昭和なつかし生理帯・月経帯

昭和時代は、数多くの月経帯が発明され、顕れては消えた時代。それが女性の解放と地位向上、社会進出を助けた時代でした。もはや滅多に知ることの出来ない、それら生理帯・月経帯の変遷を、写真と資料でお見せ致します。

37) メンスバンド着用写真 ビクトリヤ月経帯等

 更新せずに3年近くも経ちますと、当然読者も減って参ります。大統領までツイッターするようになりまして、私なんか遅れてますナー。ツイッターのアカウントは持ってないのですが、接続して下品な英語の勉強でもしようかな・・・
 この間、コレクションは相当に増えました。その中に奇譚クラブで分譲された、所謂(って私が名前を付けているだけなんですが)バンドフォトがありましたのでお目にかけます。

37−1〜5) メンスバンド着用フォト (ビクトリア月経帯 ズロース型
 奇譚クラブ1955年2月号で発表された「メンスバンド着用フォト」 手札型5枚組300円。モデルは萩千恵子嬢2枚と伊吹真佐子嬢3枚。略号はまだ付いておりません。
 解説に「単なるバンドを着用した伊吹嬢の正面のポーズとその着脱、並にバンド部分のクローズアップ。それに萩嬢のバンド着用の縛りのポーズ、いずれも前手縛りの正面のもの。バンドマニアのために特写したものです。」となっていますが、「単なる」と「単なるでない」バンドって、どこが違うのか良くわかりません。このころ既に「バンドマニア」っていう種類の人が居たんですね。
 替えゴムの前が鳩目になっていて、前開きズロースのパテン金具で留める構造から、ビクトリアバンドと想像できます。パテン金具っていうのは船舶でも使われている留め金だと聞いています。ヤマトゴムでは小型化して大正時代から替えゴム留めに使っていたようです。パテントを取った金具っていう事なのか良くわかりません。
  
 
37-01 メンスバンド萩千恵子1Cb37-01a メンスバンド 萩千恵子01Mc

37-02 メンスバンド萩千恵子2Cb37-02a メンスバンド 萩千恵子02Mc

37-03 メンスバンド伊吹真佐子3Cb37-03a メンスバンド 伊吹真佐子03Mc

37-04 メンスバンド伊吹真佐子4Cb37-04a メンスバンド 伊吹真佐子04Mc

37-05 メンスバンド伊吹真佐子5Cb37-05a メンスバンド 伊吹真佐子05Mc

 替えゴムは、写真では見えませんが後は3つのボタン。前は2つのパテン金具で開閉でき、着脱簡単で、脱脂綿の交換ができたようです。 

37−6〜7) バンド着用の縛り
 奇譚クラブ1955年3月号で発表された「バンド着用の縛り」手札型5枚組300円のうちの2枚と思われます。モデルは川辺砂登子嬢。これにも略号はありません。
 解説は「メンスバンド着用のベッド上のポーズ、バンドの着脱に狙いをつけて、横臥側面一枚、横臥背面一枚、横臥正面二枚、正面胡坐一枚。」となっています。
 月経帯の種類は判りませんが、替えゴムの舟型が深いのと、前開きズロースのクロッチを外しても替えゴムが安定して股間を覆っている事などから、上と同じビクトリア月経帯と思われます。 
 

37-06 川辺砂登子 バンド着用の縛り1Cb37-06 川辺砂登子 バンド着用の縛り1Mc

37-07 川辺砂登子 バンド着用の縛り2Cb37-07 川辺砂登子 バンド着用の縛り2Mc

 本ブログ7頁に掲載しました奇クへの投稿に「川辺砂登子嬢のバンド着用縛りの写真が分譲になったことがありました。私は勿論、早速購入しましたが、その時、砂登子さんの着用していたバンドは、非常に型の古いもので、前開きですが、替ゴムが金具で止められ、着脱出来るようになっている、当時でも珍しい月経帯でした。」とあります。多分「正面胡座一枚」には37−7を身体の正面からクロッチを外して写したものではなかったかと思います。
 写真発表から8年経って投稿されているのですが、昭和30年にはビクトリアというブランドは過去のものになっていたんですね。それは婦人雑誌などの広告を見てもわかります。なお、この保田氏が投稿なさったときは、既にアンネは発売1周年だったんです。生理用品の急速な進歩とブランド間の競争、栄枯盛衰を感じます。
 


