2010年07月

政治素人の医師が選挙に出て(6)

 子どもが夏休みのため主夫しています。単身赴任を10年ぶりに解消したためそこそこ楽しんでいます。

 社民党辻本さんが離党しました。小さな政党の限界、選挙のためといろいろ言われていますが、理念だけで政治は動かないと感じられたのでしょう。実際選挙をおこなってみてある程度仕方がないと感じます。(選挙にうからなければ政治はできず、与党にいなければ政策はできない)

 続きです。

 7月2日 自衛隊伊丹駐屯地で門立ち。たくさんの自衛官に挨拶しました。先輩にも応援いただきましたが、あいかわらず自衛官の反応はもう一つ。それでも今までで一番たくさんの人に顔をみてもらいました。
 兵庫で吉田候補と合流。また吉田候補にはTV取材。(うらやましい) 駅前、官舎前で演説するも、私には写らないようと指令が・・・

 そのまま善通寺に移動。この高速の移動がもったいないと焦りだしてきた頃です。
 善通寺で山内先生の後援会のかたにお助けいただき、支援者(20名前後)との会合終了後、善通寺駐屯地前で門立ちをたくさんの人たちと実施。10人前後でビラ配り、旗たてとすこしはずかしい状態。このとき山内先生と自衛隊の門で演説をスピーカーで実施しました。自衛官および周りには迷惑かけました。しかしこれが本来の選挙活動(自民党の?)を体験させていただきました。その後2ヶ所街頭をおこない、岡山へ。今度のホテルは普通でした。(よかった)よく寝れました。

 7月3日 誕生日です。岡山街宣。はぎわら候補の事務所へ挨拶。広島へ移動。呉駐屯地を検索し終了。ますぞえ代表の人気は高くなってきたのか車に声をかけてくれる人が多くなってきました。

 7月4日 呉駐屯地、官舎、大和博物館へ。ここでひとつ事件が。自衛隊の潜水艦の博物館では問題なかったのですが、大和博物館ではたすきをはずしてくれとおえらいさんから注意。建物のなかの選挙活動はお断りしますとのこと。JAXAが母体のため仕方ないけど、別に投票してとは言っていないんだけどなあ。でも素直に従う。迷子の放送でもかけたろうか(新党改革 中村様。お連れの方がお待ちです)と思いましたができませんでした。
 広島市内を街宣しそのまま小倉へ高速移動。いよいよ九州です。

 全体的に土曜日、日曜日は街中主体でした。福岡地元に向け最後の行程です。

 今回はここまで。

政治素人の医師が選挙に出て(5)

 1昨日は以前やっていた外勤先で外来診療をやってきました。とりあえず医師の仕事は続けます。患者さんに迷惑をかけましたがまたしっかりとやっていきます。

続きです。
 6月29日 もともとの予定の富士駐屯地は街宣車のみで遊説。候補者空で移動。(よくあるそうです) 朝から新幹線で三島から小倉まで移動。途中名古屋で乗り換え秘書と合流。地元福岡でますぞえ代表と街頭演説。しかし党の準備不足でますぞえ代表が来ることが北九州にほとんど知らされておらず、少ない人。私の垂れ幕は党の街宣車になし。一部の場所では演説できず。(敷地内で行うには事前の許可が必要) まさに人が全国にいる大きな政党と、金をかけない小さな政党の違いがでてしまいました。とはいえ、医療改革について演説をおこない、暖かい言葉を直接いただきました。福岡に移動し、鳩山邦夫先生と博多駅で合流。あいにくの大雨のなか演説。ここにはTVがきてました。また飯塚出身の人から激励の言葉とこの福岡遠征は実りのあるものでした。(地元はいいですね。ちなみに選挙になると候補者の地元がたくさん増えるそうです。)
 このとき鳩山邦夫先生が大雨の中、鳩山太郎候補のビラを配り握手をしていたことは、政治家の選挙における心構えと子どもを思う親の気持ちが強く伝わりました。
 まだ福岡街頭は続く予定だったのですが、明日のためここで私はまた新幹線で浜松に移動。11時頃浜松につきホテル泊。このとき元自衛隊医官という旗ができていました。

