2010年08月

政治素人の医師が選挙に出て(総括)

コンピュータの関係で更新がおそくなりました。すいません。
選挙終了後1ヶ月以上になりました。現在党の指示で事務所を一旦閉じる手続きをしています。今回の選挙について素人ながら分析し総括したいと思います。

1 選挙の教科書のような手引きにまず票読みをおこなってから立候補を決めるということが最初に書かれています。(最もこれを読んだのは公認発表の後でしたが) 私のような公務員上がりの一素人が選挙にでるのは事前の準備が本来必要なことでした。(当たり前です) まして比例区となると知名度のない人間はかなり無理があります。それでも立候補を新党改革から行うことを決意したのは、ブログにも書いたように今医療を変えるために動かなければという気持ちと、ますぞえ代表の仕事を評価していたからです。そしてますぞえ代表の票でもしかしたらという気持ちと、最初だからと甘い考えをもっていました。人に頼ることは必要ですがもう少し準備をすることが必要でした。

2 選挙に出るための準備は本当に大変なものでした。様々な書類等の作成(事務所開設、政治資金口座の開設、各種報道に対するアンケート、ブログ、ホームページの開設など)全てはじめてのことを行わなければなりませんでした。そのためどれも期限ぎりぎりで動いていました。その後もポスターやビラの作成、選挙はがきの作成など様々な部分で追い回されていました。特につらかったのははがきを出す名簿の作成です。比例区ははがきを15万枚まで出せるのですがとてもそんな数は出せる状況ではなく、なんとかラ・サール、防衛医大の卒業生名簿、他の先生のご紹介を受けて2万枚程度をだすことが可能となりました。これは最低でも1ヶ月前に終了していくべきものでした。とはいえ、何組かの団体の人々に応援いただいたことは感謝しています。私が遊説を行っている間も事務所では費用の計算、申告の手続き、はがきの発送とさまざまな分野で動いてくれていました。いろいろな人間が来て助けていただいたことを感謝しています。しかし人手が絶対的に足りませんでした。そのためはがきを出せたのも選挙日の数日前でした。もっと早く出すことが私にとっては必要でした。

 

4 遊説の際も、自衛官の感触が今ひとつと気づいたときに(特に民主、自民が自衛官出身候補を出していたこと)、もう少し途中で重点地域を切り替えるべきだったと思います。特にマスコミに取り上げていただいた埼玉をもうすこし徹底的に遊説すべきであったと感じています。残念ながら私がまわった地域は医療的な問題が全国的にましな地域が多かったため、身につまされる人々は少なかったと思います。しかし地元飯塚で家族を含めた多大なるサポートは本当に感謝しています。

 

結論として今回の選挙立候補は無謀という言葉がまさにあてはまると思います。とは言え動かなければ何も変わりません。その意味で今回の選挙は重要なものと思っています。一部の医療問題が少し変化してきています。私も充電しながらいろいろみていきたいと思います。

 

民主党の代表選挙が取りざたされてます。選挙中も感じていましたがどの政党も違いがわからなくなっています。今後どうなっていくのか見守りたいと思います。

政治素人の医師が選挙に出て(7)

 選挙の後片付けをまだやっています。更新できずにすいません。

 いよいよ九州上陸。全国まわってきましたが、各地域によってさまざまな状況です。特にポスターの貼る場所。本来違反であるはず街路樹やガードレールにバンバン貼られています。地域によって違うようです。また全国的にもHPの更新なども違反といわれながら行なっていたことを考えると、選挙は灰色の部分が多いようです。
 
7月5日 朝から小倉駐屯地門立ち。自衛隊周りも慣れてきましたがなんとなく難しさを感じていました。舛添さんの地元北九州市内を廻り、街頭演説を繰り返し、福岡へ。同期、先輩から激励を受けるもいろいろ大変そうです。他の自衛隊候補が資料を郵送したものや、看板の設置をみると自分の自衛隊への力のなさをまざまざと感じました。生まれた飯塚で今日は宿泊。

7月6日 朝から飯塚駐屯地門立ち。手応えはあるも自衛官ではなく出入りの業者の人。10時から家の近くで会合。両親、姉夫婦、親戚一同のおかげと、地元のみなさんのおかげで100人規模の人が集まってくれました。涙が出そうなくらいうれしかったです。飯塚の町を演説しながら佐世保へ。この日から自衛隊廻りができにくくなってきました。

7月7日 相浦駐屯地の予定だったのですが、挨拶できそうな場所がなく、佐世保総監部へ場所を変えようとするも、他の地元の候補がすでに旗を立てている状況。(まだ7時前だよ)。佐世保はあきらめ熊本へ。熊本市内を廻りながら、支援者?がバイクで車を先導。暑い中街頭で演説。夕方北熊本駐屯地に行くも、自衛官の監視のもと、人が少ない方の門へ移動するよう指示。なかなかたいへんでした。あいかわらずちらしをもらわないようにと指示が出ている様子。本当に政治にかかわらせたくないんだね。
 
7月8日 健軍駐屯地で門立ち。たくさんの人、元上司、先輩、後輩に挨拶。同じ熊本でなんでここまで違うんだろう。人によって違うのはわかってはいるけれど...

 熊本市内をまわり熊本空港から沖縄へ。国際通りで演説するも、平日なのにすごい人。景気回復しているのかなと思うと、どうも日本語以外の言葉が。九州に入ってから気にはなっていたけど、中国はすごくなっているね。でも選挙権はないと下世話な気持ちが...
夕方那覇駐屯地で門立ちするも少ない人。なにか紙を駐屯地奥で配っている。裏門?

7月9日 翌朝もう一度那覇駐屯地。今度は予想ぐらいの人。昨日は何だったの?また自衛隊選挙活動?
沖縄観光地をまわり、商店のひとと話す。すこしづつ景気は回復している模様。沖縄の地方区の選挙はどこよりもすごかった。となりのブロックであろうと街宣車でしゃべる。遠慮はない。
沖縄空港から熊本空港へ。えびの駐屯地にいくも、ここも立つ場所なし。あきらめて宮崎入り。先輩、同期と宴会。いよいよ最後。

7月10日 宮崎県庁前、市内を街頭演説。やや興奮し不適切な言葉を秘書から注意。
 最後は飯塚と予定を変更し、大移動。大雨のなか演説を繰り返し終了。選挙活動が終わりました。小倉泊。
 後は明日を待つのみと思っていたら、秘書から残念ながらとコメントが。情報網があり、1人当選するかどうかという分析を聞きました。まだ投票日でもないの?と思いながらそんなものかと納得。こうして素人選挙活動が終了しました。
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