37−8〜9) 緊縛美のオンパレード91集から2枚  
 本ブログ1頁でご覧いただいた村田那美子嬢の別印画が出てまいりました。状態は非常に悪いのですが、まあ、ついでにお目にかけます。なお、奇クの目録には「女体悦虐写真集 第十篇 第九十一集」の5枚組となっています。 

37-08 村田那美子 緊縛美のオンパレード91-1Cb37-08 村田那美子 緊縛美のオンパレード91-1Mc

37-09 村田那美子 緊縛美のオンパレード91-3Cb37-09 村田那美子 緊縛美のオンパレード91-3Mc


37−10〜11) AS組より須川令子 
 奇譚クラブ1956年4月号誌上で発表されたAS組に須川令子嬢が生理帯を着用したものと思われる写真がありましたので掲載します。 

37-14 AS-05 須川令子トイレ五態1M AS05「トイレ五態」解説は「初めて試みた洋式トイレの中に於ける風変りなアブ緊縛。」の一枚と思われます。当時はこれでも洋式だったんです。
 穿き込みの深い生理帯着用のモデルさんを股間縛りにしています。
 下の写真(37-11)もASシリーズと思われますが特定できません。





37-13 須川令子01Cb37-13 須川令子01Mc
 

37−12〜14) モデル不明。近代的生理帯 
 印画の印象は奇譚クラブの写真に見えるのですが、モデルさんに心当たりがありません。
金原奈加子嬢かなとも思っていますが確証がないのです。金原嬢なら1968年のもの。69年からは妊婦フォトになりますからサニタリー穿くわけがない。
 生理パンティーは昭和40年過ぎの品かと思います。生地は合繊。クロッチ幅から見て間違いなくサニタリーだと思うのですが、替えゴム式ではないようです。穿き込みはそうとう深いと思うのですが、わざとローライズに穿かせています。きちんとウエストを上げて穿かせてくれた方が当時の雰囲気が出るのですが、下げた方がエロいとでも思ったのでしょうか? 出しゃいいってモンじゃないと思うんですがね。 
 

37-10 奇ク??生理帯01Cb37-10 奇ク??生理帯01Mc

37-11 奇ク??生理帯02Cb37-11 奇ク??生理帯02Mc

37-12 奇ク??生理帯03Cb37-12 奇ク??生理帯03Mc


 

36) 昭和の日特集 ビクトリヤ月経帯

 とんと更新しないまま、二年が経とうとしております。まずもってご無沙汰をお詫び申し上げます。
 無料ブログですので、2年も更新しないと消されちゃうのではないかと思い、とにかく新しいページをお届けします。
 パンネットの後は、昭和30年前半の、黒の化繊でできた生理パンティーをご紹介するつもりでした。しかしこの間戦後すぐのビクトリヤ月経帯をいくつか入手できました。非常に珍しい品ですので、こちらを先にご紹介しましょう。

36−1abc) ビクトリヤ弐号品 戦中の品?
 缶の底と蓋は金属ですが、サイドは紙製です。戦争で金属が不足したのでしょう。女性はゴムと経血の混じった臭いが漏れるのを恥じたでしょう。ポリ袋なんて無い時代ですから、金属の缶に保管するしかなく、これでは不安だったでしょうが、「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」の時代でしたから我慢したのでしょう。
 中味は、ネルの腰布に、戦前同様の月経帯が付いた品で、月経帯本体のゴムは朽ちております。しかし、15ページで疑問だった、パテン金具がよくわかりますので、汚いのを承知でお目に掛けます。
ビクトリヤ2号DSC01360cビクトリヤ2号DSC01361c
ビクトリヤ2号DSC01364c
 
36−2a,b) ビクトリヤ月経帯2号 中味
 蓋を開けると、戦前の缶入り同様、腰布と月経帯と説明書がコンパクトに収まっています。

ビクトリヤ2号DSC01365cビクトリヤ2号DSC01368c





36−3a,b,c) ビクトリヤ2号
 パテン金具って身体の前に付いていて、月経帯の鳩目に引っかけてレバーを閉じる形だったんですね。
 お尻のほうは浮き上がった画鋲のようになっていて、そこに月経帯のボタン穴を留めたんです。最初はいわゆるホックかなと思っていたのですが、違ってました。月経帯の端部は、今はガチガチに硬化していますが、当時は適度の弾力があったんでしょう。
 着物を着た女性は前を捲って2個のレバーを開き、脱脂綿を交換したんですね。
ビクトリヤ2号DSC01369cビクトリヤ2号DSC01372c
ビクトリヤ2号DSC01373c