 6月30日 航空自衛隊浜松基地前で門立ち。同期が会いに来て門の前で写メ。航空自衛隊出身の候補のポスターの前でまた力の差を感じながらも挨拶を続けました。このときウグイスさんが口唇ヘルペスに。私のいないときに薬局にいき、本人がヘルペスなんですけどと言ったにもかかわらず薬剤師さんがステロイドを処方。案の定改善せず。本当だったら医療ミスで訴えたいぐらいだけれど我慢してアシクロビルを買う。
 陸自の駐屯地をまわりながら終了後名古屋に移動。丁度このとき34度の日。暑い中窓は全開。名古屋の街を流しながら暑さにばてました。
 夕方守山駐屯地門立ち。休み?なのかほとんど人がいない。残念でした。

 このころまでに、自衛隊の他の候補(自民、民主)の力をみせつけられていました。組織の力の必要性を感じはじめた頃です。NHKの予想では新党改革の支持率はあがりません。でも自衛隊まわりを続けるしかありませんでした。 

 7月1日 京都の駐屯地で朝立ち。そして大阪入り。ネルソン氏と合流です。彼は本当にいいひとで、医師として同じ臭いがしました。優秀でありながら人を助けたいという素直な日本人以上の日本人でした。改革本部の大阪支部で地元医師と会談。生活保護、部落問題について話し、地方によって様々な問題があることを教えていただきました。
 このころ周りの疲れがピークでした。そのため午後は早めに切り上げました。ホテルで休もうとしたら、そのホテルがゴキブリがいる築30年のしろもの。風呂のお湯はでるのに時間がかかり、流しは詰まっている、ベッドのマットはスプリングがおかしくなっており、なんだか今時衛生状況からは認可されないのではと思うしろものでした。それでも私はぐっすり寝られましたが・・・

今回はここまで

政治素人の医師が選挙に出て(4)

防衛医大の皆さんに挨拶をしてきました。今後の支えになるありがたい応援をいただきました。本当にありがとうございました。

続きです。
 
 仙台の日はウグイスさんの地元でした。土地勘がしっかりしていたため移動、場所取りが非常にスムーズで、選挙活動にあまりストレスは感じませんでした。山形移動がハードでしたがスムーズな立ち上がりと言っていいでしょう。と思っていたら・・・
 6月26日 土曜日のため自衛隊前の門立ちはなし。仙台から高速で宇都宮に入りました。サービスエリアでガソリン満タン。自分の家によって着替えを追加し、宇都宮地元巡りです。順調に演説を繰り返し、最後の予定地に着いたとたんそこで事件は起きました。夜7時過ぎ交差点を右折したとたんエンジンが止まりました。故障?と思ったら何とガス欠です。今日満タンにしたよね?と一般の車の感覚で運転してしていたためガソリンの消費に気づきませんでした。(高速ではリッター5km)ドライバーは落ち込むは、近くにガソリンスタンドはないは、JAFを呼ぶ羽目に。おかげで宇都宮の有名な餃子の店でみんなに食べさせることができませんでした。宇都宮のビジネスホテル泊。
 27日 しかし今度は私が失敗。何とホテルの部屋の鍵をポケットに入れたまま出発。気づいたのは高速サービスエリアでした。後ほどの郵送でことなきを得ましたがホテルにはご迷惑をおかけしました。
 今度はさいたまです。(2つめの地元)。中川候補と合流。大宮駅で話しますが、新聞記者は地方区へ付きっきり。マスコミに受けなきゃねと思っていたら、さいたま地方版に白衣姿が載っていた模様。またコメントらしきものもあり、党にも確認のコメントが。それがわかったのは7月5日のことでした。もっとはやく教えてよ。それによってはまわりかたを変えれたのに。後の祭りです。
 そして午後から所沢です。うれしいことにこの時自分の不在者投票もできました。(何と引っ越したのですが選挙権がありました。1票確実)航空公園、新所沢、住んでいた官舎などでしゃべりました。しかしなんとなく手応え少なし。それでも友人がそれでも数人来てくれたことはうれしかったです。さいたまの医療状況を訴えましたが聞いている人はみんな健康なんだよね。
 その日のうちに千葉習志野に入り明日の下見。すこし変わったビジネスホテルで就寝。(今後最大のホテルが登場します)
 28日 習志野駐屯地前で門立ち。前回失敗したドライバー(元自衛官)の知り合いが多く、様々な自衛官に激励を受けるも、概して自衛官は選挙に関わりたくない様子。本当にいわゆるマインドコントロールなのではと思うほど。シビリアンコントロールと政治無視は違うと思うのだけど?
 終了後千葉の甲斐候補と合流。駅で数カ所演説。バスを待っている人からよくわかったとお褒めの言葉あり。うれしい限り。夕方海上自衛隊基地前で門立ち。ただし陸と違って時間ででてこない。また門が道路から遠い。(これは駐屯地毎に悩まされました)何か疲れた感じでしたが、秘書から電柱に向かってでも演説することが選挙ですとおしかりを。がんばりますと反省。
 終了後3つめの地元福岡でますぞえ代表と街頭をやるため三島駅のホテルへ。コインランドリーで洗濯し、12時頃就寝。もう5日経ちました。

