2013年07月13日 18:30 [Edit]

「ありのまま」の資本主義を - 書評 - 里山資本主義

編集部より献本御礼。

ああ、これでいいのかも。

404 Blog Not Found:少子化対策にあたって0番目に直視すべき現実
今から何とか出来るのは、「減ってもなんとかなる」ように持っていくだけ。

そう持って行くための、一つの解が、本書にある。

唯一の解ではないかも知れないが、すでに見つかった解は私が知るかぎりこれだけ。


本書「里山資本主義」は、「ありのまま」の資本主義のすすめ。

その前に、現在我々が「資本主義」だと思い込んでいるものを振り返ってみよう。

〈「お金」崩壊〉より
two-economies

この上下の円のうち、元来の資本は下の円である。拙著「弾言」で「カネ=ヒト+モノ」となっているうちのモノに相当する。

それを我々はどうしてきたか。

ひたすら、収奪してきた。

海から奪い、山から奪い、そして人からも。

資本主義とは、資本を食いつぶす主義のことなのか?いくらなんでも、それはリベラルすぎる語法であり、誤用というべきであろう。なんと呼ぶべきか。「マネー資本主義」という呼び方があるようだが、資本が主でない以上これもしっくり来ない。

一番しっくりするのは、換金主義だろう。

どんな資本も、利用する前にまずカネにする。カネにしてから、欲しいものをそれで手に入れる。

そうすることで、手元の資本にないものも手に入る。山にいながらにして海の幸が手に入り、海にいながらにして山の幸が手に入る。そして両方手に入ることで、両方なければ作りようがないものを作ることが出来る。

まさに人類の英知。私はカネの発明--というよりむしろ発見--を、人類の三大発明発見に入れるのにやぶさかではないし、もし一番はどれかと問われたらやはりカネをあげるだろう。カネのおかげで、人は人間となり、人類となったのだから。

しかし罪なき功というのは存在しない。功が大きい分、カネの罪もまた巨大だ。その最大の罪は、カネにするまでもなく手に入るはずの効用までカネに換えたくなってしまう強烈なインセンティブ。あまりに強烈で、「換えたくなる」はもはや「換えなくてはいけない」の領域に達している。すると何が起るか。

モノカルチャー化、である。

カネになる部分だけが残され、残りは捨てられる。そして「選択と集中」を進めるためにますますカネが投じられる。かくして換金作物だけが残り、今まで自分の田畑で採れていたものまで金で買うようになる。

売れてさえいれば、何の問題もない。一番高く売れる作物を売ったカネで、自分が作るより安い残りのモノを買うのだから、効用は最大化されているはずだ。

しかし売れなくなったらどうなるのか?

いや、売れても採算が割れたらどうなるのか?

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銀の匙 (現在八巻)

それを中学生にもわかる形で示したのが、「銀の匙」の八巻。神巻。いや、悪魔巻と呼ぶべきか。「駒場、何もかもやめるってよ」。駒場家の一体何が悪かったというのだろう…

換金主義というのは、カネという作物を育てる究極のモノカルチャーとも言える。

そしてモノカルチャーは、擾乱に対して極めて脆弱なのである。

では、どうしたらいいのか。

利子で食えばいい。

えー!そんな金があったら誰も苦労はしないって?

しかし、資本ならあるではないか。

本書の一番重要な指摘が、そこにある。

木材だけが欲しかったら、輸入した方が安い。

エネルギーだけが欲しかったら、やっぱり輸入した方が安い。

しかしどちらも欲すると、里山で作った方が安くなる。

本書は、エネルギーという最もカネに近い物品という、里山という言葉から最も縁がなさそうな事例からはじまる。岡山県真庭市の銘建工業。山奥とはいっても岡山市まで一時間ちょっとの、秘境とはいえずましてや大都会でもない、ある意味もっとも「つまらなそう」な田舎にある製材会社。

ここでは、製材時に出る木屑で発電している。まずは自社で使い、余った分を売っている。自社で使う電力が一億円相当で、売電分が5000万。しめて1億5000万。もしこの木屑を産業廃棄物として処分すると、2億4000万ほどかかる。しめて年間3億9000円。木屑発電所の設備費10億円は、三年足らずで回収できる。

しかし同社の主力製品は、あくまで材木。材木が売れるから木屑が出て、木屑が出るから発電も出来る。その材木で何が出来るのか。

10階以上の建物が、出来る。

2階や3階では、なく。

それを本当にやっているのが、オーストリー。東帝国Ostareichという国名も今や昔、人口900万に満たないが、失業率で日本を下回り、一人当たりGDPで日本を上回る。面積が北海道とほぼ同じで。森林面積は日本の15%。なのに同国の林業は30億ユーロの貿易黒字と、全エネルギーの10%を賄っている。