 36−4a,b,c) ビクトリヤ月経帯 羽二重製 昭和20年代前半
 以下のような紙箱に入った月経帯を3個入手いたしました。まだ戦後の復旧期で戦前からの品を残された資材で作るしかなかったころの品と思われます。横書き文字が左書きになっていますので、昭和22年ごろでしょうか? 相変わらず金属資材が乏しかったので、価格を抑えるため紙箱入りとしたのだと思います。
 ビクトリヤ羽二重DSC01376cビクトリヤ羽二重DSC01381cビクトリヤ羽二重DSC01384c

36−5a,b,c) ビクトリヤ月経帯 羽二重製中味
 月経帯取り替えゴムは未だに軟らかく劣化していません。ヤマトゴム製作所は資材不足でも粗悪品だけはつくらなかったのでしょう。江戸っ子の心意気かな。浅草大和橋の工場は被災した筈ですが。
 トルソーに穿かせても立派なものです。羽二重も上等の品です。
ビクトリヤ羽二重DSC01385cビクトリヤ羽二重DSC01388c


ビクトリヤ羽二重DSC01392c

36−6) ビクトリヤ月経帯 もう一箱の中味
 シールには羽二重製と書いてあるのですが、箱の一つにはネルの腰布が付いた戦前型の月経帯(多分ビクトリヤ2号)が入っていました。箱の入れ違いかも知れませんが、平和な時代になって、物不足の中、夏冬の月経帯を持たせるのは、娘を嫁に出す精一杯の親心だったんじゃないでしょうか。

ビクトリヤ羽二重DSC01389c

36−7a,b,c,d,e) さらにもう1箱手に入れました
 縁というものは重なるもので、同じ羽二重製をもう一箱手にしました。これも状態は極上です。トルソーに穿かせてみましたが、上下の紐の様子がよくわかります。伸縮性の生地がない時代、柔らかな女体に月経帯を密着させるのは、製造者、使用者共に相当の工夫が必要だったのでしょう。羽二重ということで、多分夏物だと思います。
DSC01481cDSC01482c
DSC01485cDSC01486c
DSC01489c
36−8a,b,c,d) 昭和20年代前半のビクトリヤ月経帯。羽二重製腰布付き
 「特免 羽二重製」とシールが貼ってあります。「特免」って何でしょうか?衣料も配給制だったころ、月経帯だけは特別に素材の優遇を受けたのでしょうか?
 DSC01498cDSC01503c
DSC01506c
DSC01510c


35) パンネット着用写真

関屋富佐子パンネット01c35−1) 関屋富佐子 パンネット着用 1
 パンネットを穿かせた写真は、現存するのでしょうか? 月経を忌まわしいものと考えなくなったとはいえ、わざわざ写真に撮るのは、その前の替えゴム式と同様、抵抗があったのではないでしょうか。
 奇譚クラブの分譲写真中に4枚見つけておりますのでお見せします。モデルは関屋富佐子夫人と思われます。
 関屋夫人の写真は、奇譚クラブ誌上で、63年1月号から70年1月号の長期にわたって分譲されました。この4枚の写真の組名、略号が判れば撮影年代は特定できるのですが、ちょっと分かりません。




関屋富佐子パンネット02c35−2) 関屋富佐子 パンネット着用 2 
 肌が黒くなるのを我慢して、パンネットの様子がよく見えるように、少し暗い目にスキャンしています。パンネットはウエストゴムが細い旧型です。
 原板は縁付きの大手札写真です。











関屋富佐子パンネット03c35−3) 関屋富佐子 パンネット着用 3 
 腰サイドの縫い目がよくわかります。






関屋富佐子パンネット04c35−1) 関屋富佐子 パンネット着用 1 
 これはクロッチ部のナプキンを固定する袋がはっきり見えています。着用してこの角度の写真は珍しいと思います。







