2010年08月30日 12:15 [Edit]

これからの「入試」の話

そこで出た入試の話。「ある有名校に、出来がイマイチの子供の親が、「2000万ドル寄付するのでウチの子も入れてくれ」と言って来た。入れるのは正義か否か」という話題に、私はこう答えた。

「入れるべき。2000万ドルあれば、その子を入れるだけではなく、教員や校舎や奨学金を拡充して、実力はあってもお金がない子の枠も増やせる。どちらも受け入れられるではないか」

おかげでサンデル教授に「ダン学校」がさんざん再利用される羽目になったのは想定の範囲として、

【備忘】本日の #sandel 教室感想:1)愉しかったー2)傾斜のない大教室はつらいっす^^;3)教授、 @Hayakawashobo さんを考慮してSFチックな話題準備してきた?4)DVD化楽しみ5) @dankogai さんの論に反論思いつこうとしたが時間切れアウト…less than a minute ago via HootSuite

「ダン学校」の運営方針のどこに問題があるのか、自ら答えてみようと思う。

その前に、「ダン学校」の運営方針が別に私の独創でもなんでもなく、およそ私塾であればどこでもやっていたことは指摘しておく必要があるだろう。虎眼先生も例外ではない。

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シグルイ(現在14巻まで)
山口貴由 / 南條範夫原作
「シグルイ」4巻
剣法の奥義の許しには金許し、義理許し、術許しの三つがある

金許しや義理許しがなければ、虎眼先生が藤木源之助を養子にすることも出来なかったのはいうまでもない。そして現在の Ivy League も、入門にあたっては虎眼流と変わらぬこともご存知のとおり。そう。サンデル教授の Harvard も含めて。

着想も悪くない。実績もある。だとしたら一体どこに問題があるのか。

「誰でも入れるようになる」、そのこと自体が「問題」なのではないか。

金持ちの寄付で学校を拡充して入学枠を増やして行けば、いずれは学校は「誰もが入れる」ものになるだろう。s/寄付/税金/gとすれば、それは公立学校ということにもなる。こうすると誰が困るのか?

学校にブランドを期待する人々である。

学校が「誰もが入れる」になってしまったら、「○×学校卒」はもはや差別化要因ではなくなってしまうではないか。だとしたら誰が苦労して受験対策などするだろう。

そのとおり。

それでよいではないか。

そもそも学校とは「できない子をできるように」するための「高速道路」であって、「できる子」に「卒業生」というブランドを配布する場所ではないはずである。元々できる子だけを集める学校は、学校というものの機能を考えれば「良い学校」とはとても呼べない。学校はできない子をできるようにしてなんぼなのではないか?

もちろん高速道路を利用するためには運転免許が必要なように、高校や大学も「ここで学ぶのにあらかじめここまでは学んでおかなくてはならない」を設定し検査する必要はあるだろう。「うちの子はまだ九九が出来ないけど大学に入るのは当然の権利だ」という主張は私にも受け入れられない。しかしそれをクリアーした人であれば本来誰でも受け入れるのが学校のあるべき姿だと私は思うし、そうなっていれば「受験勉強」などという本末転倒もなくなると思うのだがいかがだろうか?

Webはすでにそうなっている。ぐぐるのに入試はいらない。iTunes Uの受講はすでに三億件を突破したそうだ。学ぶ気になればいつでもどこでも学べる時代がもう来ている。そう。学校に行かなくても。

そういう時代にあって学校を運営するとはどういうことなのか。

それこそが、サンデル教授の本当の問いなのではないだろうか。

Dan the Dropout


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学校にブランドを期待する人が困る 小飼弾さんのブログのお話。 先日の早川書房のサンデル講義で話題になった「ダン学校」についてダン校長自らがその弊害について話されている。 金持ちの寄付で学校を拡充して入学枠を増やして行けば、いずれは学校は「誰もが入れる」もの
[講演会]ダン校長と企業戦士【もしかして: 日本ってデカ過ぎ?】at 2010年08月30日 17:13
この記事へのコメント
この記事を読む限り、弾さんは
「現在の学校には階層がある←ブランドを発行するため」
とお考えのようですが、果たして階層化の利点は本当にそれだけでしょうか?
入試による階層設定の意義は、h7bb6xg3さんの仰る政治的要因もさることながら、学生の能力に応じた環境作りということが第一だと考えます。
高速道路でも車線が分かれていますよね。

また、iTunesUの件は問題の本質に関係ないと思います。テキストや講義の生産だけではなく、教師や同級生とのコミュニケーションも非常に重要な学校の社会的機能です。なので「誰でも聴講できる」と「誰でも学校に入れる」は本質的に異なります。今回問題となっているのは後者だと思われます。
Posted by kureta2435 at 2010年08月31日 17:07
はかすってはいるけど、微妙に違う。異端読みですね。