今回はここまで

政治素人の医師が選挙に出て(3)

会計報告を総務省に出してきました。これも大変ですが会計の人にやっていただきました。次回の報告書はどうしよう?

では前回の続きです。

6 公示後 全国行脚
 公示日になりました。選挙道具を党本部が選挙委員会に取りに行き、選挙道具を受け取ります。さまざまな許可証をはじめこれがないと違反になるものです)
 たいへんなものとしてまず
証紙
。ポスター、ビラに手作業で貼り、はじめて配ることができます。その数3万枚。他の候補は15万枚。ボランティアを集め人海戦術で一日中貼り続けます。そこから証紙の貼られたポスターを掲示板に貼りに行く。比例区はないのですが、地方区はその数1万ヶ所。お金をかけない改革の選挙では3日がかりです。ある地方区では最後まで貼りきれない候補者もいました。効率化できないですかね。その他証明書を受け取り、たすき(公示日になって初めて着ることができます)をかけ、いよいよ選挙活動の開始です。今までは政治活動で、個人に投票して下さいとは言えなかったのです。名前の連呼はだめといったものですが、区別ははっきりとしない部分がたくさんあります。選挙中、選挙前ともグレーな部分が多く、実際はやったもんがちということがわかりましたが・・・。 
 党本部の前で地方区の候補者と一緒に出陣式。地方区はテレビ取材が来るも比例区はなし。画面に映らないようにと、NHKにどかされました。このときは比例区と選挙区の選挙の難しさを感じるヒマはありませんでした。演説をした後、支援者の人たちと握手しながら、使えるようになった個人用街宣車にのりこみ出発。東京をまわりはじめました。先ほどの証紙貼りなどは事務所にお任せして、全国行脚の始まりです。仲間であるうぐいす嬢、運転手、秘書、そして私の4人で車で移動し続けます。
 まず自衛隊関係の部署をまわり、だれもいない状況でもビール箱の上で思いを伝えていきました。平日の昼間仕事をしている人にうるさくて申しわけありませんでした。この日の最後は銀座、有楽町。渋滞で車が間に合わず、途中でおりてますぞえ代表と演説。党の街宣車の上でこれからのことを考える余裕はなくしゃべり、すぐにそこからイラクに行くときの部隊であった山形へ出発です。私は新幹線でいきましたが、着いたのは夜の1130でした。残り3人の車両部隊もほぼ同時にホテルに着きこの日は終了。街宣車は上に看板があり、空気抵抗が強く、高速道路を走ると平地より燃費が悪くなるといった思わぬことがわかりました。気持ちの高揚からかまだ疲れは感じていませんでした。
 翌日朝6時30分ホテルを出て、自衛隊前へ。門の前で旗をたて、たすきをかけて立ちながら自衛官一人一人に肉声で挨拶。(8時前にはスピーカーでは話せません)途中広報担当者から位置の問題を指摘されましたが、なんとか最後まで無事にやりとげました。迷惑をかけた自衛官の担当者の人たちにはお詫び致します。
 その後山形を車で回りながら仙台へ。車からひたすら名前、党名を連呼。演説しやすい繁華街の場所で演説しながら、数人こちらを注目してくれたことは幸いでした。終了後自衛隊駐屯地前で夕の挨拶。(山形より反応悪し。これは後ほど朝と夕の違いも影響と判明)同級生とも会い、自衛官の政治の在り方の難しさを実感しました。前日の長距離移動のため周りに疲れが・・・
 ホテル到着後、みんなとこれからがんばろうとすこしお酒。盛り上がりました。夢を語りながら本日終了。

