2010年11月16日 06:30 [Edit]
3x5=5x3
【ゆっくり理解】なぜ3×5で正答で、5×3が小2のテストでは誤答なのか | Kidsnote「皿が5皿ある。1つのお皿に3つずつりんごが載っている。全部でいくつか。」という問いに対して、5×3と式を立てるのは誤りか
正しい。誤りとするのが、誤り。
まず、「乗法の可換性に関してはまだ教えていないから、(かけられる数)×(かける数)でないと×(ばつ)」というものだが、twitterでも言った通り、可換性はまったく関係ない。
3x5=5x3問題、乗算の可換性は実は無関係であることは、分数を見ればわかる。2/3は「さんぶんのに」と日本語、英語ではtwo thirds (or two over three)。非可換な除算すらこう。すなわちどちらを先に書くかというのは人間の都合であって数学の都合ではない。
ましてや日本語は「教師が生徒に教える」とも「生徒に教師が教える」とも言える言語である。「教える」という言葉は非可換だが、にも関わらずこうして文法的に全く破綻なく語順を入れ替えられるのである。
次に、実例。
高校の物理では、PV = nRTという公式を習うはずだ。これは見事に「(かけられる数)×(かける数)」という「原則」を破っている。「単位x個数」というのであれば、なぜnが最初にくるのだろう?。これ、実は「定数を先に書く」という数学の「定石」からも外れているが、外れているのは E = mc2 も同様だ。なぜnRTになったのか、私には知る由もないが、とにかく私はRTnではなくRnTでもなくnRTと四半世紀後の今も覚えている。あまり使う機会がないのが残念だが。
しかし私が言っておきたいのは、そんな自転車置き場の議論じゃない。
「3x5≠5x3」のダメなところ、それは何より、それが教える側の都合の一方的な押しつけになっていることだ。あたかも「教える」の非可換性は絶対であるかの主張である。
こういう教え方を繰り返すとどうなるか?
ほとんどの子は、自ら正解を探すのではなく、教師に答えを求めるようになる。それは教師に答え合わせしてもらわないと安心できないところまで続く。
ごく稀にそれには満足できず「ぐれる」子が出るが、学年に一人いるかいないかといったところだろう。私自身がそうだったのでよくわかる。今もこの比率はさほど崩れてはいないはずだ。いや、むしろ減っているかも。「教えたがる親」も増えている実感は確かにあるので。我が家も片方はそうだったが、今では両方ともそうだという確率は上がっているやも知れぬ。
これこそが、失業率が上がったのに人材不足も上がるというパラドックスの真因ではないか?
雇用者、いや顧客が求めているのは、まだ誰も答えを知らない問題を解く人材なのだから。
一社会人として、「そんなの教わってません」という答えを聞く程情けないことはない。まだ「バカなのでわかりませんごめんなさい」と言われた方が優しい気持ちになれる。
弾言しとこう。
「そんなの教わってません」で済むんなら大人はいらんのだよ、若いの。
Dan the K-12 Dropout
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だとは思うんですが、それで問題を解ける人が育ちますか?
子供の成長の源は大人の理不尽だと思います。
それに戦わないと自分でものごとを考えません。
教師もこの答案をどのように採点するのか文部省から教わってません。
なんてこと言ってる人が多いような。
要は子供も大人も戦わない、戦った経験が少ないと
どんな問題も解けないと思います。
算数だから数式で答えさせようとしているけど、数式に単位と個数の区別なんてない。そこで数学から外れたローカルルールで「単位×個数」という順番を決めたといった所でしょうか。
その一点をテスト用紙や件のブログで説明すればいいものを、なにを長々書いているのかと思います。
>また 3×5=3+3+3+3+3
という主張がコメント欄にありますが、
「5×3=5+5+5」というのも
「5が3つ」という日本語の表現の語順の反映にすぎないのでは?
ゆえに、元記事の伝でいくと、5×3は
「『5つの3』なので5×3=3+3+3+3+3」とも言えませんかな?
