中村ゆきつぐのブログ

現場の声を国政へ

公と私 社会を守るためにどこまで制限できる 津久井やまゆり園事件から

昨日の事件(津久井やまゆり園事件 この地域の救急担当に感謝)、色々情報が出てきました。

措置入院患者の退院後の大量殺人。退院後なんとか予防できなかったのか。テレビで議論されていました。

まず前提として精神科領域において、措置入院後の退院決定は人権の制限という点において永遠のテーマで、どうすればいいかという確実な方法は確立されていません。本当現場は手探りでやっています。そしてこの犯人の状況を聞く限りでは、この患者を措置入院をさせるかどうかの判断も難しかったと思われます。

認知症対応専門の結城康博さんは「地域社会で情報を共有して退院後守るべき」と話します。認知症患者の地域の見守りと同じ方法です。それに対し個人情報を含めてそんな簡単なものではないと批判する弁護士八代英輝さん。応用は構わないのですが、家族の状況を考えると(助けてほしいとそっとしておいてほしい)認知症患者と措置入院後患者を一緒にするのはかなり無理があると私も思います。この公のために私の個人情報などの権利をはずす問題。池田小事件からどれだけ進歩したのでしょう。

また様々な番組で衆議院議長あての犯行予告をしていても逮捕できない現在の法律の問題も論じられていました。殺す相手などの具体性がないと観察はできても逮捕はできないという法的解釈。後述する疾患患者や洗脳されたテロリストは事件起こす前に何とかできないなのかというジレンマを感じます。

弱者迫害といえばナチスの影響とか心理学者が分析しています。なるほどと納得するものもありますが、正直正常な思考過程をもとに分析することは無駄と感じています。

精神科的には概ね診断はパラノイア(妄想性障害)でいいのでしょう。行動は理不尽以外の何物でもなく説得は不可能です。また本人が病気と認識していないため薬を飲んでもらえません。だからこそ正直現代の精神科における治療は難しいものです。 それこそ首に縄をつけて薬を飲ませるような個人の自由を制限することは今の医療ではできません。

今回容疑者は家族には謝罪しているそうですが、犠牲者には謝罪の言葉はありません。だって彼の中では正義の行動、いや日本国の代理で行ったと思っているのですから。(だから5億円の報酬要求!2年以内の懲役要求!)前もってわかっているこんな犯罪予備軍をなんともできない自由な日本。本当に問題がたくさんです。 

お金や手間がかかってしょうがないから重複障害者を生かしていても仕方ない。だから家族の同意のもとの安楽死という提言は、以前の高齢者の夕張議論(夕張の病院を潰したら夕張は本当に健康になった? 高齢者の医療の制限)と似ているのかもしれません。議論はいくらしても構いません。いややりましょう。

ただ今回の事件の一番の問題は、家族の同意もないのにあなたが私刑を執行する権利はないということです。でも正論をいくら言っても彼には響きません。そういう病気です。外来で大変だった患者さんを思い出します。

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津久井やまゆり園事件 この地域の救急担当に感謝

悲しい事件です。今後詳細はわかってくると思いますが、動機(恨み、障害者に対する偏見など)も含めて詳細な解析を期待します。( 44人刺され19人が死亡…相模原の障害者施設

被害者のご冥福をお祈りします。

私は被害者の搬送先病院の情報が気になりました。(「全員が首に刺し傷」 搬送先の病院が会見

俗にいう重体の患者さんが夜中に一気に4人!現場はきっと戦場になっていたでしょう。1人助けようとするだけでも医療者が5人ぐらい必要。それが4人の重体!待機している医療者に応援を頼んで出てきてもらったかもしれません。

神奈川県相模原市緑区千木良の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」。ここから一番多く患者が搬送されたのは北里大学病院になります。そこまでの時間は43分!。そして先程の東京医大八王子医療センターは25分!夜中の救急車ですから時間は半分くらいでしょうが、一番近いところが重傷者対応でパンクしたということが予想されます。多分これ以上の受け入れは難しいと判断されたのでしょう。(この状況を皆さんたらい回しと言っているんですよ!)

ただこの地域には概ね救急車で30分以内に受け入れ可能な施設が複数存在していました。それゆえあの時間帯に63人もの被害者の受け入れができたものと思われます。東京、神奈川が互いに協力できている地域なのでしょう。

被害者が何人助けられるかはこの残虐な手口からは予想がつきにくいのですが、こういう何の罪もない被害者を助けようとする救急に関わる方に感謝すると同時に、前回書いたこういう医療をなくしても健康だという記事(夕張の病院を潰したら夕張は本当に健康になった? 高齢者の医療の制限)に医療者として違和感を感じます。 

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夕張の病院を潰したら夕張は本当に健康になった? 高齢者の医療の制限