34) アンネ ニュー・パンネット

アンネ美しい十代s39-8web34−1)
 1961年(昭和36年)11月に華々しくデビューしたアンネナプキンですが、フェルトパルプと呼ぶ新素材を使い、アンネFとしてモデルチェンジします。繊維が肌面に対して垂直に並んでいるので経血が広がらず深く吸収すると謳われています。私が持っている資料は、雑誌「美しい十代」の昭和39年8月号ですので、約2年半で改良品が現れたことになります。
 同じ文面に、姉妹品として、パンネットにはMとLサイズがあり、アンネショーツとして、パールとクリスタルという高級品がアナウンスされています。
 このときのパンネットが、ニューパンネットではなかったか? 旧型でLと表示された品を見たことがありませんので、私はそう考えています。
 アンネショーツというのは両方とも存じませんが、まだパンティーという用語が一般的であった時代に、ショーツというスポーティーで軽やかな語感を選んだことで、おしゃれで行動的なヤングエイジャーの人気を集めたのではないでしょうか。
 デビューまでの苦労話は本で読めますが、その後の改善とイメージング戦略のほうが経営上の参考になりそうです。
 ということで、この頁はニュー・パンネットです。

DSC00583bニューパンネットDSC00586b34−2)
 ニューパンネット黒のMサイズです。
 一番の特色はウエストゴムにあります。幅広のシフォンのような生地で包まれており、肌当たり良く、食い込みを防いでいます。
 広報からの写真のみナプキンを挟んであります。



DSC00589bDSC00590b34−3)
 ニューパンネット、ピンクのLサイズ。
 見ただけではわかりにくいのですが、形も少し違うように思います。ネットの編み方を工夫したのでしょう。穿いてみても、より立体的に、人体のふくらみに沿ってより楽にフィットしてくることが分かります。




DSC00592bニューパンネットMDSC00595b
34−4)
 同じくMサイズ。これも後方撮影分はナプキン付きです。

IMG_3971bIMG_3974b
34−5)
 MとLのタグの違いと、ウエストゴムのアップです。クロッチ部分にゆとりを持たせた様子もお見せします。
 随分褪色しているのがわかるでしょう。

IMG_3927bIMG_3943b34−6)
 再び黒に戻って、ニューパンネットの特徴が分かる写真を。クロッチの袋を写した写真は俯けです。




IMG_3925bIMG_3928b34−7)
 左のナプキンを、その袋に差し入れます。









IMG_3934bIMG_3939b34−8)
 ナプキン着けて、前からと後ろから。




P1000629bP1000628b34−9)
 ナプキン前と、ナプキン後。仰向きで撮影してあります。






ニューパンネットL表cニューパンネットL裏c34−10)
 Lサイズのラベル。表裏。
 表には、カラーはピンクとブルーの2色とありますが、裏には「ピンクをはじめ、おしゃれなカラーが4色」と書いてあります。次のMサイズも同じです。少なくとも黒はあったので、4色が正しかったのではないでしょうか?
 同時に表にアンネットグループとして、アンネット、アンネットデラックス、アンネットもめん等々と、アンネショーツの新製品が多種類発売されたことが伺えます。
 ナプキンも、パフアンネナプキン、同エクストラ、エル・アンネナプキンなど、用途に合わせて選択できるようになっています。
 このラベルがいつの時代のものかかわかりません。昭和40年代も半ば頃でしょうか? 常に消費者目線の商品開発と販売戦略に敬服すると共に、アンネショーツ以後、サニタリーショーツのファッション化と、ナプキンの大量生産大量販売の波に巻き込まれ、強力なコンペティター相手に競争を強いられた事情も窺い知ることが出来ます。

ニューパンネットM表cニューパンネットM裏c34−11)
 Mサイズのラベル。色あせしていますが上と同じです。



















33) アンネ・パンネット(旧型)

もう5月ですね。随分長く更新をサボってしまいました。写真はとっくに準備できていたんですが、アップのタイミングを失していたのです。替ゴム式の資料もまだいくつか残っています。プリシラテックスやそのオリジナルのコーテックス(ベルト)もあります。ゴムを使わない替ゴム式? とか。変な品もあります。でも、ぼちぼち、アンネに登場してもらっていいかと思い、無理やり表舞台に引っ張り出しました。

Img_3955bImg_3956b33−1)
 皆様はパンネットに新旧があるなんてご存じでしたか? 左が昭和36年11月に発表されたもの。右がニューパンネットLとMです。