まだまだ続きますが今回はここまでで。
がんばって更新します。

政治素人の医師が選挙に出て(2)

続きです。
3 選挙準備(秘書前)
 私は公務員であったため今回の選挙に出るためには様々な制限をクリアしなければなりませんでした。一番はまずしっかりと公務員をやめること。前回お話ししたグレーな部分(公務員の政治活動?)は排除しなければなりません。そのため5月31日にやめられたのは皆さんに迷惑をかけましたがほっとしました。
 その次に事務所の設定。官舎に住んでいたため引っ越しをしなければならず、また住民票が登録されなければ事務所、および選挙資金を管理する銀行口座が開設されませんでした。
 事務所開設に所沢市役所に行くと、さいたま県庁を紹介され、さいたま県庁に電話すると栃木県庁を紹介。(たらいまわし?)宇都宮市役所にいくと書類が足りないとのことで党と連絡。書類を準備しやっと開設。その間引っ越しの手配。掃除。様々なことを一人でおこない疲れました。
 引っ越し終了後、党との話し合いで秘書をつけてもらうことに。その秘書がもと参議院議員!!自民党でしっかり仕事をしてきた方でした。本当にいいんですかと何回も確認しましたが、その人が私の担当となり(総取り締まり役)いよいよ選挙に向けて動き出しました。

4 選挙準備(秘書着任後)
 総取締役の指示のもと、選挙をおこなってきた実務派の秘書(S君:もと有名どころの秘書を経験)を紹介してもらい、東京事務所の開設。次に会計担当者が参加。(この方も本当に仕事のできるいいひとです) さらにもう一人秘書がついてくれて、少ないながら形ができあがりました。選挙に必要な費用(党からの政党助成金)、ビラ、ポスター、写真、選挙の際の遊説計画、街宣車、うぐいす嬢の手配、はがきの準備、メールでの連絡の仕方を話し合い、わからないながら実施していきました。

 総理が交代した際、選挙が2週間延びる可能性が、またインターネットによる選挙活動が解禁予定だったのですが、全部ぽしゃり、すべて前と同じ選挙方法でした。党から選挙のため総務省に提出する書類を渡された際、「この選挙は個人の選挙で党は協力します。」とのこと
ええ!! 個人の選挙ってなに?協力てなに?素人にどこまでやらせるの?
 
不安はどんどん出ますが、いまさら文句をいってもしょうがない。前に進んでいこうと分厚い書類(この書類が素人の選挙の妨げの1つです)を持ち帰りました。その後秘書と詰めながら、他の候補とも協力し準備を整えていきました。

5 公示前
 党の街宣車に乗り東京を回りました。初めての演説ははぎはらさんに習って実施し、自分の思いを伝えながら行いました。その後東京を山内先生、ますぞえ代表と、また大阪にも出向き、ますぞえ代表と再度演説。地方区のネルソンと同じ医師としての思いを共有しました。その際メールで連絡した支援者のかたが来ていただいたのがうれしかったです。党の動きを確認しながら、ますぞえ代表とくっつきながら、活動を続けました。
 残念だったのは、この頃たちあがれと改革はマスコミから排除されていたことでした。ますぞえさんと改革が一緒であることがまだ浸透していない状況でした。
 参議院が閉会し、選挙活動が事実上解禁になった際、各地をまわりながら、公示前日NHKで政見放送の撮影(化粧をはじめておこないました)。緊張して顔がこわばっていましたがなんとか終了。
 街宣車の準備、びら、ポスターに証紙をはる人の手配、はがきの手配もおおむね完了し、いざ公示です。
今日はここまでで
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