ここまでなら「でも小国だからうまくいったんでしょ」というボヤキが聞こえてきそうだが、ところが同国が林業に目覚めたのはここわずか10年のこと。一戸建てのみならず中層アパートまで建てられる強靭な集成財CLTの強度テストに至っては、なんと日本のE-ディフェンスで行っている。これで地震国イタリアでも、10階を超える建物を木で建てられるようになった。

耐震も断熱も、そして実は耐火にも優れた木材というのは、住まいを建てるには理想の素材。その上勝手に育つ。なのになぜウィーンをはじめ、欧州の町は石造りとなったのか?

木を、切りすぎたからだそうである。それでやむなく石に切り替えて今に至っていたが、集成財と木質ペレットの発明により、わずか10年で木造建築ルネサンスが勃興したとのこと。

木に目覚めた同国が最も気を使っているのは、木を切りすぎないこと。元本を減らさないのが利子生活の秘訣というわけである。

「利子で食おう」は「リフレはヤバイ」も指摘しているが(この場を借りて献本御礼)、本書と同書の一番の違いは、何を資本とみなすか。同書はあくまでも金融資産どまりだが、本書における資本は、里山。手入れの必要があるが、それ以上に利回りが安定している。これを活用しない手はないではないか。

そして里山を資本とした利子生活においては、人口減少も高齢化もむしろ追い風なのである。なぜそうなのかはぜひ本書で確認して頂きたいのだが、昔の里山と今の里山との一番の違いは、ここで指摘しておきたい。

それは、外に向かって開かれているか否か。

かつて田舎を一言で断言してしまえば、閉塞感ということになる。嫁いびりと村八分の世界。私自身幼少時は築150年の父方の実家で育ったので今でも悪夢で目覚めるほどよくわかる。しかしそんな村いやだとばかりに東京さ行った結果待ち受けているのは、圧迫感。心理的にとどまらず、物理的にもそうであることは朝の満員電車に一度乗るだけでわかる。私が東京に住んでいられるのは、そのど真ん中という台風の目に住まいがあるから。「大江戸線のくせに座れなかったら負け」だと思わずにはいられない私の類いはどう考えても典型的な首都圏住民とは言い難い。

その圧迫感から逃れるために「都落ち」する人々は、必ず一定量出てしまう。「おおかみこどもの雨と雪」の花一家のように。そして高齢化が「極相」にまで至った里に、そんな彼らを拒絶する余裕は今やない。そしてそんな彼らのわずか一人や二人が根付くだけで、そこは都会人にとっても訪れてみたい場所になる。本書に登場する「Iターン」(面妖な言葉だ)の事例の多くが、嫁入りではなく婿入りだというのが、20世紀の里と21世紀の里の違いを象徴しているような気がする。

そして少子高齢化というのは、米英豪という英語圏を除いたグローバル・スタンダードなのである。

一つ確かなのは、人口動態において日本は最も米英豪から遠い国であるということである。その行く末をそちらに定めるのは筋が悪いことは、それだけでも明らかなのではなかろうか。

こういうのも何だけど、里山資本主義というのは最も華々しさから遠いシナリオではある。それはダイエットに似ている。華々しい一攫千金的な手法はうまく行くどころか必要以上のリバウンドを引き起こすだけで、たった一つの冴えたやり方は地味で地道な収支管理しかないという意味において。しかし我々は、カネという形で目に映る資本だけを計上した上で「破綻してる」とほざいてはいないか?それはダークマター抜きの宇宙論であり、そして真の資本主義ではないのだ。

私のような世界最大の都会の中心の住人でさえ、「非換金資本」と無縁な生活はありえない。私は本書を一文も支払わずに入手しているが、例えば献本の目録が確定申告に必要になったら、その手間だけで私は詰む。「金で買えるものはあるのか」という設問の是非はさておき、「金にするまでもないことは金にしない」というのは実は世界中の誰もがやっていることではないか。

別に自給自足を目指せということではないのだ。全売全買というもう片方の極論を避けようというだけのことである。そのためには、自分たちに何があって、何がないのかをきちんと知る必要がある。そして自分のことというのは、自分だけではよくわからない。自分が外に出るか、他者に教えてもらう必要がどうしても出てくる。なぜ政府によるクールジャパンがあれほど無様なのか。自分のことを知っているつもりだからだ。なぜこの20年経済政策が空回りしてきたのか。自分が何を持ち、そこにどんな価値が見出せるのかを知らなかったからだ。

まずは、知らないに気づくことからはじめよう。

Dan the Capitalist Pig


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