Img_3957bIMG_3954b33−2)
 プラスチック袋の裏側と表側です。ニューパンネットのほうが僅かに大きいですね。
 旧型は徹底して携帯性を重視したのでしょう。袋の角が丸く落としてあるものと、尖っているものがあります。ハンドバッグには当然丸い方が入れやすい。細かく改良していたんですね。インフレ対策のコストダウンかな?
 それと旧型はワンサイズですが、ニューはMとLが分けられています。ちなみに、Mが150円、Lが200円です。Lは少し高すぎるように思いますが・・・
 この写真で分かるように、ピンクの品には染めムラが出ています。褪色ムラかも知れません。細くて強いナイロン繊維の弱点は染色性。これを染めるのは非常に難しかったのです。

IMG_3983bIMG_397933−3)
 中のラベル兼説明書を開いたところ。今度は右が旧型です。






DSC00578b旧パンネットDSC00580b33−4)
 旧型をトルソーに穿かせてみます。










DSC00579b旧パンネット33−5)
 旧型は、ウエストゴムが細くて、前で括ってあるのが特徴です。ちょっとリボンみたいでかわいく見えます。
 でも、これは結構お腹に食いこみます。アンネナプキンは喜ばれたでしょうが、パンネットは好き嫌いがあったのじゃないかな?
 試しに穿いてみると、ウエストはともかくとして、タマタマの袋に、目の粗いネットが食いこんで、どうにも具合が悪い。坂井社長は男性のことは考えてくれなかったらしいです。
 「重苦しいゴムの時代は去りました」と強調するために、わざと極端なデザイン戦略を実行したのでは、と考えます。ちょうど、iPadに1片の解説書も付属していないように・・・・。

DSC00581bDSC00582b33−6)
 私は、アンネナプキンは持っておりません。そこで構造がよく似ている、Cepeeを使ってみました。現代の流せるナプキンです。









DSC00597bDSC00599b


33−7)
 黒じゃわかりにくかったですか?黄色をお見せします。

DSC00600bIMG_396433−8)
 横向きと、下から失礼。
 ナプキンは、パンネットのクロッチが袋のようになっていて、そこに差し込むようになっています。ズレないけれど、捩れはしたんじゃないでしょうか?
 これら旧型の欠点は、ニューパンネットではどう改良されたのでしょうか?





アンネナプキンs37-1主婦之友1b33−9)
 40年間お待たせしました!の有名な広告。「主婦之友」の昭和37年1月号から採りました。アンネナプキンは36年(1961年)11月の発表で、1月号の発売は12月初頭でしょうから、多分これが最初の宣伝文だと思います。




 



アンネナプキンs37-6主婦の友1アンネナプキンs37-6主婦の友233−10)
 昭和37年6月号の主婦之友より、代理部の広告とアンネの宣伝です。「アンネの日」と謳われた最初の頃ですね。
 婦人雑誌は伝統的に通信販売(代理販売)を行っており、生理用品はその常連でした。代理部に卸すことにより、全国にその名を広め、地方の町村部へと販路を広めたものと思われます。
 価格は定価のまま。一切値引き無しですね。ナプキン1枚8円30銭というのが、当時の感覚で高かったのか安かったのか? コロッケ1個が、20円ぐらいはしていたと思います。
  当時は既にビニール袋入りのカット綿が売られていて、200グラムぐらい入っていたのかな? その値段は覚えていません。12枚入りということは、まあ生理1回分ですか? 安いと感じられたのかも知れません。
 私は中学に上がったばかりでしたから、クラスメートの女子達は、初潮は替ゴム式で迎えたことになりますね。学校の保健室では便利だったでしょうが・・・。イヤ、教育現場というのは、意外と旧弊だから、教育委員会の許可が出るまではナプキンは採用しなかったかな?
 このページ、非常に真面目ですので、当時の様子を知る女性からも、コメントをお願いします。 

旧パンネット黒表c旧パンネット黒裏c33−11)
 旧型パンネットのラベルです。色は5色とありますが、黒、ピンク、黄色ぐらいしか知りません。

訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

記事検索
最新記事
livedoor プロフィール
Recent Comments
 更新を怠っておりましたことお詫び致します。そろそろこのサイトも昭和30年代に入ります。
 UKの珍しい真面目なサイトをご紹介します。http://thevintagedressmaker.blogspot.com/ その中の 1920's Undergarments Part 3 に、当時の欧米のゴム引き布の生理帯が紹介されています。

  • ライブドアブログ