ビデオニュース・ドットコムの記事、BLOGOSからです。
病院がなくなったら市民が健康になった夕張から学ぶべきこと

前回書いた記事(行政と医療 望んでいるものが違う なくしてわかる医療の質)と関連しますので記載します。

>171床あった市立病院は廃止され、19床の診療所と40床の介護老人保健施設に再編された。救急車の応答時間も破綻前の2倍近くかかるようになっていた。当初、これは医療崩壊が避けられないもの考えられていた。

皆さんもご存知のように夕張は財政が破綻し、病院は診療所に生まれ変わりました。この時の情勢を『医療にたかるな』と村上智彦先生が本を書かれています。そしてそれを参考に海堂尊さんが小説を書きNHKでドラマ化(極北ラプソディ)されています。その結果救急など実際受け入れはほとんどできなくなりましたし、透析患者も夕張病院から移動し、一部は夕張から居住そのものも引っ越しされています。

そしてこのこと自体が医療崩壊といっていいのではないかと感じます。つまり救急システムが成り立っていないのですから。そして医療が本当に必要な人は他の町の病院に行っています。医療崩壊に伴う町の疲弊化です。周りの医療施設も頑張っているのです。

かえって医療や健康に対する市民の意識が変わり、結果的に心疾患や肺炎で亡くなる人の割合が減ったと指摘する。また、病院が減ったために、医師が患者宅を往診する在宅医療に比重が移ったことで、高齢者一人当たりの診察費が抑制され、病院ではなく自宅で亡くなる人の割合が大幅に増えたという。
医療体制の縮小や削減が原因で、夕張市民の死亡率や死者数が増えたということはないと話す。むしろ、高齢者にとっては、病院ではなく、自宅や特別養護老人ホームなど、終の棲家で天寿を全うし、最期の時を迎えることができるようになったことが、重要な意味を持つと森田氏は指摘する。

前半は正直勝手な解釈でしょう。では死亡率が変わらず、3大疾病が低下したということは死因に何が増えたのでしょう。答えは
老衰です。ある意味PSが悪化した老人は、医療機関で病名をつけることなく自宅で看取るという割合が増えたということになります。意識が変わったことがメインではないと感じます。そして病名を診断しないのですから、積極的な治療もせず医療費は低下します。

また老衰になるような後期高齢者への積極的な医療の介入はそんなに死亡率を改善しません。だから今までの病院治療優先と介護優先の死亡率が変わらなかったのだと思います。
また夕張の平均寿命は「健康」な割に長野と違いそんなに上位ではありません。

また病気ではないので老衰の方には救急車を呼ぶことが以前より少なくなります!このような理由から介護主体にしても医療は崩壊していないと森田先生は断言されているのでしょう。

ある意味手厚い?高齢者医療を省くことで、診断される3大疾病の死因の数を減らし、大部分の死亡者を老衰でくくる。一部正解だとは思いますが、それが「健康」かと言われると少し疑問ではあります。またそれは夕張のような高齢化地域だから成り立っているのではとも思われます。

森田氏はまた、医療が高度化すると、過剰な医療サービスが提供されるようになり、不必要に医療費が膨れ上がる傾向があると指摘する。人口10万人に対する病床数が日本で最も少ない神奈川県の一人当たりの入院医療費が8万6,046円であるのに対し、病床数が2479床と日本で最多の高知県では、一人当たりの入院医療費が19万70円にものぼっている。
 
これは先ほどの裏返しで、その通りだと思います。病院が多いということで、病院を維持させるために診断してしまうと、後期高齢者に助けに行く治療を病院は選択してしまいます。一部を助けることはできますが、一部は介入しても結果的に治癒しない治療になってしまいます。命を数日伸ばすための医療費は1日10万以上となりますし、後期高齢者は一度落ち着いてもまた悪化するため、治癒しない治療にお金がどんどん使われます。

ただそれを過剰というかどうかは医療者が決めるものではありません。90歳の人に50歳の医療を全部やることはお金がいくらあっても足りないし、難易度は倍以上になりますが、今の状況で年齢で医師が治療しませんとは言えません。国民で議論しなければいけないのです。

実はこの夕張の健康議論2年前にアピタルで特集されています。(「病院がないほうが死亡率が下がる」は本当か (前) (後))そこからの引用です。

在宅での「平穏死」が病院での死亡よりも常に素晴らしいとは限りません。病院で死にたいという人もいるでしょう。胃ろうを造ってでも長生きしたい人もいるでしょう。家族の社会的な事情で在宅介護がどうしても無理という人もいるでしょう。平穏死も選べるという選択肢が広がるのは良いことですが、お金がないからと平穏死を強制されるのは良いことではありません。 

前回の記事を含め、医療というものは日本国である程度共通で、貧富の差で区別されないことが望ましいと常に思ってきましたが、経済を優先するのであれば最高レベルの医療はいらないというのも一つの考えです。消滅しかかっている地域にどのような医療が必要か。どれだけのレベルの医療が望ましいのか議論しなければいけません。でもこの記事の「病院がないほうが死亡率が下がる」というキャッチフレーズはとてつもない説明不足と都合のいい解釈と感じます。 

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