2012年04月12日 03:00 [Edit]

生きるとは、片付けること - 書評 - 特殊清掃

出版社より献本御礼。

いずれどこかが本にすると思ってたけど、ディスカヴァーでしたか。

特殊清掃-特掃隊長 | Discover21 - 養老孟司の解説より
読んでいただけば、わかる。そういう本だから、じつは解説はいらない。

そうだとも言えるし、そうではないとも言える。わかりたくない、わからずにすませたいという気持ちが我々にあるからこそこの職業が成立するのだというのは確かで、その意味ではわからないのだし、しかしそういう気持ちが我々にあるのだということは、本書を読めばたしかにわかるのだから。


本書「特殊清掃」は、ブログ「特殊清掃「戦う男たち」」を書籍化したもの。特殊清掃とは、なにか?こういう清掃である。

特殊清掃-特掃隊長 | Discover21
仕事の内容は、人間遺体・動物死骸・糞尿・山積ゴミなどに関係する特殊な汚染汚損を処理するというもの。凄惨な現場に遭遇することや過酷な作業を強いられることも多く、陽の目をみることが少ない汚仕事(おしごと)である。

養老孟司も解説しているように、清掃の対象そのものは特殊だとは言い難い。遺体にしても、この国だけで毎年100万体を超え、しかもその数は増加傾向にある。いくら高齢化といっても、我々は不老不死になったわけでも何でもない。毎日3000人が、3000体となって片付けられる対象となる。

とは言っても、「死に立てほやほや」の遺体は片付けやすい。まだ腐ってもいないし蠅もたかっていない。遺体は「型くずれ」する前にドライアイスなりで冷蔵され、「きれいな」うちに火葬される。

問題は、そうでない遺体だ。孤独死に事故死…古い言葉で言えば「たたみの上で」、現代的には(病院の)「ベッドの上で」死ねるとは限りない。そして死体は時がたてばたつほど素人の手に負えなくなる。それは腐って溶け、蛆が沸き強烈な悪臭を放つ。特殊清掃人の出番である。

で、残念かつ幸いなことに、その「手に負えなさ」は「現物」と対峙しないと本当のところはわからない。「死体の画像」であれば古くは九相詩絵巻があるし、今ならぐぐるだけでいくらでもあるが、あの何とも言えない臭いばかりは、文字でも画像でも伝えようがない。養老孟司が「わかる」といったのは、それが「わからない」ことまで含めてのことだ。

本書が素晴らしいのは、20年で累計10,000件以上の特殊清掃をこなした著者にさえ、その「わからなさ」、「わかりたくなさ」がきちんと伝わってくること。「慣れればどってことない」という境地に向かうことを、著者はよしとしない。つまり、著者はその業務の特殊性に対して常に葛藤していて、特殊化という名の最適化はしていない。だからこそ、特殊清掃しない我々にも「読めばわかる」のだ。

慣れようが慣れまいが、死んでしまえばもう片付けは出来ない。自分の死体を含め。養老孟司も言う通り「一人称の死体」というのはないのだ。その意味で、生きるとは片付けることでもある。そしてありがたいことに、専門家がいるおかげで我々は自ら片付ける代わりに彼らに代価を支払うことで「片を付けてもらう」ことすら出来る。

だからこそ、彼ら専門家たちが自らの心中をどうやって「片付けて」いるのかは知っておきたい。私もまたいずれは片付ける側から、片付けられる側にまわるのだから。

Dan the Mortal


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