>故に〈代数学において〉定義上は3×5≠3×5なのです。
しかし、彼らはすぐに3×5=3×5と教わるわけですし、
そんなことを言い出したら・・・
(小学校2年生で代数学を教えているのかという疑問はもとより)
>(ユークリッド『原論』)
それを持ち出すと、かえって突っ込みどころが増えて収拾がつかなくなりそうに思えますが・・・
小学校の先生は全科、つまり国語も教えれば算数も生活科も理科も全部教えます。つまり、算数の時間であっても国語の部分が多分に含まれる。論理性として「他者への説明として十分か」ということを教えたかったのだと思います。
5×3
と書いた児童が、後ろの「3」が「塊」であることを十分納得していれば、○なのでしょう。
全然あり。まーそれを「×」とするところに議論が巻き起こっているのでしょうけど、「一皿3つが5皿と考えましょう」をきっちり教える、この「形式」を身につけることは思考の過程を式に表す訓練であって、曖昧・何となく、で正解にたどり着いてしまう危うさを排除するのに「しつけ」の必要な低学年にはとても重要なことだと思う。
おそらく、ここに批判的にコメントするほとんどの人はかけ算の意味をもう理解している人々だと思いますが、ネットに書き込みできないような大の大人はみんなかけ算を十分に理解しているとは言い難い。それぐらい「概念の定着」というものは難しい。
それを考えるとブログ主の主張はまったくおかしくない。「まず理論」ではなく「しつけから入る理論」として賛成だ。
と書きました。
私がこの児童の教師でこの解答に出くわしたら、いちおう○を付けつつ「3×5と書きましょう」と一言添えると思います。
頭の中にあることを式に置き換えるということは、概念の定着していない人にとってものすごく高度なことなんです。
「1皿にリンゴが1こ、みかんが2こずつのっています。この皿が5皿あったとき果物は何個あるでしょう?」
と言う問題に、
1+2×5
と平気で書いてしまうのです(もちろん( )は2年生では習いませんが、例え話です)。
弾さんは、
「5皿に3コずつ」
→5×3=15
という日本語と数式の関係もある、という主張だと思います。しかし、多分この先生は、授業でさんざん「塊(この場合は皿)がいくつあるか」を説明してきたはずで、その論理性を式に置き換えられるかということを「しつけ」として教えているのでしょう(問題文が「5皿に3コずつ」となっているところが難なのですが)。
(続く)
ゆえに5×3=5+5+5
また 3×5=3+3+3+3+3
故に〈代数学において〉定義上は3×5≠3×5なのです。
数学とは定義から始まり、公理、公準、定理などを導く学問です(ユークリッド『原論』)。
よって与えられた定義に従わなければ数学の根本に矛盾します。
この場合で言うと「教える側」が定義しているわけです。つまり15という値もたまたま出た、あるいは定義に従わなかったものとみなして、×にするべきです。
2.「んな事テメーで考えろ」「何でもかんでも聞くな」などと門前払いを喰らう
3.独力で仕事の完遂を試みる
4.失敗する。仕事にミスは許されないので、痛罵される
5.失敗体験と、評定上の汚点が残る
皆様ご存知の、職場における通過儀礼です。
無責任な若者も、責任感の強い若者も、ともに彼等の性質ゆえに
上記のプロセスに嵌まり、その多くが活性を奪われます。人的資源の浪費。
で、この不幸で非効率的なプロセスを避けるには、
・若者が、年齢に似つかわしくない耐性を持っている
・若者が、指導を受けずとも未知の仕事を完遂できる超人である
・上司に恵まれる
等のレアケースに頼む他無いというのが現状であり、これもまた、
仕事における“まだ誰も答えを知らない問題”の一つなのでしょう。
氏の指摘する通り、教育指針にも原因が有るのでしょう。ならば目の前の
無能な若者にのみ責を負わせるのは酷である、という事になりますね。
彼等の無能を罵って事足れりとするならば、大人なんてラクなモンです。
決まった考えだけを学んでいたら、
新しいアイディアなんて出てこないですよね。
教える側の都合の一方的な押しつけという考え方に、犬ころのように教師の人気取りに励んでいた小学4年生の時に出会いたかったです。
とても参考になりました。
まさに同様なことを当時父に説明されたのを記憶してます
今思っても、行列でもないのにこれがダメだったのはやはり(悪い意味で)固まった教育が原因だと共感しました

