうなるのは私が聡明だからでも、著者が博識だからでもない。双方とも普通だからなのである。少なくとも著者はそうである。
問題を考えるときの最大の罠は、問題にすべきでないことを問題にしてしまうこと、そして、問題にすべきことを問題にしないことにあるのです。
普通に、まさに普通にこういう言葉で、いつか自著を結んでみたいものだ。
Dan the (Extra)?ordinary
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本書の先に見えてくるベーシックインカム論について、まだしつこく考えています。ちょっとだけエントリを書きました(「自由が先か、仕組みが先か。」)。