何のために大学はあるのか、がサンデル教授の問いなんですよね。

恐らく小飼さんは読んでも本の内容を忘れていますね。

荘司雅彦さんの法律初心者向けの本もレビューされているのにとこの本の関連性なども、一切ないですからね。ロールズとか社会契約の関連性とかあるはずなんですけどね。

沢山の本を読み租借したとすれば、本来小飼さんは、思考を深めているはずなんですが、とにかく俺は言いたいことを言いたい、異端こそ素晴らしい、という方向性で書いているから、あんまり小飼さんの見解をうのみにするのは、控えめにした方がよさそうですね。
Posted by hahirogayuku at 2010年08月31日 00:35
ああ、そうですね。サンデル教授の言いたいことは本来別ですよね。講義とか本を読む限りでは。

サンデル教授の本来言いたいことは「、そもそも大学は何のためにあるのか、その目的、その本質を議論した上でないと、大学入試にまつわる問題について何が正義を決めることは出来ない」というものですから、サンデル教授の問いは、恐らく小飼さんの解釈

そもそも学校とは「できない子をできるように」するための「高速道路」であって、「できる子」に「卒業生」というブランドを配布する場所ではないはずである。元々できる子だけを集める学校は、学校というものの機能を考えれば「良い学校」とはとても呼べない。学校はできない子をできるようにしてなんぼなのではないか?

もちろん高速道路を利用するためには運転免許が必要なように、高校や大学も「ここで学ぶのにあらかじめここまでは学んでおかなくてはならない」を設定し検査する必要はあるだろう。「うちの子はまだ九九が出来ないけど大学に入るのは当然の権利だ」という主張は私にも受け入れられない。しかしそれをクリアーした人であれば本来誰でも受け入れるのが学校のあるべき姿だと私は思うし、そうなっていれば「受験勉強」などという本末転倒もなくなると思うのだがいかがだろうか?

Webはすでにそうなっている。ぐぐるのに入試はいらない。iTunes Uの受講はすでに三億件を突破したそうだ。学ぶ気になればいつでもどこでも学べる時代がもう来ている。そう。学校に行かなくても。

そういう時代にあって学校を運営するとはどういうことなのか。

それこそが、サンデル教授の本当の問いなのではないだろうか。
Posted by hahirogayuku at 2010年08月31日 00:33
本当にサンデル本読んでる?

金で入学させてよいかどうかの話は、功利主義の限界を示すために出した例であって、大学の存在意義に対しては、
p.236「一つは学術面で高い成果を挙げること、もう一つは公民的善を追求することだ。」
として、名誉と正義の面を考えなければ大学自体が世間一般に受け入れられない、ということを述べている。

> そういう時代にあって学校を運営するとはどういうことなのか。
> それこそが、サンデル教授の本当の問いなのではないだろうか。

問いと言うか、それ本に書いてあることだから…。
Posted by yakumo_mishima at 2010年08月30日 22:25
YOU TUBE
サンデル教授に単独インタビュー 1/2
http://www.youtube.com/watch?v=cLvwgyrFuHo

東大安田講堂の講義では違う意見が出たようですね。

小飼さんの意見も目立ちましたが、一応東大学生(と思われる)の意見の方が、この問題の基本を押さえていると思いました。

その上で、更なる派生意見として、例えば、小飼さんのような意見もあるとするのが、ブログ読者の出来れば望ましい姿勢かと思います。
Posted by hahirogayuku at 2010年08月30日 18:10
では仮に、成績が十分でない生徒の親が「2000万ドル寄付するのでウチの子の卒業を認定してくれ」と言ってきた時にどうするのか、と云うのがココでの哲学的問題になるのだと思います。
Posted by forcasa3 at 2010年08月30日 15:37
>h7bb6xg3

寄付は卒業を認めるわけではありません。入学を認めるだけです。もし寄付した子どもが入学できたとしても、卒業できるとは限りません。ならば、ブランドは保たれるのでは?
Posted by bouryoku at 2010年08月30日 14:38
まさかの虎眼先生登場!もちろん曖昧になる前の。
Posted by mo_rrow at 2010年08月30日 14:23
正義は小飼さんの側にありますが、学校というのは、イギリスでも、日本でも、建前平等社会で、社会統治の実効的な位階をつくり、その位階の正当性と正統性を民衆に説得し、さらに位階を固着させるための手段として近代国家によって用意されたものであります。それゆえ、学校からブランドが失われたら、有力な親は子供を学校に通わせず、自分で優れた教師を雇って教育することでしょう。これからは、そういう教育の自由化の方向も進めるべきだと思います。
Posted by h7bb6xg3 at 2010年08月30日 13:14